2014年4月8日火曜日

「戦後レジーム脱却」──戦後史にゆがみをもたらす乱視鏡(西谷修×小森陽一対談)に注目。

 雑誌『世界』5月号(8日発売予定)に表題の対談が掲載されています。朝日カルチャーセンター新宿での対談(1月28日・講座「現代社会への視点」)を編集して,密度の濃い,しっかりとした読み物になっています。西谷さんと小森さんは年に2回,朝日カルチャーセンターで対談を,ここ数年,つづけていらっしゃると聞いています。ですから,お二人の呼吸もぴったりで,もののみごとに問題の本質に迫っていきます。この迫力はこのお二人でなくてはでてこないのではないか,と思います。

 
この対談の大きなポイントは,安倍首相の「暴走」がどこからはじまるのか,そして,その「暴走」はどこに向かっていくのか,ということを徹底的に論じているところにあります。そして,その「暴走」のはじまりを自民党結党以来の「戦後レジーム」のねじれを安倍首相が「錯誤」してしまったために,そこからの脱却の手法もまたとんでもない「逸脱」となってしまっていると論じています。しかも,ここにきて明らかになってきたことは,第二次世界大戦前の「強い国家」に向かってまっしぐら,という体たらくである,と断じています。それは,戦後史にゆがみをもたらす「乱視鏡」以外のなにものでもない,と。

 わたしの頭のなかにあったもやもやした曇りガラスが,これを読んですっかり取り払われ,とても見晴らしのいい高台につれてきてもらったような,いい気分です。このお二人には,いつものことながら,こころから感謝です。

 この対談のすべてを紹介することはできませんが,一つだけ,対談の冒頭で展開されたとても刺激的な話題を紹介しておきたいと思います。

 一つは,安倍首相がかかげる「積極的平和主義」というスローガンです。
まず,小森さんが懇切丁寧にこの「積極的平和主義」を首相が打ち出す背景について説明をしてくれます。安倍首相が「積極的平和主義」を言い出したのは2013年9月からで,以後,国連総会でこれを強調し,10月15日の臨時国会所信表明演説では「三つの現実」があるために,積極的平和主義が求められている,と述べます。「三つの現実」とは,一つは尖閣諸島をめぐる緊迫した状況,二つにはジプチの海上自衛官の現実,三つには非常に厳しくなってきた安全保障の現実,を指摘しています。このあとの詳しい経緯については省略しますが,その最終的な目的は「集団的自衛権の行使」を可能とするための憲法解釈を導き出し,憲法9条の改憲に向かう・・・,つまりは立憲主義の抹殺だ,と小森さんは強調します。

 この話題を受けて西谷さんはつぎのように語ります。
 「積極的平和主義」とはもちろん,「平和主義」を空洞化させるレトリックです。平和のために戦争を構える,というわけだから。ものの言い方で内容をひっくり返してしまうこういう言語戦略は,9・11以降のアメリカが駆使しました。その筆頭が「テロとの戦争」です。戦争とは通常,国家間でするもので,そこにはルールがあり,双方が責任を持たなければなりません。ところが,「テロとの戦争」では,相手は国家ではないとされ,宣戦布告も講和もいらない。自らが敵がと名指ししたものを殲滅することができるのです。いまり,「テロとの戦争」は,テロとまったく同じ構造をしており,テロ殲滅のためのあらゆる無法な措置が,予防として正当化されるのです。同様に,「積極的平和主義」とは,ただ戦争をなくすというのではなく,戦争になりそうな存在をすべて力で抑えこんで,あらかじめ潰すというレトリックです。そのためには軍備を強化しなければならない。そして武器を使って敵とみなした人を殺す。積極的平和主義とはつまるところそういうことでしょう。

 というような具合に,お二人の対談は冒頭から熱を帯びています。この対談に付された「小見出し」を拾っておきましょう。それをみるだけで,内容を読んでみたくなること請け合いです。
 〇「積極的に」平和主義を空洞化させる
 〇異次元のえげつなさを見せる安倍政権
 〇戦後すぐに生じたねじれ
 〇ズレと覚悟の安倍首相
 〇人間を損なうアベノミクス
 〇希望は「自発的隷従」を拒否することから

 これらのどのパーツも,お二人による鋭い切り込みと,そこに横たわる根源的な問題の抉りだしに満ちあふれています。あとは,どうぞ,直接,手にとって読んでみてください。溜飲の下がる思いがするはずです。乞う,ご期待,です。
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