2015年4月18日土曜日

戦争の記憶・その1.戦争のことを話そう。ひとりの語り部として。

 まもなく敗戦後「70年」を迎える。遅ればせながら,この3月でわたしも「77歳」になった。敗戦の年,わたしは7歳だった。当時の小学校である国民学校2年生。まだ,小さかったが,それなりに戦争の記憶は鮮明に残っている。というか,加齢とともに幼かったころの記憶がつぎからつぎへとよみがえってくる。だから,すっかり忘れていた戦争の記憶もまた,新しい発見のようにして思い出されてくる。とても不思議だが事実だ。

 これが「77歳」という年齢になって,はっと気づいたことだった。それまで考えたこともなかったことだ。というよりは,思い出したくなかった。むしろ,忘れようとしていた。あるいは,忌避していた。しかし,それが一変した。なぜか。その一因に,昨年の大病の経験があるようだ。病気などとはまったく無縁な人間として,ほとんど一直線に生きてきた。だから,うしろを振り返るということもなく,ただ,ひたすら前を向いて生きてきた。これからやらなくてはならないこと,まだ,やり残していることなどを,どのようにしてなし遂げるか,そんなことばかりを考えていた。

 しかし,大病は大きな転機となった。初めて「死」と向き合った。わが生涯もここまでか,といっときは腹をくくった。ならば,生きているうちにやれることをやろう,と本気で「幕引き」を考えた。このとき,初めて自分の歩んできた道を振り返った。このときから,わたしの考え方も大きく変化した。そして,まずは,残り時間をつねに考えるようになった。早い人なら半年だ。しかし,ゆっくりの人であれば,まだ,多少はゆとりがある。

 幸いなことに,発病後,まもなく1年と4カ月となるが,いまのところ元気だ。というか,発病前の元気さをとりもどしつつある。これはラッキーというしかない。ありがたいことだ。初めて,いただいた命を大切にしなければ・・・とおもうようになった。

 そこで,ふと,周囲を見回してみると,いつのまにかわたしより年齢の上の人があっという間に少なくなっていることに気づく。すでに,そういう年回りになってきたのだ,と教えられる。しかも,ことしは敗戦後「70年」を迎える節目の年でもある。70年もの長きにわたって,日本は戦争をしないできた。感慨無量である。と同時に,憲法9条の重みをおもう。

 なのに,政府自民党は,敗戦の教訓を忘れてしまったかのように,ひたすら戦争のできる国をめざして,法改正にとりかかっている。その中心人物を筆頭に,政府執行部のほとんどは戦争を知らない世代だ。ということは,政界のみならず,財界も官界も学界もメディア界も,同じように戦争を知らない世代が主役となっている。だから,だれも戦争のほんとうの悲惨さを身をもって体験してはいない。頭のなかでの,つまりはヴァーチャルな知識としてしか戦争を理解してはいない。からだの痛みとしての記憶がない。だから,まるでゲーム感覚でしかない。恐ろしいことだ。

 このままいくと,とんでもないことになりそうだ。

 手を拱いているだけでは駄目だ。ならば,残された時間を,なんとか戦争の悲惨さを語る「語り部」としての時間にも割くことにしよう。そうして,少なくとも「憲法9条」を死守する側に身をおくことにしよう。そのための一助になれれば・・・と考える。後期高齢者に与えられた唯一の特権であり,最大の使命は,まずは,ここからだろう,と。

 その手始めに,まずは,このブログをとおして,ささやかなわたしの「戦争の記憶」を書きつらねてみたいとおもう。そうして,少しでも多くの人たちに共有してもらえたなら,こんな嬉しいことはない。あまり気張ることなく,ごく自然体で,わたしの「戦争の記憶」をたどってみたいとおもう。今日は,そのための導入。

 戦争に「正義」はない。そのことを肝に銘じて・・・。
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