2014年4月6日日曜日

IOCの視察団(調整委員会)の役割とはなにか。単なる大名旅行にすぎないのでは・・・・?

 4月5日(土)の新聞に「20年東京五輪へ準備状況問題なし」,IOC調整委員長,という小見出しの小さな記事が載っていた。わたしは恥ずかしながらIOC調整委員会なるものの存在を知らなかったので,慌てて調べてみた。すると,IOC理事会の下部組織として位置づけられた各種委員会の一つであることがわかった。しかし,なにを,どのように「調整」するのか,その役割については知ることができなかった。IOCのHPにも記載はなかった。

 わたしたちは,IOCといえば権威ある国際機関と思いがちであるが,じつはそんな大それた組織でもなんでもないのだ。その実体は,NGO(非政府組織)のNPO(非営利団体)にすぎない。そして,その運営資金は主として放送権料販売とスポンサーシップ収入である。ちなみに,IOCを最初に組織したクーベルタンが会長をつとめていた1925年までは,クーベルタンが個人的に呼びかけて組織した仲良しクラブのような存在であった。運営資金はクーベルタンが個人ですべてを引き受けていた。つまり,きわめてプライベートな組織だったのである。その性格は基本的にはいまも変わってはいない。

 そのIOCの理事会の下部組織である調整委員会のメンバーが視察団として来日し,東京五輪の準備情況を三日間にわたって諮問したり,視察したり,事務折衝を行った,というのである。その記者会見で,IOCのジョン・コーツ調整委員長は「非常に生産的な3日間だった。全てに感服した」と満足感を示し,「現時点で準備状況に関する問題点や要望は<特になかった>」というお墨付きを下した,と新聞は報じている。

 この記事を読んで,思わず「おやっ?」と首を傾げてしまった。
 結論から言っておこう。IOC調整委員会による視察・折衝は単なる大名旅行にすぎなかったのではないか,とわたしは疑念をいだいている。

 手厚い接待をうけ,上等のお土産をもらって,「よくやっている」というお墨付きをわたして,はい,さようなら・・・・これが実態だったのではないか,と。

 この記事の末尾には「IOCは今後も招致時の公約が守られているか監視するとともに,組織委に助言を行う」とある。これを読むかぎりIOCは日本の組織委員会に対して絶対的な権力をもっていることがわかる。IOCの監視や指導・助言は絶対的で,それらを五輪開催国は無条件に受け入れることになっているのだから。

 もし,この考え方に則って,このIOC調整委員会が厳正に仕事をしたとすれば,「準備状況問題なし」という結論にはいたらなかったはずだ。

 第一に,安倍首相がIOC総会で公約した「under control 」について,どのような諮問がなされ,視察がなされたのか。フクシマの事態は,あの総会のときよりもさらに「悪化」の一途をたどっている。この事実を調整委員会は把握したのだろうか。しかも,この事態がつづくかぎり,20年にはさらに「悪化」している可能性がきわめて高いのだ。場合によっては,東京五輪への参加を拒否するアスリートが現れることも十分に予測できる。

 第二に,新国立競技場建造に対して,根源的な疑義が専門家集団によって提起されているにもかかわらず,それに対する説明責任も果たされないまま放置されている,この事実について調整委員会はどの程度まで把握できているのだろうか。

 第三に,五輪関連施設を建造するための資材も労働者も圧倒的に不足しており,それらを補うとすればその予算規模は雪だるま式に膨らんでいく,と予測されている。最終的には間に合うかどうかという危惧さえ,一部ではささやかれている。

 第四に,新国立競技場のデザイン・コンペに関する審査過程がきわめて杜撰なものであったこと,建造物の高さ制限も事後になってから法改正を行うという,一連の不祥事についても当事者たちはすべて「だんまり」を決め込んでいる。こういう人たちが20年の五輪開催をになっているという事実を調整委員会のメンバーたちは,はたして承知しているのだろうか。

 というような具合に,IOC調整委員会が本気で「監視」し,「助言」をするとなれば,きわめて厳しい評価・判定がなされたはずである。しかし,これらには目をつむり,あるいは,なにも知らないまま「準備状況問題なし」とお墨付きを与えたとすれば,かれらのやったことは単なる「物見遊山」であり,単なる大名旅行にすぎなかったのではないか,と思わざるをえない。

 そして,これらの視察団の接待費はどこからひねり出しているのか,それさえ明らかにはされてはいない。それは「招致運動」に要した費用も同じで,その出所も額も明らかにはされなかった。これからも,何回にもわたって「調整委員会」はやってくる。そして,そのつど,莫大な経費を必要とする。それでいて,監視も助言も形骸化した,ほとんどなんの内実もないものでしかない。そして「すべてに感服した」を繰り返すだけの話だとしたら,調整委員会とはいったいなんなのか。いかなる役割をになっているのか,その能力はあるのか,という疑念が際限もなく湧いてくる。

 メディアにIOC調整委員会の存在を「批評」するだけの力量がないのが残念だ。こうして,ほとんど意味のない「物見遊山」が繰り返されることになる。五輪もまた「カタストロフィ」に向かってまっしぐら,そんなイメージを抱くのはわたしだけなのだろうか。 
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