2015年4月23日木曜日

政権評価の潮目が変わったか。政府の沖縄対応に「No」,女性たちもアベ政権に「No」。

 新聞各社による政府の沖縄対応についてのアンケート調査の結果が,軒並み「No」をつきつけているという。読売,日経の読者ですら,「No」の方がわずかだが多いという。その他の毎日,朝日になるとかなり大きな差がついているという。沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)にいたっては,圧倒的な差だという。

 そのきっかけとなったのが,菅×翁長対談であり,さらに駄目だしをしたのが安倍×翁長対談だという。この二つの対談によって,沖縄の真実が,はじめて日の目をみたからだ。それまで,沖縄関連情報は,そのほとんどが政府の垂れ流し情報で埋めつくされていた。それに対する批評も評論もないままに。だから,国民の圧倒的多数は,沖縄についての精確な情報をほとんでなにも知らないままでいた。

 ところが,今回の二つの対談によって,いやでも沖縄の真実の声が公にならざるをえなかった。しかも,翁長知事の単刀直入な,わかりやすいことばが,ストレートに読者の胸に落ちた。それに引き換え,菅,安倍の両氏は,翁長発言に対して説得力のある応答はひとつもできなかった。そこには「丁寧な説明」はひとこともなかった。これで勝負あった,となった。

 以後,新聞各社は,温度差はともかくとしても,沖縄の「真実」を独自の取材をとおして書きつぐことになる。ここにきて沖縄情報が,それ以前にくらべたら,信じられないほど多くなってきた。これから,新しい事態がつぎつぎに起こることが予想されているので,ますます,沖縄情報は多くなるであろう。だとすれば,ますますピンチに陥るのは官邸の方だ。これまで一方的に沖縄情報を抑圧し,隠蔽し,排除してきた官邸の悪事が,つぎつぎに明るみにでてくるだろうから・・・。

 こうして沖縄情報が流れれば流れるほど,沖縄の真実は明らかになってくる。そして,これまで無知・無関心だった本土の人たちにも,少しずつ沖縄理解が深まってくる。これは,もはや,止めようのない流れとなってきた。となれば,その行き着く先もみえてくる。

 明らかに,政権評価の潮目が変わった,とみてよいだろう。

 加えて,女性週刊誌がこぞって女性の不安を取り上げ,多くの読者の支持をえているという(『毎日新聞』の特集)。こちらの引き金となっているのは,原発問題と生活不安。つまり,わたしたちの命と生活はこれでいいのか,という女性特有の鋭い感性に訴える記事が圧倒的支持をえているというのだ。この特集はなかなか説得力があって,いい記事になっている。

 ジャーナリズムが死んでしまったとわたしは嘆いてきたが,どっこい,女性週刊誌の世界ではしぶとく生き残っていたようだ。こういう女性たちの声を取材して書かれる記事に対しては,さすがの官邸も手も足も出せないのだろう。あるいは,盲点になっていたか。これからしばらくは女性週刊誌に注目である。

 詳しいことは毎日新聞にゆずるが,ひとつだけ,面白いとおもったことに触れておきたい。

 アベ君は,折あるごとに「女性の力を活用したい」と言ってきた。一見したところ,女性を大事にしていこうとする姿勢にみえるが,さにあらず。これが,上から目線であることに女性たちは反発しているというのだ。つまり,「女性の力を活用」するのはあくまでも「男」たちであって,女性はその道具でしかない,という姿勢が透けてみえてくる,というのだ。これは,菅長官が沖縄の辺野古新基地建設を「粛々と進める」と繰り返していることが「上から目線」だと批判されたのと,まったく同じ道理だ。

 官邸が気づいていない驕り,高圧的な姿勢が,女性たちの鋭い感性に見破られた,と言ってよいだろう。しかも,この姿勢は耐えられない,我慢ならない,というのだ。それが,戦争法案(福島瑞穂発言)の議論にも現れているし,原発再稼働の議論にも感じられるし,ましてや「戦争のできる国家」など,とんでもない,という次第だ。こうして,一度,気づくと,つぎからつぎへと官邸のやることなすことが不安になってくる,と女性たちはいい始めているという。この連鎖反応は大きい。

 女性の感性とは,すなわち,からだに支えられたものだ。女性の,とりわけ,母性からくるものだ。だから,母性本能に直結する「命」の安全への反応は,男の比ではない。ここが目覚め,ここから政権に疑問を感じ,批判が出はじめた,というのだとしたら,これはもう政権にとっては命取りのようなものだ。男は目の前のエサを追いかけることに必死で,森を見失うことが多いが,女性は,子どもたちの「命」がどうなるのか,という長いスパンで身構える。

 官邸はこの虚をつかれた格好だ。いずれにしても,女性たちによる政権党に対するきびしいまなざしが,徐々に頭をもたげはじめていることは事実のようだ。

 ここでも,潮目が変わった,とみるべきだろう。
 なにかがはじまろうとしている。それに期待したい。
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