2010年8月17日火曜日

美ら島沖縄総体2010開催(7月28日~8月20日)。

 連日の猛暑のなか,沖縄では高校総体が開催されている。この大会をもって,高校総体は全国都道府県を一巡することになる。つまり,一巡の最後の大会というわけである。
 いま,隔月に連載している「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の掲載誌『SF』(旧・月刊体育施設)が,7月号で沖縄の高校総体の特集を組んでいる。立派なスポーツ施設からたんなる原っぱとおもわれるような広場までつかって,まさに,沖縄県は総動員してこの大会の運営に取り組んでいることがよくわかる。それでも,山岳種目だけは,県外の鹿児島県・宮崎県にまたがる環霧島の協力を仰いでいる。沖縄本島だけではなく,宮古島(男子バレーボール),石垣島(レスリング)の離島も頑張っている。
 『SF』という雑誌の記事を丹念に拾い読みしていくと,面白いことに気づく。ホッケー種目は今帰仁(なきじん)村で開催されることになっていて,その会場は,今帰仁総合運動公園ホッケー場,北山高校グラウンド,今帰仁小学校グラウンドの三つが会場となっている。写真も掲載されていて,今帰仁総合運動公園ホッケー場は,その名のとおり芝が全面を覆う広々とした広場が写っている。しかし,その周囲は森があるだけで,建物らしきものはなにもない。つまり,観客は立ってみる,きわめて素朴な,スポーツの原風景をみる思いだ。ここがメイン会場となり,あとは,北山高校グラウンドと今帰仁小学校のグラウンドが用いられる。まさに,使える場所はすべて動員する,そういう舞台裏がみえてくる。ここまでしなければ高校総体を開催することはできないという事情があって,全国一巡のしんがりをつとめることになったのだろう。こういう事情を考えると,まさに,沖縄県が総力をあげて取り組んでいる姿が目に浮かぶ。
 県外から,監督・選手ら総勢約3万6000人が集うという。この大会開催中のホテルはほぼ満杯だという。むかしながらの旅館もあるのだが,どの県の代表もほとんどがホテルを予約しているという。いろいろの安全管理などを考えると,その方が安心(責任者の立場からすれば)ということではなるのだろう。しかし,ホテルは人と人とのじかに触れる機会があまり期待できない。だとすれば,会場の往復,そして,会場での大会役員やボランタリーの人たちと,さらには,沖縄の選手たちと,本土の選手たちが,どのような接触をしているのか,そのことが気がかりだ。
 沖縄の歴史や文化はもとより,とりわけ,第二次世界大戦後の65年間,沖縄の人びとがどれだけの辛酸を舐めながら生きてきたかということの,ほんの一断片でもいい,どこかで触れることができたらなぁ,とおもう。ただ,ホテルに宿泊して,大会会場を往復するだけ,そして,勝った・負けたで一喜一憂して,帰っていくとしたらなんと寂しいことだろう。せめて,地図の上だけでもいい,沖縄本島に占める米軍基地の場所と,移転が検討されている場所と,それをめぐってどのような議論がいま展開されているのか,ということのアウトラインだけでもこの機会に知ってもらいたいとおもう。
 8月15日には,沖縄で,敗戦にちなむどのような行事が行われているのか,ほんのちょっとでも知ってもらいたい。若い感性ゆたかな高校生だからこそ知ってもらいたい。おそらくは,ほとんどの生徒たちは試合の結果ばかりに意識が集中していただろうとおもう。でも,何人かの感度のいい生徒は,沖縄のかもしだす不思議な空気を感じ取り,その背景にあるものに気づいてくれるのではないか,と期待したい。
 スポーツの大きなイベントは,オリンピック・ムーブメントに代表されるように,一般には「平和運動」の一環として開催されると考えられている。しかし,オリンピック・ムーブメントが唱える「平和」とはなにか,一度,よく考えてみる必要があろう。勝利至上主義が圧倒的に支配し,勝者のみがヒーローとして称揚され,敗者は虫けら同様に扱われる(とくに,マスメディアによって)。そして,無意識のうちに優勝劣敗主義が世の中に浸透していく。いつしか「勝ち組」と「負け組」に人間を分類して,平然としている人間が増えていく。「負け組」を,スポーツ同様に,自己責任と断定して。
 ついでに言っておけば,いま,高校総体が沖縄で開催されている,ということを知っている人がどれだけいるのだろうか。関係者を除けば,ほとんどのヤマトンチューは知らないでいる。日々のメディアを賑わす高校生のスポーツ情報は,そのほとんどが甲子園野球に独占されている。その陰になってしまって,ほとんどなんの情報も流れない。ユース・オリンピックですら,いい成績を残した種目や選手だけがクローズアップされるだけで,そんな大会が開催されていることすら知らない人もたくさんいる。
 夏の風物詩としてその地位を確立したとまでいわれる甲子園野球ばかりが,たとえば,新聞の地方版ですら大きく報じられ紙面を独占する。大きな写真と大きな活字が,まるで,スポーツ新聞なみに紙面を独占している。この猛暑のなか,真っ黒に日焼けした顔で,大きなスポーツ・バッグを肩に担いで電車を乗り継いでいる,ふつうの中学生や高校生の集団に出会う。かれらもまた,それぞれの青春をかけて,地方の各種の大会に全力で取り組んでいるのだ。そして,少なくとも10年前の新聞の地方版には,活字を小さくして,さまざまなスポーツ種目の地方大会の成績が掲載されていた。それが,いまでは,完全に姿を消してしまった。
 いまや,高校総体ですら,無視される時代である。
 世の中の,どこか目にみえない根源的なところで,人間は狂いはじめている。そのことに気づいていないことが大問題だ。
 沖縄の基地の問題がこれほど脚光を浴びた時代もかつてなかった。そして,この秋にはその基地移転問題の関が原ともいうべき沖縄県知事選挙がある。にもかかわらず,ふとした瞬間に,沖縄のことは完全に忘却のかなたに消えてしまっている。戦後,65年を経て,なお軍事基地と日々,対面している人びとの苦悩を,分かち合おうとはしない。人間として狂っているとしかいいようがない。にもかかわらず,知らぬ顔。いかにして,自分だけは「勝ち組」のなかに入るか,それだけしか考えようとしない人間のなんと多いことか。
 まずは,みずからの足元から考え直す以外にはなさそうだ。
 その一つは,スポーツとはなにか,という根源的な問い直しだろう。スポーツが,人間の狂気を誘発してはいないか。スポーツに固有の論理とはなにか。スポーツの都合のいい論理だけが,無意識のレベルで利用されているにすぎないのではないのか。近代スポーツとはなにであったのか。どうしても,スポーツの原点に立ち返って考え直すしかなさそうだ。
 今日も自戒で終わり。
 高校総体に参加した高校生の多くが,沖縄の負わされている大問題を,ほんのちょっとでもいい,視野のなかに収めて帰ってきてくれることを祈りながら。

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