2015年6月11日木曜日

「女子プロレスラー・小畑千代──闘う女の戦後史」(秋山訓子)を読む。『世界』7月号。

 小畑千代といえば,知る人ぞ知る女子プロレスの草分けの花形ヒロインである。彼女は,小柄ながらも切れ味の鋭い技といい,プロレスの盛り上げ方のうまさといい,大向こうを唸らせる演出の名手だった。わたしなども,テレビの画像を食い入るように見入り,その闘志あふれる闘いぶりに舌を巻いたものだ。小畑千代という名プロレスラーの登場によって,女子プロレスというものの存在が戦後の日本の社会にあって,一気に注目されるようになった。

 もともとプロレスといえば,男のものと相場が決まっていた。女だてらにプロレスをしたところで,稚児のお遊びくらいの扱いしかされなかった。実際に,世間もまたそんな目でみていたとおもう。かく申すわたしも,女のプロレスかぁ,どうでもいいよね,迫力もないだろうし・・・・,くらいの認識でしかなかった。その世間一般の認識を,えっ?なんだ?これは?女子プロレスは面白いぞ,という具合に変化させた。その原動力となったのは,まぎれもなく小畑千代だった。

 そうして,徐々に女子プロレスの人気はうなぎ登りのように高まっていった。そして,小畑千代につづく名レスラーが続々と登場した。こうして,その後の女子プロレスの隆盛を考えたときに,小畑千代の功績は計り知れないものがあった。

 この小畑千代のすさまじいばかりの生きざまを,女性の戦後史と重ね合わせながら描き出そうという意欲作が,雑誌『世界』(岩波書店)に短期連載というかたちで5月号から掲載されている。今月の7月号で第3回を迎えている。

 著者は秋山訓子さん。朝日新聞社政治部次長。肩書だけをみると一瞬,おやっ?と思う人も多いかもしれない。わたしは一度だけ取材を受けたことがあるので,秋山さんのお人柄をいくらか承知している。取材内容はもうあまりはっきりとは覚えていないが,たしか,男性中心の近代スポーツの世界に女性が参加するようになる歴史過程について問われたようにおもう。なにか,とてつもなく大きなテーマだったので,必死で語った記憶だけが残っている。

 そのときの印象は,女性がひとりの人間として社会のなかで認められ,男性と同等に生きがいを感じられるようになるにはどうしたらいいのか,というようなテーマを追っているジャーナリストなんだな,というものだった。そして,それは,その後の秋山さんのお仕事をそれとなく追っていると,次第に具象化され,記事や作品となって表れている。いまや,大活躍の人だ。

 その秋山さんが,なんと,女子プロレスの草創期の人,小畑千代に眼をつけた。敗戦後まもない,どん底にあった日本が,復興に向けて必死になっている時代,その中心をになっていたのは男性だった。女性は,その陰の支援者的役割しか与えられていなかった。しかし,米などの闇物資をかついでせっせと運んだりして,生きるための道を切り拓いていたのは,ほかならぬ逞しい女性たちだった。

 小畑千代の実家は,父親が大きな稼ぎがあって,浅草界隈では知らぬ人とてない裕福な家だった。だから,小畑千代(これはリング・ネーム)は金稼ぎのために女子プロレスの世界に入ったのではない。プロレスのジムでみた光景が,小畑のからだのなかに眠っていた,なにかあるものに火をつけた。その瞬間,「これだっ!」と直観した,という。

 詳しいことは,秋山さんの作品にゆだねるが,その語り口はとても魅力的である。草創期の女子プロレスラーに光を当てながら,ひとりの女性としての小畑千代を語り,さらに広い視野に立って,戦後史のなかで女性の地位がいかにして向上していくのか,というところにまで秋山さんのまなざしは伸びていく。

 ただ,残念なことに,たぶん,時間がないのだろう,かなり乱暴なラフ・スケッチに終始している。それでも,ご自身も述べているように,単なる女子プロレスの話で終わりたくはない,という。女性のスポーツ史を語りながらも,そこから浮かび上がる人間としての女性像を,そして,その女性像を造形する社会的背景や歴史性をも描いてみたい,と。

 そこに,わたしは「スポーツ批評」(今福龍太氏のいう意味で)の萌芽をみる。

 なにを隠そう,かく申すわたしは「スポーツ史」という領域で長年にわたって格闘をつづけてきた人間である。そうして,たどりついた結論が,「批評性」の欠落した「スポーツ史」は,21世紀を生きるわたしたちにとってはもはや意味がない,というものだ。だから,わたしのめざす「スポーツ史」は,わたしという人間の全存在を賭けた語りでなくてはならない。すなわち,「批評」そのものでなくてはならない。したがって,いやでも語り手の思想・哲学がおのずから表出することになる。これからの「スポーツ史」とはそういう領域なのだ。

 秋山さんは,彼女なりの独自の方法で,「スポーツ史」に挑戦しているように,わたしにはみえる。だから,とても共振・共鳴するところが多い。

 この短期連載はラフ・スケッチでいい。とにかく,どのゴールに向かって進んでいくのか,わたしは楽しみにしている。そして,この連載が終わってから,どこかで時間をみつけて,補筆・加筆をし,推敲を重ねて,新書本にでもしてもらいたい,とおもっている。きっと,これまでに前例のない「スポーツ史」の本が出現することになるだろう。

 そういう時代のさきがけとなってほしい,とこころから願っている。

 その意味で,秋山訓子さんにこころからのエールを送りたい。
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