2014年4月19日土曜日

「立憲デモクラシーの会」結成(4月18日)。大きな輪になるよう支持・支援したい。

 憲法の「解釈」を見直して,戦争ができる国にする(集団的自衛権の行使)というとんでもない暴走をはじめた安倍内閣の姿勢に,「待った」をかけようという学者たちが立ち上がった。しかも,憲法学や政治学といった特定の専門領域の学者たちに限定しないで,広く哲学,経済学,文学,物理学などの分野の学者たちも取り込んだ点が,これまでの護憲運動とは一味違う視野の広さと重みをもつことになり,大きな特徴となっている。

 その名は「立憲デモクラシーの会」。4月18日(金),会設立の報告記者会見を衆院第二議員会館地下の会議室で行った。記者会見した10人の呼びかけ人のなかには,わたしにも馴染みのある西谷修(哲学・立教大学特任教授),小森陽一(文学・東大教授),金子勝(経済学・慶応大学教授),山口二郎(政治学・法政大学教授)といった人びとの名前もある。こうなると他人事ではなくなる。

 わたしもスポーツ史・スポーツ文化論を専攻する学者のはしくれのつもりである。そして,わたしはわたしのスタンスから,「解釈改憲」を目指す安倍内閣の姿勢にたいして大いなる疑念をいだいてきた。だから,可能なかぎり「9条の会」や「96条の会」や個別に開催されるシンポジウムなどにも参加し,問題の本質を学びながら支持・支援の意思表明をしてきたつもりである。

 そこに今回の「立憲デモクラシーの会」の結成である。わたしの方から手を挙げてでも,会の支持・支援の意思表明をしていきたい,と考えている。そして,「スポーツ学」(Sportology)にかかわる研究者仲間にもその輪を広げていきたい,と。つまり,自分の手のとどく,自分の専門領域の足元から,この運動の輪を広げていきたい,と。

 今日の東京新聞の記事から,話題を拾ってみると以下のとおり。

 「解釈変更は法や政治だけの問題に限らない」

 哲学者の西谷氏は会見で,会に賛同した理由を説明。「哲学は言葉に強くこだわる学問だが,首相は合議や手続きもなく(9条など)言葉の意味を変えようとしている。合議をせずに原則を崩せるなら,全ての制度も好きに変えられてしまう」と力説した。

 専門家の横断的な動きは,安倍政権が改憲に踏み込もうとしたり,憲法が保障する国民の権利をないがしろにするような政策を押し通そうとするたびに,自然と広がってきた。

 首相が政権復帰後,改憲手続きを定めた96条の要件緩和に意欲を示すと,憲法学者と政治学者を中心に「96条の会」が誕生。文学者やメディア研究者も加わって「立憲主義の破壊だ」と世論を喚起し,96条改憲論は下火になった。

 という具合につづく。
 今回の「立憲デモクラシーの会」も,「96条の会」のようなはたらきができることを期待したい。問題は,どこまでその運動の輪を広げることができるかどうかにかかっている。憲法の根幹にかかわる解釈を合議もなしに変更しようという暴挙は,なにがなんでもストップをかけなくてはならない。話を簡単に要約しておけば,戦争を容認するのか,それとも,あくまでも戦争放棄を守り平和主義を貫くのか,という岐路にいまわたしたちは立たされているのだ。

 憲法第9条で,戦争放棄を宣言してまもなく70年になろうとしている。この「9条」をノーベル・平和賞の候補に推薦する努力がみのって,受理されたという報道がつい最近あったばかりだ。もっと大きなニュースとなってしかるべきなのに,メディアはマヒしてしまっている。いな,安倍内閣に「自発的隷従」の姿勢を示している,と言うべきだろう。

 いまや,地方自治体の会議室やホールを借りるにも,政権の顔色をうかがいながら,その許認可を判断している状況になってきている。場合によっては,この「立憲デモクラシーの会」の集会も,地方自治体によっては許可しないところもでてくるのではないか,そんな危惧さえ感じられる。すでにして恐るべき時代・社会に突入しているのだ。

 「政権と民意のギャップが広がっている」(山口二郎),「今ほど憲法9条が危機にさらされていることはない」(小森陽一),などの声をしっかりと受け止めて,わたしたち一人ひとりが腹をくくらなくてはならない,とわたしは考えている。その意味で,今回の「立憲デモクラシーの会」の旗揚げにこころからの声援を送りたいと思う。

 地球が活動期に入ったのと同調するかのように,人間の意識も大きな変動期に入った,とわたしは考えている。まさに,正念場を迎えた,と。
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