2015年4月21日火曜日

からだの「知」・その2.免疫力=自然治癒力に秘められた「知」。

 赤ん坊や幼児は,興味・関心をいだくとすぐにそれを手にとり,口にもっていく。清潔であるか,汚れているかは問題ではない。とにかく手で触れて,口で確認する。これはもう遺伝子に刷り込まれたからだの「知」としかいいようがない。知や意識がはたらく以前のからだの,素のままの反応だ。いわゆる純粋経験。

 しかし,そのお蔭で,幼児は母親からもらった免疫力から自立して,自分の免疫力を獲得していく。その功労者は「汚れたもの」だ。つまり,非衛生的なものだ。ありとあらゆるからだにとっての「異物」,つまり,バイ菌を筆頭とするさまざまな「異物」(抗原)がからだの中に入り込むことによって,それに対抗する「抗体」をつくる。これが免疫力を高める基本原理だ。だから,一定の「異物」がからだの中に入ることによって,免疫力は維持され,さらに高められていく。

 いわゆる「抗原抗体反応」は,人間の理性とは別物だ。つまり,からだの自律的なはたらき以外のなにものでもない。これを,わたしは,からだの「知」と名づける。からだは理性とは関係なく,みずからの原理原則をもっている。そうして,その原理原則にもとづいて,その機能を高めたり,低めたりしている。だから,かんたんに言ってしまえば,一定の「汚れたもの」(異物)が,周期的にからだの中に入り込むことが免疫力を維持し,高めていく上では不可欠なのだ。

 にもかかわらず,世はあげて衛生管理主義が徹底している。つまり,「衛生的」ということばに弱い。衛生的によくない,と言われるとすぐにそれに従う習性が身についてしまっている。科学万能主義や科学神話が徹底した結果なのだ。だから,世の中の組織や制度も「衛生的」に構築されてしまっている。その最先端に学校教育が大きな役割を果たしている。

 外出から家にもどったら,すぐに「手を洗い」ましょう,「うがい」をしましょう,と教えられる。母親もそのように教える。だから,子どもたちは,みんな条件反射のようにして,なんの疑問もいだくことなく,「言われたとおり」に手を洗い,うがいをする。こうして,バイ菌をからだの中に入れないようにしているのだ。とても清潔で,衛生的で,よろしい,ということになる。

 名づけて「衛生帝国主義」。しかしながら,この結果は,免疫力の低下だ。だから,一年中,ちょっとしたことですぐに体調を崩す人間が激増している。というよりは,医療依存症というべきか。なにか,からだに少しでも変調がみられるとすぐに病院にいく。そして,医師に診てもらって処方をしてもらい,薬をもらって帰ってくる。医師も診療点数を稼ぐためにせっせと薬を処方する。患者の多くは,ただ,それだけで安心立命している。

 からだの異変が尋常ではない場合には,医師に診てもらう必要がある。しかし,ちょっとからだがだるい,その程度の異変でも,すぐに医師のところに行って薬を処方してもらって,それを飲む。あるいは,自分でそれらしき薬を買ってきて飲む。流行性感冒でもはやろうものなら,予防注射までしてもらうご時世だ。食品関係を直接扱うような特殊な職業の人であればともかくも,ごくふつうの生活をしている人も列をなして予防注射をしてもらう。

 これでは,折角の「抗原抗体反応」のしくみを稼働させる絶好のチャンスを,みずから放棄するに等しい。その結果は,免疫力の低下だ。だから,ますます風邪を引きやすくなる。そして,常時,医者のお世話になる,という悪循環に陥る。このことに気づいていない人は意外に多い。

 ここには多くの問題が隠されている。一つは,自分のからだと向き合って,考える機会をみずから放棄していること。つまり,「思考停止」。もう一つは,からたの「知」力を高める機会,つまり,免疫力を高める機会を放棄していること。もっと言っておけば「自然治癒力」の放棄である。その結果が,医師・薬依存症への道だ。すなわち,人間が人間であることを放棄して,人間ではなくなる,「事物化」への道だ。そして,医療費の高騰だ。ここからさきのことは,いずれまた機会を改めて書くことにしよう。

 いま,必要なのは,ひとりの人間として自立/自律して考える力だ。その基準は,医療の助けが必要かどうかの判断力だ。つまり,免疫力を高めるためのチャンスとみるか,あるいはその限界を超えていると判断するか,を見極める力だ。そうして,自分のからだの「知」力を高めていく心構えをしっかりともつことだ。つまり,免疫力=自然治癒力を高めていくために。
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