2014年4月3日木曜日

『新国立競技場,何が問題か』(槙文彦・大野秀敏編著,平凡社,2014年3月刊)を読む。

 ひところ,かなり大きな話題になった新国立競技場に関する情報が,ここにきてパタリと流れなくなった。水面下でとてつもないことが起きている,とわたしは睨んでいる。なぜなら,新国立競技場に関する情報を調べていけばいくほど,こんなでたらめな,じつに杜撰な経緯で建造を決定したその経緯がわかってくるからだ。この経緯がすべてオープンにされ,そのすべてがあからさまに世間に報道されたら,東京都民のみならず国民のだれもが腹を立てて,計画の見直しを要求することになるのは必定だ。


 だから,まるで秘密保護法による特別秘密指定事項であるかのごとき扱いを受け,肝腎なことはなにひとつとして公開もされなければ,説明もない。メディアが情報の公開を求めると,近日中にHP上に掲示するのでそれまで待ってほしい,という。それからすでに半年も経過しているが,なにも公開はされていないという。このままでは,東京都民も国民もなにも知らされないまま,新国立競技場は建造されてしまう。国民不在のまま,なにか空恐ろしいことが粛々と進展していく。


 そんな不気味な雰囲気と関連しているのか,不思議なことに,この本の編集担当者の名前がどこにも記されてはいない。出版元の平凡社に対する謝辞もない。ひょっとしたら,編集の途中でどこかから横やりが入り,編著者と出版社の間になにかトラブルが起きたのではないか,と勘繰りたくなってしまう。中に掲載されている写真や図版も,クレジットが書き込まれているものと,なにも書いてないものとが混在している。明らかに編集の乱れ(手抜き)である。つまり,本の体裁をなしてはいないのだ。なぜ,こんな本を平凡社は刊行したのだろうか。そして,編著者もそれでよしとしたのだろうか。不思議である。


 あの理化学研究所ですら,ありえないことが起きている。どこか箍がゆるんでしまって,組織として機能しなくなってしまった,とでもいうのだろうか。いったい,なにがどうなっているのか,まったく,わけがわからない。


 これと同じようなことが,この新国立競技場建造の中核で起きている。その中核をなす組織は「日本スポーツ振興センター」である。もう少し精確にいえば,この組織の下に「国立競技場将来構想有識者会議」を発足させ(2012年3月6日),ここが中心となって新国立競技場建造の話が進められ,いまも進行中である。委員長は元文部事務次官佐藤禎一氏,石原慎太郎前都知事,建築家は安藤忠雄氏のみ。あとのメンバーは建築や都市計画に関しては素人ばかりだという。


 そして,2012年7月20日には,新国立競技場基本構想国際デザイン競技募集要項交付。その中心的役割をになったのは言うまでもなく安藤忠雄氏である。そして,わずか4カ月後の11月16日には最優秀賞案の発表と講評が行われている。このときの審査過程もじつに不透明で,最終審査会にはイギリス人の委員2名は欠席のまま,日本人委員だけで最終結論を出した,と言われている。あえて言うまでもなく,安藤忠雄氏の意のままであった,と推測されている。しかも,その「講評」もきわめて簡単なものであった,という。


 その後,もっと詳しい審査の経緯についての説明を求めたが,安藤忠雄氏は応じていない。にもかかわらず,2013年4月には基本設計開始,つづいて5月7日には第201回東京都都市計画審議会を開催し,神宮外苑地区の地区計画を決定している。ここでなにが行われたのかといえば,神宮外苑地区は長い間,歴史的風致地区として建造物の高さ制限が他の地区よりも厳しかったが,コンペで最優秀賞となった巨大な建造物を可能とするために,それに合わせて高さ制限を緩和することを決定しているのである。つまり,本末転倒である。


 これを見届けた上で,槙文彦氏が『JIA MAGAZINE』(日本建築家協会機関誌・295号)にエッセイ「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を発表(2013年8月15日)。これは東京五輪招致決定前のことである。つまり,東京五輪招致が決まる・決まらないに関係なく,デザイン・コンペの手続きとその審査結果の不可解さを取り上げて,建築家の意見を問うたものである。


 しかし,翌月の9月7日に東京五輪招致が決定したので,この化け物のような巨大建造物がにわかに現実味を帯びることとなった。その結果,槙文彦氏のエッセイが一気に注目を集めることとなり,メディアも大きく取り上げた。その流れを受けて,槙文彦氏を中心とする建築家が集まり,急遽,シンポジウムを開催するとこととなる。興味深いのは,このシンポジウムに安藤忠雄氏の参加が呼びかけられたが,拒否された,という事実である。なにゆえに?


 それが,2013年10月11日に開催されたシンポジウム「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」である。本書は,槙文彦氏のエッセイと,シンポジウムのプレゼンテーション(および質疑応答)とを中心に編集され,刊行されたものである。サブタイトル「オリンピックの17日間と神宮の杜の100年」が効いている。巻末には「新国立競技場に関する要望書」および「新国立競技場計画に対する見解〔要望書附属資料〕」が付せられている。


 内容はけして過激な批判ではなく,きわめて穏便な槙文彦氏を中心とした人びとの理詰めの発言で構成されている。しかも,このシンポジウムを契機にして,市民運動まで展開されているというのに,なぜか,メディアは無視しつづけている。その意味では本書の刊行はきわめて重要である。なにが,どのように議論されたのか,ここにすべてが収録されているからだ。


 ひとりでも多くの人がこの本を読み,なにが問題なのかを熟知した上で,さらに大きな運動の輪が広がっていくことを期待したい。

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