2015年4月22日水曜日

茹でガエル亡国論・その1.茹でガエルとはなにか。総論。

 茹でガエル。

 だれがいい始めたのかは知らないが,どこかでみかけたとき,「うまいっ!」と感心し,以後,わたしも多用させてもらっている。まことに言い当てて妙。

 たしか,わたしの記憶では,「カエルは変温動物なので,周囲の温度の変化に,ほとんど抵抗なく適応していく。冬になれば冬眠まですることができる。そして,春になれば眼を覚まして,またもとどおりの生活をはじめる。これは優れて環境への適応能力というべきである」と持ち上げたうえで,つぎのようにつづられていたようにおもう。

 「最近の日本人は,快適な環境温度にどっぷりと順応し,いつのまにか温度が必要以上に高くなっているのも気づかないまま日常生活を送っているうちに,気づいたら筋肉が茹で上がってしまって,もはや身動きならないからだになってしまった。そして,国家権力のなすがまま,無抵抗。それどころか自発的に隷従している方が楽だという技をも無意識のうちに身につけ,ついには思考まで停止してしまった。もはや,完全に茹で上がったカエルも同然。かくして,国家権力は,あとは,邪魔にならない程度に飼い馴らしておけばいい。これで清き一票もやすやすと手に入る。妙に目覚めたままでいるカエルは脅すなり,排除するなり,あるいは,食すなり,掃いて棄てるなり,殺処分にすればいい。かくして盲目的多数派工作は完了である。」

 「それでもなお,しぶとく自己主張をする輩が生き残っているので,こちらは目立たないように恫喝をかけておけばいい。とりわけ,報道機関の垂れ流す情報のうち,国家権力にとって都合の悪い情報を流す報道機関に対してだけ,裏でこっそりと厳重に注意を与えればいい。それでも足りない場合には,堂々と調査委員会なるものに呼び出して,密室であからさまに恫喝すればいい。それでも,世間一般には,ただ事情を聴取しただけ,ととぼけておけばいい。」

 「かくして,メディア・コントロールも思いのまま。かくなるうえは,長年にわたって夢にまで見,思い描いてきた理想の国家づくりに励めばいい。そう,憲法9条という看板をはずし,戦える軍隊をもち,堂々と戦争のできる国家をめざして。いまや,準備万端整えり。いざや,いざ。」

 というようなことがつづられていたと記憶する。あまり自信はないが・・・・。

 以下はわたしの感想。

 しかしながら,茹でガエルを大量生産することには成功したものの,その一方で,茹でガエルになることを拒否しつづけている強力な分子も少なからずいる。この分子たちが,少しずつ,異議申し立てをしはじめている。それぞれのやり方で。それに反応して,なんとなく変だと気づきはじめた茹でガエルも,多くはないが出はじめている。

 国家権力が,唯一,展望を誤ったのがオキナワだ。沖縄にだけ特化した振興予算などというエサをほどほどにばらまいておけば,どうにでもなる,と甘く考えてきたオキナワだ。しかし,この手で何回も騙されつづけてきたウチナンチュも,こんどばかりは騙されなかった。長年にわたる艱難辛苦と向き合い,かつ,日常的な騒音と危険と向き合い,おまけに,約束を無視した巨大な「軍港」にも等しい辺野古新基地建設という,日米合意を楯に,日本国という権力による一方的な暴挙を目の当たりにするにつけ,ウチナンチュは立ち上がった。
 
 ウチナンチュを茹でガエルにしないように頑張ったのは,オキナワのジャーナリズムだ。とりわけ,沖縄2紙といわれる『沖縄タイムス』と『琉球新報』だ。この2紙が競い合うようにして,オキナワの置かれているありのままの現実を包み隠さず明らかにし,県民が重要な判断をくだすための情報を提供しつづけてきた。この功績は大きかった。わたしは,このことの重大さを,この一年間のネット購読者としての経験で知った。じつにわかりやすく,懇切丁寧に,しかも,何回にもわたって,辺野古新基地建設に関する経緯(歴史的事実)を説明しつづけてきているのだ。それは,いまも,つづいている。

 先日の翁長知事と首相との初の対談が終わった直後には『琉球新報』は号外を発行して,町行く人びとにばらまいた。翁長知事に与えられた5分という冒頭の発言時間を,約束を破って,たった3分で中断させ,報道陣を追い出しことや,全部で,たった35分の対談であったことや,それも官邸側が一方的に打ち切ったこと,などが報じられている。そして,翁長知事が「辺野古新基地建設は断じて許さない」と首相に迫ったことを,圧倒的に支持する声明文ともなっている。

 ついに,死んだふりをしていた獅子が眼を覚まし咆哮した。ウチナンチュはまったく新しい局面に向かって勇気ある第一歩を踏み出した。この沖縄県民の圧倒的支持に背中を押された翁長知事の決断に,慌てたのは官邸の方だ。それでもなお,,本土の思考停止した茹でガエルに支持されている政府自民党が,民主主義を無視してでも,押し切ろうとするのか。

 ことここにいたって,ついに,「茹でガエル」が恐るべき暴力装置として,新しい歴史の扉の前に立ちはだかり,沖縄県民の意思を踏みにじってしまうのか,きわめて重大な局面を迎えている。これを名づけて「茹でガエル亡国論」。

 次回からは,このテーマを少しずつかみ砕いて,各論を展開してみたいとおもう。ご批判をいただければ幸いである。
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