2013年6月9日日曜日

玄侑宗求著『光の山』(新潮社,2013年4月刊)を読む。「3・11」を風化させないために。

 玄侑宗求さんが「3・11」以後を生きる福島(と思われる)の人びとの苦悩を描いた短編小説集。これまでにいろいろな雑誌に発表してきた6本の短編を一冊の本にまとめたもの。わたしにとってはいささか衝撃的な作品ばかりでした。

 気がつけば,「3・11」という記号(文字)がいつのまにかすっかり後退してしまっています。つまり,別の新しい話題の陰に隠れてしまい,あまり見かけなくなっています。ということは,当然のことながら,わたしたちの意識のなかからも,いつのまにか風化しはじめています。そして,遠い過去のことのような錯覚に陥りつつあります。

 なにを隠そう,このわたし自身がそうなってしまっている,ということにこの短編小説を読んで気づいた次第です。人間はいやなことを忘れたがる,そういう性質をもっています。そして,上手に忘れることができるからこそ生きていかれる,ともいいます。しかし,さっさと忘れてしまった方がいい記憶と,それとは逆に忘れてはならない記憶とは,当然ながら区別しなくてはなりません。「3・11」の記憶は,貴重な教訓としていつまでも忘れてはならない記憶だとわたしは考えています。ですから,その記憶の風化防止のためにも,この玄侑さんの書かれた短編小説集は,とても重要だとおもいます。

 わたしは,この小説集を読み終えてすぐに,「3・11」以後の被災者たちが,いま,どんな情況のもとで,どんな気持ちで生きているのか,その現実をどの程度まで理解しているのか,とみずからに問うてみました。情けないことに,新聞やテレビでちらりと見かける程度のことしか知りません。そして,あとは想像力をはたらかせて,たぶん,こんな情況で,こんな気持ちで生きているんだろうなぁ,とほんの少しだけ思い描く程度で済ませてきました。ですから,被災者の人たちの「痛み」を感じ取り,分かち合うという,経験を情動レベルの感覚で共有するということもほとんどしないまま,日々の雑用に明け暮れている,というのが情けないことにありのままの姿です。

 いわずとしれた玄侑宗求さんは,福島県三春町の福聚寺(臨済宗妙心寺派)の住職として,町の人びととともに「3・11」以後を生きる苦悩と向き合い,ともに考え,ともに試行錯誤しながら助け合って生きているお坊さんです。僧侶として,また,作家として,いま,なにをすべきかを厳しくみずからに問いかけながら,必死で生きている人です。つまり,土地に根をおろして,そこからすべての思考も行動も立ち上げるのだ,と覚悟して。当然のことながら,セシュウムに汚染されることも覚悟の上で。

 そんな中で,刻々と情況が変化しつづける人びとの暮らしぶりを,玄侑さんは私情を極力抑え,短編小説という形式に託してわたしたちにある重要なメッセージを送りつづけています。しかし,所詮は小説ではないかという人がいます。それは違うとおもいます。小説だからこそ伝わるものがあります。あるいは,小説でなければ伝えられないものもあります。とりわけ,一人ひとりが内面に抱え込んでいる苦悩を,マス・メディアのジャーナリスティックな文章でとらえるには限界があります。つまり,作家とはそこを超えていく才能をもった人びとなのだ,とわたしは考えています。わけても玄侑さんの描く被災者の人たちの苦悩は,同時に,玄侑さんみずからの苦悩でもあります。ですから,つねに体験を共有し,分かち合う人としての心情がつたわってきます。

 たとえば,「アメンボ」という短編があります。その作品のなかでは,セシュウムに対する認識の仕方や感性,そしてそれにともなう対応の仕方の違いが夫婦の間に亀裂を生み,やがて別居し,離婚していくという,そのプロセスを丹念に追っています。夫はインターネットを使って丹念にセシュウムの量とその影響についての情報を収集し,分析しながら,現状と真っ正面から向き合いながら,ぎりぎりまで汚染地域で生きる道を選択しています。しかし,妻は頭からセシュウムを有害と決めつけ,拒絶反応を示します。とりわけ,小さな子どものためによくないと考え,子どもをつれて北海道に移住します。時折,帰ってくるけれども長居はしない。そうして,何回もの話し合いが積み上げられていきますが,どうしても共有できるものが見つけられないまま,つまり,折り合いがつかないまま,最後には離婚という選択肢に追い込まれていきます。そんな夫婦を,もう一組の夫婦が見守ります。妻同士が子どものときから仲良しなので,この二組の夫婦も最初から親しいお付き合いをしてきました。が,そのお付き合いも「3・11」以後,ぎくしゃくしはじめます。もう一方の夫婦は,夫ががんこで無神経で,一見したところ独断的でいい加減なようにみえるけれども,それが逆に救いとなっていて,セシュウムに対しても楽観的に向き合っていきます。妻もまた,夫のいうとおりに,ほどほどに距離を保ちながらも,上手に妥協しながら波長を合わせていく。それだけの許容量の広さに助けられて,こちらの夫婦は安泰。

 二年目の夏のある日に北海道から一時帰宅(といっても仮説住宅)したときに,この二組の夫婦は家が無事だった夫婦の家で夕食を囲んだり,子どもたちを連れて水遊びに連れていったりする。表向きはどこもぶつかる問題はなく,さも楽しそうな会話がはずむ。なのに,つねにどこかでお互いに話を踏み込まないように配慮したり,そのために話にスレ違いが起きたり,淀んだ空気が流れ,いつしか重くなる。たまたま,話題が水たまりに棲むアメンボのことばの由来の話になります。いろいろの説が飛び交いますが,舐めると甘いからだ,というところに落ち着きます。それを聞いたセシュウムに対しておおらかな夫婦の方の子どもが,翌日,手水鉢のなかを泳いでいるアメンボをつかまえて口にふくみます。それをみていた北海道に移住している妻の友人が,飛び掛かるようにしてその子どもを押さえ込み,口に指をつっこんでアメンボを吐き出させようとします。それをみた夫が妻をうしろからはがい締めにして,その家の子どもを解放します。この場面が,この短編小説のひとつのクライマックスになっています。つまり,友人の子どもであっても/友人の子どもだからこそ,セシュウムに汚染されたアメンボを口にふくむ行為は許せない,そういう濃密な人間関係の背後にある,ぬきさしならない価値観の違いが引き起こす衝突/葛藤が日常化していることを,玄侑さんはわたしたちに問題提起します。その背景には,「絆」などという甘っちょろいキー・ワードなどでは,なんの問題解決にもならないという,ふつふつとわき上がる,こころの奥深くに潜む憤りのようなものさえ,わたしには伝わってきました。

 その事件の起きた翌日,離婚届に夫はしぶしぶ印鑑を押します。そのまま,妻は友人との別れの挨拶もせず,黙って北海道に帰っていきます。なんともやりきれない気分だけが,わたしのこころに残りました。

 こうした,セシュウムをめぐる,ほんのちょっとした感性の違いが,人と人との関係に亀裂を生じさせ,分断させることが日常的に展開している,という事実の前でわたしは無力のまま呆然としてしまいます。事態はそれだけではありません。こうした亀裂や分断は,さらに日常的に細分化され,分節化され,その密度がますます高まっていく社会を生きなければならない,この現実をどう考えればいいのか,と玄侑さんは問題をわたしたちに投げ返してきます。そこは答えのない長いトンネルのなかのようなものです。好むと好まざるとに関係なく,じわじわとそういう情況のなかにみんな飲み込まれていく,そんな重い空気が淀んでいることを,玄侑さんは淡々と,小説という形式を借りてわたしたちの前に提示してきます。

 人が生きるとはどういうことなのか,というもっとも根源的な問いを玄侑さんはわたしたちに突きつけてきます。そんな風に,わたしはこの短編小説集を読みました。

 短編集のタイトルともなっている最後の作品「光の山」は,汚染された土や瓦礫を掻き集めてできあがった山が,40年後に,忽然と光り輝きはじめる,というSFもどきの物語になっています。なんだか空恐ろしくなる,みごとな短編です。

 わたしたちは「3・11」の記憶を風化させないためにも,こうした玄侑さんのような作家が描く作品と,たえず接点をもち,考えつづけることが重要なのだ,といまさらながら考えさせられました。短編集なので,どこから読んでもいいし,いつでも,思い出したら,その日の気分でそのうちのひとつを選んで読むこともできます。ぜひ,座右の書のひとつに加えておきたい,とわたしは思いました。

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