今日の午後から頭痛が激しくなってきて,母親を思い出していました。わたしの母親は天気予報ができる「頭痛」をもっていました。明日の天気を聞くと,しばらく頭の様子を伺ってから,いまの頭痛の具合からすると・・・・と前置きをしてから,たぶん,雨が降るとか,午前中は雨かもしれないが午後には晴れてくる,という予報をしてくれました。これが,また,不思議によく当たるので,わたしは頼りにしていました。
その体質を遺伝的に受け継いだのか,加齢とともに母親の「頭痛」がわたしのものとなりつつあり,いつしか天気予報ができるようになってきました。しかし,残念なことに,母親の当たる確率の足元にも及びません。が,このところよく当たるようになり,傘をどうするかの判断のひとつにはなってきました。他人さまに迷惑をかけない範囲で,今日は晴れるとか,明日は雨だとか,自分で占って楽しんでいます。
今日の午後は,突然の頭痛でしたので,前線が動いたな,そして,まもなく頭上を通過するな,ということは場合によっては,この蒸し暑さからすれば雷をともなうにわか雨がくるな,と判断しました。それで,あわてて事務所を引き揚げ,帰宅しまた。溝の口の駅を降りたら,パラパラと雨が落ちてきました。あわてて丸井に飛び込んで,少しだけ雨宿り。一雨きて,小降りになったところで,自宅に駆け込みました。自分の部屋に入り,真っ黒になっている東の空を眺めながら,さあ,来い,と雷雨を待っていましたが,それは来ませんでした。ですから,今日のところは半分当って,半分はずれ,というところ。気がついたら,頭痛もすっかり消えていました。
昨日のうちに『スポートロジイ』第2号(「ISC・21」研究紀要)の編集業務を完了しようと必死に取り組み,予定していた「巻頭言」と「編集後記」を書き終え,みやび出版の伊藤さんのところに送信。これで,ひとまず,書くべき原稿はすべて完了。あとは,わたしの「研究ノート」のゲラ校正を終えれば,すべて完了です。そう思って,昨夜からゲラの校正にとりかかっていました。
しかし,もともとの原稿が,このブログで書いたものですので,精粗にばらつきがあり,それを調整しようととりかかりました。が,それをやりはじめたらエンドレスだ,ということに途中で気づき,そのための時間がないので,しばし腕組みをして熟考。この「研究ノート」(スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして),よくよく読み返してみると,いいところは抜群にいい,われながら感心してしまうほどいい,しかし,駄目なところはまことにお粗末,いっそのこと全部カットしてしまおうか,と考えたり・・・・。こころが大きく右へ左へと揺れ動きます。でも,最後は,せっかくゲラにまでなったのだから,全部,掲載することにしよう,と決意。そして,時間の許す範囲で,精一杯,直しのできるところは直して,間に合わないところは眼を瞑ってそのままとすることにしました。
これで明日,みやび出版の伊藤さんにゲラ校正を渡せば,とりあえず,わたしの仕事は完了。ほっと一息,というところで,いま,このブログを書いています。いつも思うことですが,最初の構想の段階と,最後の校正ゲラを読むときとでは,まったく違う世界がそこには広がっているということです。たとえば,最初に,どの原稿を第2号に掲載するかの目星をつけます。その段階で,ほぼ,すべては決まりなのですが,なんとなく全体がよく見えないまま,まあ,こんなものかという程度のところで見切り発車をしていきます。そうして,巻頭言を書く前に,他の人たちのゲラにひととおり眼をとおします。すると,そこには驚くべき光景が待ち受けています。ゲラになったとたんにワン・ランク,いや,それ以上にレベルアップしているのです。
このゲラに,人によっては,さらに徹底的に推敲を重ね,見違えるような読物に仕立て直すことになります。このゲラの校正の段階で,素人の書き手とプロの書き手の,圧倒的な「差」を見せつけられることになります。これは,毎回,痛感するところです。やはり,活字になるということはたいへんなことですので,それなりにきちんとしておかなくてはなりません。話し言葉は,そんな記憶はありません,で逃げ切ることはできますが,文字は一度刻印されたら消えません。不動の証拠となります。ですから,ほんとうはしっかり校正しなくてはいけません。が,だいたいは,時間を切られていますので,充分なことはできません。その時間を無視してでも校正にエネルギーをそそぎこめるようになれば,一流というところでしょうか。なかなか,その境地に達するには,相当の修行が必要なようです。
しかし,みやび出版の伊藤さんからの連絡では,みなさん,約束の時間内に,しっかりとゲラに朱を加えて,素晴らしい読物に変身しているとのこと。そして,どの論考も素晴らしい,とのほめ言葉。この厳しい眼力のも持ち主の伊藤さんが褒めることは滅多にありません。それを知っているだけに,えっ,ほんまですかっ?と思わずツッコミを入れてしまいました。
ゲラを通読しただけでも,今回の『スポートロジイ』第2号は素晴らしい,とわたしは受け止めていました。それが,もっと推敲されてよくなっているとしたら・・・・,わたしは,いまから刊行が待ち遠しくて仕方がありません。
いま,パリに滞在中の西谷さんも,超多忙の今福さんも,真っ赤になるほどの朱を入れてくださったとのこと,その気合の入れ方になみなみならぬ気魄を感じます。それに比べたら,わたしなどはまだまだ駆け出しだなぁ,と反省することしきりです。
それでも,わたしなりの「思い入れ」は巻頭言に書いておきました。書店で,ぜひ,手にとって確認してみてください。7月20日刊行を目標に,いま,仕事をすすめています。刊行されましたら,入手の仕方など詳しい情報をこのブログでもお知らせしたいとおもいます。
グローバリゼーションと伝統スポーツ,ドーピング問題を考える,が特集の二つの柱です。ちょっと類書をみない内容になっています。その意味では自信作です。乞う,ご期待!
その体質を遺伝的に受け継いだのか,加齢とともに母親の「頭痛」がわたしのものとなりつつあり,いつしか天気予報ができるようになってきました。しかし,残念なことに,母親の当たる確率の足元にも及びません。が,このところよく当たるようになり,傘をどうするかの判断のひとつにはなってきました。他人さまに迷惑をかけない範囲で,今日は晴れるとか,明日は雨だとか,自分で占って楽しんでいます。
今日の午後は,突然の頭痛でしたので,前線が動いたな,そして,まもなく頭上を通過するな,ということは場合によっては,この蒸し暑さからすれば雷をともなうにわか雨がくるな,と判断しました。それで,あわてて事務所を引き揚げ,帰宅しまた。溝の口の駅を降りたら,パラパラと雨が落ちてきました。あわてて丸井に飛び込んで,少しだけ雨宿り。一雨きて,小降りになったところで,自宅に駆け込みました。自分の部屋に入り,真っ黒になっている東の空を眺めながら,さあ,来い,と雷雨を待っていましたが,それは来ませんでした。ですから,今日のところは半分当って,半分はずれ,というところ。気がついたら,頭痛もすっかり消えていました。
昨日のうちに『スポートロジイ』第2号(「ISC・21」研究紀要)の編集業務を完了しようと必死に取り組み,予定していた「巻頭言」と「編集後記」を書き終え,みやび出版の伊藤さんのところに送信。これで,ひとまず,書くべき原稿はすべて完了。あとは,わたしの「研究ノート」のゲラ校正を終えれば,すべて完了です。そう思って,昨夜からゲラの校正にとりかかっていました。
しかし,もともとの原稿が,このブログで書いたものですので,精粗にばらつきがあり,それを調整しようととりかかりました。が,それをやりはじめたらエンドレスだ,ということに途中で気づき,そのための時間がないので,しばし腕組みをして熟考。この「研究ノート」(スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして),よくよく読み返してみると,いいところは抜群にいい,われながら感心してしまうほどいい,しかし,駄目なところはまことにお粗末,いっそのこと全部カットしてしまおうか,と考えたり・・・・。こころが大きく右へ左へと揺れ動きます。でも,最後は,せっかくゲラにまでなったのだから,全部,掲載することにしよう,と決意。そして,時間の許す範囲で,精一杯,直しのできるところは直して,間に合わないところは眼を瞑ってそのままとすることにしました。
これで明日,みやび出版の伊藤さんにゲラ校正を渡せば,とりあえず,わたしの仕事は完了。ほっと一息,というところで,いま,このブログを書いています。いつも思うことですが,最初の構想の段階と,最後の校正ゲラを読むときとでは,まったく違う世界がそこには広がっているということです。たとえば,最初に,どの原稿を第2号に掲載するかの目星をつけます。その段階で,ほぼ,すべては決まりなのですが,なんとなく全体がよく見えないまま,まあ,こんなものかという程度のところで見切り発車をしていきます。そうして,巻頭言を書く前に,他の人たちのゲラにひととおり眼をとおします。すると,そこには驚くべき光景が待ち受けています。ゲラになったとたんにワン・ランク,いや,それ以上にレベルアップしているのです。
このゲラに,人によっては,さらに徹底的に推敲を重ね,見違えるような読物に仕立て直すことになります。このゲラの校正の段階で,素人の書き手とプロの書き手の,圧倒的な「差」を見せつけられることになります。これは,毎回,痛感するところです。やはり,活字になるということはたいへんなことですので,それなりにきちんとしておかなくてはなりません。話し言葉は,そんな記憶はありません,で逃げ切ることはできますが,文字は一度刻印されたら消えません。不動の証拠となります。ですから,ほんとうはしっかり校正しなくてはいけません。が,だいたいは,時間を切られていますので,充分なことはできません。その時間を無視してでも校正にエネルギーをそそぎこめるようになれば,一流というところでしょうか。なかなか,その境地に達するには,相当の修行が必要なようです。
しかし,みやび出版の伊藤さんからの連絡では,みなさん,約束の時間内に,しっかりとゲラに朱を加えて,素晴らしい読物に変身しているとのこと。そして,どの論考も素晴らしい,とのほめ言葉。この厳しい眼力のも持ち主の伊藤さんが褒めることは滅多にありません。それを知っているだけに,えっ,ほんまですかっ?と思わずツッコミを入れてしまいました。
ゲラを通読しただけでも,今回の『スポートロジイ』第2号は素晴らしい,とわたしは受け止めていました。それが,もっと推敲されてよくなっているとしたら・・・・,わたしは,いまから刊行が待ち遠しくて仕方がありません。
いま,パリに滞在中の西谷さんも,超多忙の今福さんも,真っ赤になるほどの朱を入れてくださったとのこと,その気合の入れ方になみなみならぬ気魄を感じます。それに比べたら,わたしなどはまだまだ駆け出しだなぁ,と反省することしきりです。
それでも,わたしなりの「思い入れ」は巻頭言に書いておきました。書店で,ぜひ,手にとって確認してみてください。7月20日刊行を目標に,いま,仕事をすすめています。刊行されましたら,入手の仕方など詳しい情報をこのブログでもお知らせしたいとおもいます。
グローバリゼーションと伝統スポーツ,ドーピング問題を考える,が特集の二つの柱です。ちょっと類書をみない内容になっています。その意味では自信作です。乞う,ご期待!
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