2014年10月16日木曜日

「金鶏独立」ということについて。李自力老師語録・その52.

 鶏は,移動する必要がないときには,一本足で立っています。鶴も,静止しているときには,一本足で立ちます。しかも,ぐらりともしません。安定そのもの。ピタッと静止してビクともしません。けして,力んでいるわけでもありません。むしろ,羽を休めて,リラックスしているようです。これが,太極拳の片足立ちの姿勢の理想です,と李老師は仰います。

 24式太極拳のなかでも,とりわけ魅力的な動作の連続のひとつに,ガオタンマ(高探馬)からヨウドンジャオ(右〇脚)〔〇は足偏に登,以下同じ〕,そして,スゥアンフォングァンアル(双峰貫耳),さらに,ズゥアンシェンヅゥオドンジャオ(転身左〇脚),さらにはヅゥオシァシドゥリ(左下勢独立),ヨウシァシドゥリ(右下勢独立)とつづく動作があります。これらの動作にはすべて「独立」(ドゥリ)の姿勢が含まれています。

 つまり,一本足で立つ動作,これが太極拳でいうところの「独立」(ドゥリ)です。このとき「金鶏」になりなさい,と李老師は仰います。金の鶏。なるほど,鶏のなかでも秀でた鶏。すなわち,金鶏は必要がないときには黙って一本足で立っている,というわけです。まるで,瞑想でもしているかのように。この心境になって「独立」の動作をしなさい,と。

 とくに指摘してくださったのは,ドンジャオ(〇脚)のときの「独立」(ドゥリ)の姿勢。無理をして脚を高く挙げる必要はありません,と。場合によっては,足先を床につけていても構いません。それ以上に必要なことは「安定」です,と。つまり「独立」(ドゥリ)の姿勢が安定していること,すなわち片脚で立ったときの上体の姿勢がピタッと安定していること,これが一番大事なことです。無理をして脚を高く挙げてもふらふらしていたらなんの意味もありません。なによりも「安定」が最優先です,と。

 この指摘は,もっぱらこのわたしに向けてなされた李老師の警告でした。仲間のほかのみなさんは,みんな汗びっしょりになって稽古しているのに,わたしだけが汗をかきません。その原因は,こころもからだも緊張させすぎているからだ,と李老師は仰います。からだの筋力は必要最小限に抑え,あとはできるだけ全身の筋肉を弛緩させたままの状態で動作をしなさい。そうすれば,からだの中心から汗が流れ出てきます。このことが,じつは,太極拳の稽古にとってはとても大事なことなのです,と。なぜなら,こういうからだになることによって,気の流れがどんどんよくなってくるからです,と。

 そこで,ハッと気づいたのは,体操競技をするからだから,太極拳をするからだへの転身ができていない,ということでした。わたしは若いころに体操競技をやっていました。この身体は西洋的なもので,全身をつねに引き締め,力強さと伸びきった姿勢の高さが求められました。ですから,一時もからだの筋肉を「緩める」などということはありません。いつも引き締めています。それに対して,太極拳するからだは,それとはま逆です。腕の力を抜きなさい,肩の力を抜きなさい,股関節を緩めなさい,膝・足首の曲げ・伸ばしはゆっくりと柔らかく,つぎの動作に移るときには沈しなさい・・・・という具合です。

 このことは頭のなかではしっかりわかっているつもりです。しかし,からだは頭よりも正直です。若いときに叩き込んだからだの記憶はそんなに簡単には消えません。これを,まずは,消すことからはじめなくてはなりません。いやはや,とてつもない課題を李老師からいただいた,と自戒をこめて反省しています。

 体操競技をするからだから,太極拳をするからだへのスウィッチの切り換え。
 そして,「金鶏独立」。「安定」。「独立」。

 稽古の目標がはっきりしてきました。頑張ろう,いやいや,頑張らないで,こころもからだも弛緩させること,そして,からだの声に耳を傾けること。ひょっとしたら,とてもいい地平にでてきたのかもしれません。なにか未知の世界がみえてきそうな予感が・・・・。たぶん,そこが「金鶏独立」の境地なのではなかろうか,と。

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