2013年6月13日木曜日

全柔連上村会長続投表明と聞いて,開いた口が塞がらない。柔道,破局への道。

 嘉納治五郎が体系化した柔道が,国際化とともにJUDOとなり,ついには「これは柔道ではない」とまで言わなければならないみじめな情況がすでに世界を支配してしまっている。もう,いまから世界のJUDOを日本の柔道にもどすことは不可能だろう。日本の柔道は間違いなく破局への道をまっしぐら,と言わざるを得ない。まずは,このことについて全柔連はどのように認識しているのか,わたしはそこを知りたい。

 なぜなら,柔道発祥の国・日本から世界柔道連盟に理事一人を送り出す力さえ,いまは持ち合わせてはいないからだ。このあまりにみじめな現実をどのように考えているのか。この点についての認識も,あまりにもお粗末なのではないか,と大いなる疑念をいだいている。世界柔道連盟に日本の理事不在のまま,柔道のルール改正がひっきりなしに行われている。その実態は,嘉納治五郎の描いた理想の柔道からはどんどん隔たっていくばかりだ。その動向に歯止めをかける理事がひとりもいないのだから。

 JUDOの試合の不思議な競技の光景はこうして生まれたものだ。その光景はオリンピックや世界選手権での柔道の試合をみれば一目瞭然である。判定のレベルもきわめて低い。というより,なにをJUDOの技と考えればいいのか,その基準すらも明らかではないからだ。みているわたしにも,なにを技と考えているのか,なにが優勢なのか,なにがなんだかわからない。

 こういう世界的な趨勢に対して,全柔連は,すでに長い間,なんの対応もできないまま放置してきたのだ。そして,本来の柔道の息の根を止められてしまい,いまや,JUDOを後追いしながら,それを選手たちがマスターするために汲々としている。全柔連の執行部をあげて,国際試合に勝つために全力投球である。いいではないか。負けたって。堂々と,これが柔道だという試合を展開して負けるのであれば。いな,勝負を度外視して,柔道のなんたるものかを世界中の人が見守るなかで,堂々と試合でみせつけるくらいの矜恃をもちたい。それだけが,いま,日本の柔道を,世界に向けて理解してもらうための唯一の方法ではないか。

 それをただメダル欲しさに勝ちにいく。そのために,選手たちだけが犠牲になっている。いじめやしごきを受けたり,不要な暴力まで受けたり,挙げ句の果てにはセクハラまで受けなくてはならない,まことにみじめな醜態をさらけだしている。いったい全柔連はなにをやっているのか,と全国民の失笑をかっている。のみならず,世界中のJUDO愛好家から顰蹙をかっている。これでは文部科学省が柔道の必須化を導入しても,逆効果を招きかねない。

 のみならず,助成金不正受給まで発覚し,その組織が腐り切っていることまで明るみになったいま,それに的確に対応する能力すら持ち合わせてはいない。内閣府の公益認定委員会から報告書の提出を求められた際にも,執行部の一部の人間が作成した報告書は,A4用紙2枚に箇条書きされていた,という。もはや,開いた口が塞がらないどころの話ではない。

 しかも,その報告書に盛り込まれた内容たるや,もっとお粗末だったという。助成金問題を調べる第三者委員会の中間報告に対して「内容に違和感がある」と主張したり,実際に暴力を受けた選手は「告発した15人のうち0~2人」としていた,という。これをみた第三者委員会は「組織としてのガバナンスのあり方に疑念を抱く」と痛烈に批判したことも,わたしたちの知るところだ。こんごの対応の仕方によっては「公益認定の取り消しもあり得る」とまで警告されている。

 この警告を受けた直後は,さすがの上村会長も「近く進退を明らかにする」と述べ,辞任を示唆していたことも,わたしたちの記憶に新しい。にもかかわらず,ここにきて一転して「きちんと改革することが私に課せられた使命」などと述べたという。まさか,マリアス・ビゼール国際柔道連盟会長の「上村会長の続投を100%支持する」という社交辞令を真に受けたわけでもあるまいに・・・・。世界中の笑い物になっていることを百も承知でビゼール会長は,こんなジョークとも受け取れる談話を残して日本を去っていった。これで当分の間は,全柔連を無視しておいてもいい,とビゼール会長は臍を噛んでいることだろう。

 今日の『東京新聞』はこのことを大きく取り上げ,みごとな紙面を構成している。とりわけ,井上仁記者による記名記事が秀逸。見出しタイトルは「理解に苦しむ続投」。それと,「理事会解散一日も早く」という見出しの了徳寺学園理事長(全柔連評議員・了徳寺健二氏)の談話もみごと。たとえば,上村会長の続投表明に対して「それでは済まされないことを分かっていない悲しさ。国民,真の柔道家は決して同調することはありません」と,わたしの涙を誘う。25日に予定されている評議員会ではみずからの考えを述べるという。ようやくひと波瀾起きそうな雰囲気が漂いはじめた。

 いまこそ,全柔連の憲法ともいうべき「寄付行為」に謳われている「評議員会」が機能すべきときだ。ここが決起すれば,理事会は身動きできないように規定されている。さて,どこまで一致団結ができるか。「真の柔道家」の立ち上がるべきときだ。評議員の多くは各都道府県連盟の会長が兼務している。いまこそ,柔道家の良識が問われるときだ。

 柔道が,破局への道をまっしぐら・・・・ということにならないためにも。

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