2014年4月12日土曜日

八重桜が満開。いつもの道を歩きながらの花見。

 
 
 
 

 安倍政権が,気が狂ったように,いな,まさに狂いっぱなしのまま暴走をつづけるなか,自然は偉大です。どんな世の中になろうと,自然の法則どおりに季節がくれば開花し,実をつけ,落葉し・・・をごく当たり前のこととして繰り返します。

 駄目なのは,動物の世界から<横滑り>して,突然変異を起こした「サル」です。その成れの果ては,ことばを獲得し,考えることを覚え,飛び出してきた自然をみずからの欲望のままに支配しようとしてきた「人間」です。そして,いまではお互いの欲望と欲望とがぶつかり合い,無駄な消尽を繰り返すばかりです。懲りることもなく・・・・。

 フクシマの避難地域の桜の名所も,毎年,間違いなく満開の花を咲かせています。「ことしは,例年よりも綺麗に咲いているような気がする」と元住民の方がボツリとつぶやいた姿をテレビでみました。「だれもみる人がいない・・・・。それがなにより寂しいし,残念だ」とも。みんな避難させられて,だれも住民がいなくなってしまっても桜は無心に生きつづけ,時節がくれば花を開きます。まるでなにごともなかったかのように・・・・。

 それを考えると人間さまは駄目ですね。目先の欲望にとらわれて,全体をみる目が欠落したまま,無駄な労力を費やすことになります。そこから目を覚ますそぶりもみえてきません。どうしてこんな中途半端な動物になりはててしまったのでしょう。

 こんなことを考えているうちに気持が滅入り,落ち込んでしまったわけではありませんが,ことしも花見はできませんでした。仕方がないので,鷺沼の事務所に通う道すがらの花見でよしとすることにしました。鷺沼は駅前のロータリーの桜もみごとですが,旧道沿いの商店街の桜並木もみごとです。ぶらりと一往復することも何回も試みてみました。でも,ひとりだけの花見は寂しいものです。

 やはり,なじみの顔がそろってゴザを敷き,車座になってお重でも開いて,一献傾けながら心置きなくワイワイやるのが一番。でも,それをやるには相当にエネルギーが必要なんだということが,加齢とともにわかってきました。いつしか,歳とともに億劫になり,まあどうでもいいや,と簡単に諦めてしまうのです。これこそ老化現象なのでしょう。

 ことしは,鷺沼の事務所に通ういつもの道すがらの花見で終わりそうです。今日(12日)はカメラを持っていましたので,いつもの植木屋さんの屋敷に咲いている八重桜を撮ってみました。ついでに,この八重桜に並んで植わっている緋色のもみじ,黄緑の新緑が輝いてみえた名前のわからない木,それとヒイラギ。花が終わって実をつけていました。やがて,色づいてくると,これまた美しく輝いてきます。

 この植木屋さんには,一年中,お世話になっています。無断で,立ち止まっては,あちこち眺め,写真を撮らせてもらっています。一度だけ,ここの主人と会話をしたことがあり,いろいろと樹木の名前を教えてもらいました。桜だけでも,河津ざくら,緋寒桜,しだれ桜,染井吉野,八重桜,もう一種類(名前を忘れてしまいました)があります。少しずつ時間差をつけながら開花しますので,この季節はとても楽しみでもあります。

 政界全体の体たらくにこれほど絶望したことが過去にあっただろうか,と思いを巡らしながら鷺沼の事務所での時間を鬱々と過ごしています。救いは自然の力だけです。いつに変わらぬ大自然の運動だけは嘘をつきません。人間もまた自然存在であることを,もっともっと自覚的に生きるすべを身につける必要がある,とわが身に言い聞かせながら・・・・。いまも,空を仰いでいます。
 
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