2015年11月15日日曜日

「おじ」「おば」ということばが消える。中国一人っ子政策の意外な側面。

 中国がついに二人まで子供を持つことを認める政策に切り換えました。

 毛沢東革命以後,中国は長い間,一人っ子政策が実施されてきました。いくらかの例外措置はありましたが,原則的には一人以上の子供を生んではならない,とされてきました。

 当初は,食料事情(需給のバランス)という大きな壁がありました。これ以上,人口が増え続けると国が成り立たなくなるという大問題をかかえていましたので,やむを得ない,ということで実施に踏み切ったようです。しかし,経済復興もはたしたいまとなっては,もはや,一人っ子政策を維持していく根拠もなくなってきました。それどころか,一人っ子政策ゆえの新たな問題もつぎつぎにでてきました。

 その最大の問題は労働力でした。中国では夫婦共稼ぎは当たり前。そうしないことには中国経済を支え,さらなる発展をめざすことは不可能でした。その目的もはたして,静かに振り返ってみますと,いろいろの新たな問題点が露呈していることに気づいたようです。

 そのうちのひとつが「伯父・叔父」「伯母・叔母」ということばが消えてしまうという珍現象でした。これは,たぶん,当初は想定していなかった事態ではないかとおもいます。

 一人っ子政策の二代目の子どもたちになると,両親ともに一人っ子ですので,「伯父・叔父」「伯母・叔母」は存在しません。ということは,日常会話のなかからこのことばは使われなくなってしまいます。使わないことばは子どもたちは覚えません。ということは,二代目の子どもたちの間からはこれらのことばが消えてなくなってしまうことを意味します。

 この問題は,「おじ」「おば」だけでは終わりません。「おじ」「おば」がいないということは「いとこ」もいないということになります。だとすれば,将来的には,「おい」「めい」もいなくなってしまいます。

 ここまで考えてみますと,なんだか薄ら寒い風が吹いてきます。つまり,親戚・親類・親族がみるまにやせ細ってしまって,両親と祖父母以外は血縁関係者はだれもいないという事態が起きているということですから。中国の一人っ子は,なんと孤独なことなんだろう,と考えてしまいます。

 のみならず,言語文化そのものもやせ細っていくことを意味します。まず第一に,「家族」ということばの概念そのものが変質してしまいます。つまり,「家族」ということばの内実がまるで別のものになってしまいます。二代目の一人っ子になりますと,たったひとりで両親と両親の両親(つまり,祖父母),計6人の老後を背負うことになります。この二代目の一人っ子が結婚をしますと計12人もの老人が後に控えていることになります。まあ,祖父母はともかくとして,両方の両親計4人の老後は間違いなく二人にのしかかってきます。これが「家族」ということばの内実となり,そこには厳しい現実が待っています。

 これまでの「家族」は,親・兄弟・姉妹,みんなで力を合わせて仲良く暮らすというのがスタンダードでした。しかし,二代目の一人っ子はそうではありません。なにごとも,たった独りでものごとに対応していかなくてはならないわけです。

 で,気づいてみれば,「おじ・おば」「いとこ」「おい・めい」ということばが自分の周辺からは消えてしまいます。この問題の根は深いとおもいます。もっと視点を変えて,さまざまな角度から分析してみると,思いがけない重大なことが明らかになってくるのではないかとおもいます。今回は問題点の指摘だけに留め置きます。

 なぜ,こんなことを書いたのかといいますと,そのきっかけは中国が一人っ子政策を放棄した,という情報が流れたことにありました。たまたま,日本に長く住んでいる中国人の友人と久しぶりに一献傾ける機会がありました。そのときの話題のひとつがこれでした。わたしはそんなこと考えたこともありませんでした。しかし,その中国人の友人が「中国では『おじ・おば』ということばが消え始めている」という話をしてくれて,びっくり仰天でした。「なるほど」と応じただけで,しばらくはことばを失っていました。

 中国が一人っ子政策を放棄した背景には,きわめて複雑で,しかも重大な問題がもっともっと存在しているようです。いずれ,専門家の研究がでてくるとおもいますので,その成果を待ちたいとおもいます。とりあえずは,意外な話題の提供まで。

 なお,出生率が1.5を割ってしまい,一人っ子が教室の半分以上を占めるようになった,わが日本国も他山の火事では済まされない問題であることも指摘しておきたいとおもいます。こちらは出産を推奨しても増えないというのですから,問題はさらに深刻だと言わなければならないでしょう。

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