2014年10月18日土曜日

前後に移動するときの脚の運び方は歩行運動と同じです。その2。李自力老師語録・その54。

 鷺沼の事務所には,天気がいいかぎり毎日通っています。駅から事務所までの道順は日によって異なりますが,いずれにしても,ひとつの小さな峠を越えなければなりません。ですから,行きも帰りも,登って下る,を繰り返します。行きは登りが少なくて,下りが多い。帰りはその逆になります。ですから,むかし入れ込んだことのある山歩きの小型版を,日々,楽しんでいるという次第です。しかも,パソコンと本を入れた少し重いザックを背負いながら。

 このときの歩行運動は,平地の移動(ロコモーション)とはいささか異なります。もちろん,登りの歩き方と下りの歩き方も異なります。ですから,この道を歩くときは,むかし身につけた山歩きの技法を,無意識のうちに用いています。

 しかし,最近になって,脚力が衰えてきたせいか,この登り・下りの歩き方を意識するようになりました。一歩,一歩,考えながら。そのむかし,初めて本格的な登山に連れていってもらったときのように。この一歩が大事なのだ,とからだに染み込むまでには相当の時間がかかりました。そして,いつのまにやら,いわゆる山屋の歩行法というものを身につけました。そんなことを思い出しながら歩いているとき,突然の天啓が降りてきました。思わず「アッ!」と声を挙げてしまったほどです。そうか,そうだったのか,と。

 そうです。この山屋の歩行法と太極拳の「歩行」の仕方とはほとんど同じなのです。

 山屋の歩行法とはつぎのようなものです。
 わたしが熱中した登山は,一週間ほどかけて歩く,いわゆる縦走登山でした。ですから,一回の登高には40~50㎏ほどの重いザックを背負うことになります。これだけの荷物を背負って歩くとなると,ふつうの歩行では不可能です。まずは驚異的な脚力が必要です。それと,脱力の仕方,および,バランス感覚。

 たとえば,右脚から左脚へと一歩を踏み出します。そのとき,右脚はただ体重を支えて立っているだけではありません。それとなく重心をほんの少しだけ下げて,その反動をつかって左脚を踏み出します。つまり,沈しているわけです。そして,左脚が着地して,そちらに体重が移動するとき,左脚は足首・膝・股関節のすべての関節をつかって,柔らかく体重を受け止めます。そして,全体重を左脚一本で支えます。体重から解放された右脚は,できるだけ脱力して,ぶらぶらの状態でゆっくりと前に送り出されていきます。この送り出されていくときに,左脚はそれとなく沈しています。そして,右脚のかかとが着地するまでは,左脚一本で,ゆるぎなき安定感を保ちながら,しっかりと立っています。つまり,ドゥーリ(独立)しています。

 これが重い荷物を背負ったときの山屋の歩行法です。これが完全に身についてしまいますと,ふつうに都心の歩道を歩いているときでも,ほんのわずかですが,上に書いたような動作が表出してしまいます。もちろん,一般の人には見分けはつきませんが,同じ山仲間たちの眼にはすぐにわかります。「山屋が歩いている」と。

 この一歩の踏み出し方と体重の掛け方,そして,独立,その上で体重から解放され脱力した反対側の脚を前に送り出す,この繰り返し。やや「がに股」になることも含めて,山屋さんの歩き方と太極拳の前進するときの脚の運び方とは,なんとよく似ていることでしょう。

 これで,わたしの中には,ひとつのイメージはできあがりました。あとは,実践あるのみ。ただ,ひたすら稽古をして,無意識のうちにこの前進の仕方が身につくまで,繰り返しくりかえし,からだに叩き込むのみ。言うは安し。行うは難し。

 たぶん,いまの脚力では不可能。約五割増,少なくとも三割増くらいを目指して脚力を強化することが先決なのでしょう。それも含めて,李老師のような「ゆるぎなき脚の運び方」を目指して,わたしの体力に合った脚の運び方,つまり,前進の仕方を研究してみたいと思います。

 なお,山屋さんの歩行法には「後進」はありませんので,こちらは,また,別の発想で研究してみたいと思います。

 以上,歩行運動の考察まで。
コメントを投稿