2013年6月8日土曜日

山口昌男追悼シンポジウム「人類学的思考の沃野」・傍聴記・その1.1990年の記憶。

日時:2013年6月7日(金)午後3時~6時。
場所:東京外国語大学 アゴラ・グローバル
基調講演:青木保
発言者:渡辺公三/真島一郎/落合一泰/栗本英世/船曳建夫/今福龍太
主催:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
後援:日本文化人類学会

正式なテーマは以下のとおり。
〔山口昌男追悼AA研シンポジウム〕人類学的思考の沃野

シンポジウムの趣旨は以下のとおり。

山口昌男という巨大な知の運動にとり
原点にあたる空間としての「フィールド」。
野生の思考と詩学を生涯にわたり
旺盛に探究しつづけたフィールドワーカー
山口昌男の足跡をたどりなおし
のこされた私たちが新たな「人類学的思考の沃野」へと
今また踏みだすために。

 ことしの3月10日(奇しくも「3・11」の前日),81歳の生涯を閉じた山口昌男さん。略年譜をみると,40歳になる前から膨大な著作を世に問いはじめていて,その影響力があまりに大きかったせいか,若くして大家をなしていた。53歳にして日本民族学会会長に就任。だから,81歳で亡くなられたと聞き,思ったよりも若い,と感じた。なぜなら,わたしよりもずっとずっと大先輩だと,無意識のうちにそう思い込んでいたからだ。

 それにはいささかわけがある。じつは,わたしは1990年4月から94年3月までの4年間,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員として,山口昌男さんの組織していた科学研究費による共同研究「象徴と世界観の比較研究」に参加していた。年に2~3回開催された全体会議(毎回,二泊三日が原則だった)に招集され,研究発表をするよう促されていた。しかし,その会には青木保,中沢新一,などという名だたる文化人類学者たちが集まっていたし,メンバーの総数も相当な人数だったので,ついにわたしの出番はなかった。というより,会のもつ気魄のようなものに圧倒されてしまって,ただただ,ご意見を拝聴するだけで精一杯だった,というのが正直なところ。その会の中心に山口昌男さんがいて,常時,ことばを発しつづけておられた。このときに,わたしは勝手に山口昌男さんはわたしよりずっと年齢が上の人だ,と思い込んでいた。ところが,1990年の山口さんは59歳,わたしは53歳。たった6歳しか違わない。山口さんは,わたしの長兄と同じ年齢だったとは,大きな驚きであった。

 そんな年齢を度外視させるほど,山口昌男さんの存在は大きかった。いろいろのジャンルにまたがる共同研究員の研究発表のいかなるテーマにも,躊躇することなく議論に分け入り,じつに細部にいたるまで熱心にコメントを繰り広げるのが常だった。研究会が終ると,恒例の懇親会が持たれたが,そこでも話題の中心は山口さんだった。というより,ここでは,もはや独壇場だった。その話題の豊さに,ただただ呆れるばかりだった。博覧強記とはこういう人のことをいうのだ,とこのときはじめて知った。頭のなかに詰め込まれた知の集積から臨機応変に,つぎつぎに話題が飛び出してくる。まるで,こういうジャンルの話芸があるのではないか,とおもったほどだ。『本の神話学』などという著作をものするのも納得である。

 このとき以来,本気で山口昌男さんの著作を読むようになった。それまでは,いつも話題になるので,一応は眼をとおしておくという程度の読み方だった。しかし,山口さんの生の声を聞き,その説得力の磁場に触れるにつけ,本の読み方も大きく変化した。最初に読んだ『文化の両義性』(岩波書店,1975年,山口さん44歳。この年齢にも驚く)を,もう一度,読みなおしてみたら,まったく違った印象をもったことをいまも鮮明に思い出す。以後,このテクストはわたしの座右の書となり,その理論を借用して,「スポーツ文化の両義性」について考え,そこを軸にした論考を少しずつ発表するようになる。なにか視界が一気に開かれ,まるで新しい別世界に飛び出してきたような印象をもったものだ。いわゆる「モダニティ批判」の手始めである。

 そして,いまも,その延長線上を,さらにいろいろの人の思想・哲学を援用しながら,わたしの「フィールド」を探索している。そのフィールド・ワークは楽しくて仕方がない。常住坐臥,あくことなきフィールド・ワーカーだった山口さんの心境が,最近になってほんの少しだけわかるようになった。ありがたいことである。

 以後,山口昌男さんの著作は,わたしの研究の道標のひとつとして不可欠のものとなった。そのご縁で,中沢新一さんのものもかなりまじめに読んだ。が,あるときから,わたしの関心事から離れてしまった。その代わりに,もっと強烈にわたしを叱咤してくれる著者が現れた。今福龍太,その人である。そして,つい最近になって,真島一郎さんと出会えた。このお二人については,これから何回もこのブログに登場していただくことになるので,今回は深入りしないことにする。

 が,ほんの少しだけ。このお二人が今回の追悼シンポジウムの発言者として登壇された。やはり期待に違わず,会場の空気を一変させてしまうほどの,気持ちの入った,しかも山口昌男の本質をつく素晴らしいお話をされた。正直に言って,わたしは感動した。プレゼンテーションというのはこうなくてはならない,と反省もさせられた。その内容については,また,稿をあらためてご紹介を兼ねて,考えてみたい。

 今回は,山口昌男さんの追悼シンポジウムを傍聴させていただきながら,わたし自身もまた1990年のころの山口さんを思い浮かべていた。そして,こんにちまでの,山口さんとの接点を断片的に思い浮かべながら。

 なお、会場の入り口では,6月10日に配本されるという,できたてのほやほやの『山口昌男コレクション』(今福龍太編,ちくま学芸文庫)が特別価格で販売されていた。今福さんが,どんな視点からこのコレクションを編んだのか,これからじっくりと拝見してみたい。また,その感想も書いてみたいとおもう。いまから,楽しみ。

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