2014年10月2日木曜日

栃木県佐野市。国家の根幹をなす日本国憲法の議論を禁止する地方自治体とはなにか。

 この日本国では,国家の根幹をなす日本国憲法を公開で議論することすら許されない,というのでしょうか。こんな国家が世界のどこに存在するのてしょうか。わたしは聞いたことがありません。しかも,現行の日本国憲法を守ろう,という憲法擁護論が地方自治体によって弾圧されるとは・・・・。こんなことが許されていていいのでしょうか。

 しかも,その理由が「政治的だから」という。とんでもない。では,学校教育で憲法を教えることもいけないというのでしょうか。日本国民として,だれもが知っておかなければならない必須の教養です。ですから,わたしたちが大学の学生のときには,「憲法」という授業科目があり,教職教養の必須科目でした。この単位を取得しないと,教員にはなれませんでした。ですから,こんにちまで,「憲法を守ろう」という主張の集会には,地方自治体も率先して後援者となり,会場も提供してくれる,というのがごく当たり前のこととして行われてきました。

 ところが,ここにきて,突如として「護憲運動」が「政治的」であるという理由で,地方自治体が弾圧をはじめました。なんということか,とんでもないことです。あきれてものも言えません。地方自治体が弾圧すること,そのことこそが一方的な「政治的」行為ではないですか。そのことにすらも気づいていないのでしょうか。

 憲法に関しては,護憲派も改憲派も,堂々と公開で議論すればいいのです。そのために地方自治体の施設は解放すべきです。憲法について,その是非を議論することは,すべての国民にとってもっとも重要なテーマです。国民の総意で決めるべき,最大のテーマです。それを,なにゆえに,一地方自治体の意思で弾圧することが許されるのでしょうか。

 栃木県佐野市の市民はいったいどのようにこの事態を受け止めているのでしょうか。

 とんでもない,国家の一大事にかかわる大ニュースにもかかわらず,大きな話題にもなりません。マス・メディアもまた,いつものとおり,ほとんど無視。寝たふりをしています。そして,どうでもいいニュース(ポピュリズムを煽り立てるようなニュース)ばかりをしつこく追いかけまわし,読者・視聴者の関心をその一点に惹きつけることに専念しています。それは,明らかに問題の本質のすり替えです。国民の眼を,別の一点に集中させて,眼くらましをかませよう,という悪意がそこにはみえみえです。

 それはなにを隠そう,この国の手のつけられない間抜けな宰相が常套手段として用いる「問題のすり替え」を,そのまま模倣しているだけです。なぜ,マス・メディアはそんなことをするのか。「自発的隷従」です。それほどまでに,いま,水面下での政府の弾圧が強くなっているということです。その構造は,日本政府が,率先垂範しているように,アメリカに「自発的隷従」するのと,まったく同じ構造です。

 とうとう日本国憲法という魂を売って,テロとの戦いのために武装しようという,まるでゲーテの『フアウスト』のような話が,いま着々とこの国では進行しています。それが,とうとう,栃木県佐野市にも亡霊のように立ち現れ,アホな宰相に「自発的隷従」の姿勢を示した,ということなのでしょう。本来ならば,日本政府から「注意」があってしかるべきなのに,なんのお咎めもないようです。これまた,まるで,ヘイト・スピーチを野放しにしているのと,瓜二つです。

 いったい,この国は,どこまで転げ落ちていくのでしょうか。まるで雪だるまのように。
 いつになれば,多くの国民が目覚めるのでしょうか。
 火の粉が,わが身にふりかかるまで,「待つ,しかない」のでしょうか。

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