2013年6月28日金曜日

柴田晴廣さんからのコメント,とても魅力的。夢が広がります。

 今日(28日),柴田晴廣さんからたて続けに2本のコメントが入りました。いずれも,とても魅力的で,夢が広がっていきます。こういうコメントは大歓迎です。わたしのちょっとした思い出や感想をもとに,史実にもとづく新しい知見を提示してくださり,ありがたいかぎりです。

 こういうコメントには,きちんとわたしからの応答をすべきところですが,いま,ちょっとタイミング的に時間がありませんので,いずれ,チャンスをみつけて応答してみたいとおもっています。今回は,とりあえず,ご紹介だけにとどめたいと思います。みなさんにも読んでいただいて,感想なり,ご意見なりを寄せていただければと思い,このブログを書くことにしました。

 ひとつは,6月26日のブログ:「サツマイモ畑に花が咲く,という話」。このブログに対して柴田さんは,東三河に甘藷をひろめたのは「牛窪村の喜八」(河合喜八)だと菅江真澄が書き残している,と指摘してくれました。菅江真澄が東三河の人であることはわかっているのですが,じつは,その出身地を特定することはできないままになっています。柴田さんも必死で追求していらっしゃるようですが,どうも牛窪(現・牛久保)のあたりだったのではないか,と推定。わたしは,牛久保の近くの大村町の「白井家」のどこかではないか,と推定。問題は,菅江真澄が最後までみずからの出自を明らかにしなかったという事実にあります。なぜか,隠す必要があったようです。

 そこからはじまって,芋切干の起源は御前崎という説を紹介してくれています。さらに,御前崎がらみの話を展開させて,「かんかんのう」や「かんかん踊」のもうひとつのルーツも御前崎だったという話を三田村鳶魚の記述から引いて紹介してくださっています。この博識ぶりに感服です。じつは,「かんかんのう」や「かんかん踊」にもいささかわたしは興味をもっていましたので,ありがたい情報提供をいただきました。詳しくは,柴田さんのコメントで確認してみてください。いやはや,その博識ぶりは驚くべきです。

 もうひとつのコメントは,同じく6月26日のブログ:「日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか?河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制」。できるだけ中味がわかる方がいいと考え,長ったらしいタイトルになってしまいました。が,このブログに対して柴田さんは,「支那」という呼称について取り上げ,つぎのように論じています。昭和21年6月21日に外務省が「『支那』は中国の蔑称なので,使用は極力避けるように」という通達を出しているにもかかわらず,どこぞの御仁はこの「禁句」を好んで用い,あまつさえ,寝た子であった「尖閣諸島」をわざわざ過激に挑発して,とうとう大変な事態を引き起こしているにもかかわらず,維新の会の共同代表をつとめて平然としている,と。しかも,「維新」の語源まで引いて,その精神に反する,というなかなかサビの効いた論を展開してくれています。

 どちらも長いコメントになっていますが,なかなか味のある論考を展開されていますので,ぜひ,柴田さんの原文にあたって,存分に堪能してみてください。

 というわけで,とりあえず,柴田晴廣さんのコメントのご紹介まで。
 できれば,柴田さんのコメントに,さらに応答するようなコメントを寄せていただけるとありがたいのですが・・・・。これは,読者のみなさんへのわたしからのお願いです。よろしくお願いいたします。

1 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

 私の書き方が悪かったようです。
 少し補足しますと、河合喜八が東三河に甘藷をひろめたという説は「菅江真澄が書き残している」わけではなく、岡崎の研究家で、岡崎の人では珍しく、真澄東三河出身説を採っている伊奈繁弐さんという方の著作に書いてあったと記憶しております。その著作の題名が思い出せませんが・・・