2014年4月12日土曜日

とうとう「原発稼働ゼロ」方針を撤回した安倍政権。原子力ムラのいいなり。

 どさくさに紛れて矢継ぎ早に「閣議決定」というカードを切り続ける安倍政権。国民は「猫だまし」にあったように,一瞬,あっと驚くが,翌日にはまた新たな「閣議決定」。これが繰り返されると,それが日常化してしまい,国民の多くは「思考停止」してしまう。テレビは「首相談話」だけを一方的に繰り返し垂れ流す。国民の圧倒的多数は無意識のうちに「操作」され,いまや,官邸のいいなり。いや,官邸を動かしている原子力ムラのいいなり。

 その結果は,なにより「国民不在」。いや,「国民無視」である。いやいや,国民は虫けら同然。使い捨て自在の道具でしかない。原子力ムラと官邸は一心同体となって,国民の命を犠牲にして,みずからの利益を守ることに猛進。その姿勢が,恥じも外聞もなく,露骨にでてきた。ただ,それだけの話。それが自分たちの首を締めることに等しいということも知らずに・・・・。

 「政府は11日,国のエネルギー政策の指針となる新たな『エネルギー基本計画』を閣議決定した」。これが今日(12日)の東京新聞一面のトップ記事の書き出しである。つづけて「原発を『重要なベースロード電源』と位置付け,原子力規制委員会の基準に適合した原発を再稼働させ,民主党政権が打ち出した2030年代の『原発稼働ゼロ』方針を撤回することを正式に決めた」と報じている。

 そこで,この基本計画をチェックしてみる。そこには,再生可能エネルギー導入をも最大限加速させ,その後も積極的に推進する,というようなとってつけたような文言も入っている。実際にも,テレビで流れた首相談話でもこのことを力説している。だから,このことばの影に「原発再稼働推進」の主張がかすんでしまう。また,それを意図した談話の発表の仕方であり,メディアの編集の仕方である。それを計算に入れた安倍首相の得意技(めくらまし談話)である。

 しかし,その一方では,「計画案の了承に向けた与党協議が大詰めを迎えた3月下旬。経産省資源エネルギー庁の担当課長は,再生可能エネルギー導入の数値目標の明記を求められ『できません』と拒否した。『その態度はなんだ』。要求した自民党の長谷川岳参議院議員によると,課長は椅子に反り返り,足を組んだまま受け答えしたという。長谷川氏の激怒で協議は中断した」という実態がある。

 要するに,再生可能エネルギーの導入は,国民の目を欺くための,たんなる文言だけの話であって,原子力ムラも官邸も本音はまったくやる気はないということだ。その実態は,いまも遅々として進まぬ再生可能エネルギーの推進状況をみれば明らかだ。音頭だけは推進のボーズだが,実際にはなにもしない,むしろ,足を引っ張っているのが現実だ。

 かくして,安倍首相の「ごまかし」戦略が日毎に顕著になっている。つい最近では,全面改定された「武器輸出三原則」は,この表現の代わりに「防衛装備移転三原則」を用いることになったという。こうして,内実が見えない文言に変えることによって,国民の目を欺こうというのである。しかし,よく考えてみると「防衛装備」とは「武器」を意味することになり,「移転」とは「輸出」をも意味することになる。となると,国語辞典に新しい「語釈」を追加する必要がある。

 こんな愚かなことまでして,国民の意識を「操作」しようとする政権を,若者たちが支持しているというのだから不思議である。若者たちが,この暴走をはじめた政権を面白がって追随していこうとする心情はどこからくるのだろうか。それは若者だけではない。支持率がいっこうに下がらないという事実の背景にあるものはなにか,本気で考えなくてはならないところにきている。

 鬱屈した国民感情,一向にさきが見えてこない絶望感,ますます生きにくくなる人間関係,日常の凡庸化・空疎化,コミュニケーションの「機械化」「モノ化」,などなど。どこか,1930年代のドイツ・ヒトラーが選挙によって多数を独占し,一気にファシズム化していったときの雰囲気に似ている気がしてならない。これがわたしの単なる杞憂に終わればいいのだが・・・・。

 日本国はいま「カタストロフィ」に向かってまっしぐら。にもかかわらず国民の多くは「茹でカエル」。無反応。
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