2015年6月2日火曜日

林(りん)神社=日本に唯一の「饅頭の社」。漢國(かんごう)神社の境内。奈良市街地のど真ん中。

 登大路の高天交差点から三条通りにむかって歩いていくと右手に赤い鳥居が目に飛び込んできます。一瞬,足をとめて鳥居の周囲の社標を眺めていたら,意外なものがあってびっくり。

 
ひとつは「漢國(かんごう)神社」という表記,もうひとつは「林(りん)神社」という表記。こちらには,わざわざ「饅頭の社」という社標も立っている。さらには,徳川家康公鎧と鎧蔵などの標示もある。白雉塚(はくちづか)があるとか,平安城宮内省へ勧請したとか,まあ,いったいこの神社はどうなっているの?というわけのわからない標示がいっぱい。

そこで,迷わず境内の中に一歩を踏み入れる。すると,さらに驚くことになる。
 正面の拝殿のところに「漢國(かんごう)神社由緒略記」というB4サイズの説明書が積んであったので,お賽銭を少しだけはずんで,一枚,頂戴する。

 冒頭に大きく,つぎのように書いてある。
 祭神三座
 園神(そのかみ) 大物主命(おおものぬしのみこと)
 韓神(からかみ) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと)

 なんのことはない,出雲の神様ではないか。しかも,大物主と大己貴は同神異名の同一の神様ではないか。しかも,大物主は「園神」で,大己貴は「韓神」だとある。いったい,「園神」とはどういう神様のことなのか,そして,「韓神」とはどういう意味なのか,と首を傾げる。ひょっとしたら,園神とはむかしからいる土着の神様のことで,「韓神」は渡来神のことかな,などと勝手に勘繰ってしまう。だとしたら,話は矛盾してしまう。もっとも,大物主は大国主と同一の神様と位置づけ,それを古くから居ついている土着の神様としておいて,大己貴を大黒様に,少彦名を恵比寿様に置き換えて,この人たちを渡来の神様にしてしまった,とも考えられます。

 古代の神様たちはいかようにも変容してしまうところがまたなんともいえない面白さ。

 これらの神様の鎮座由来によれば,以下のとおりです。
 当神社は推古天皇の元年2月3日(今より1400年前),大神君白堤(おおみわきみしろつつみ)と申す方が,勅(みことのり)を賜いて園神の神霊をお祭りせられ,其後元正天皇の養老元年11月28日,藤原不比等公が更に韓神の二座を相殿として祀られたのが漢國神社であります。古くは春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称しました。

 これを読みますと,大神君白堤という人物が三輪山の大神神社に関係する人らしいということがわかります。だから,園神が,大神神社と同じ大物主で,ぴったり一致します。しかし,面白いのは,藤原不比等が,わざわざ韓神の二座を合祀したことです。そして,それが漢國神社であると言っていることです。しかも,それ以前は春日率川坂岡社と呼ばれていたというのですから,なぜ,その社名を変えなくてはならなかったのか,そこに藤原不比等の密かな陰謀が隠されているようにおもわれます。

 ちなみに,この神社の裏側は開化天皇陵と隣接しています。その意味でも微妙な位置にあるといっていいでしょう。

 この漢國神社の境内の中に,「饅頭の社」と呼ばれる林神社がであります。この神社の由緒は以下のとおりです。

 
林神社は,林浄因命を御祭神として御祀りする我が国で唯一の「饅頭の社」であります。林浄因命は中国浙江省の人,林和靖の末裔で,貞和5年に来朝され,漢國神社社頭に住いされるや,我が国で最初の饅頭を御作りになり好評を博しました。その後,足利将軍家を経て,遂には宮中に献上するに至り,今日全国の菓業界の信仰を集めています。以下略。


 この話も,別の資料にあたって調べてみますと,まことに面白いことがわかってきます。が,長くなってしまいますので,ここでは割愛。ただ,饅頭は中国から伝わった食べものであった,という根拠がこの神社にある,ということだけは指摘しておきたいとおもいます。


 JR奈良駅と近鉄奈良駅のちょうど中間のところにありますので,どちらからでも,すぐに歩いて行けるところです。機会があったら,ぜひ,立ち寄ってみることをお薦めします。

 今日のところはここまで。
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