2010年8月8日日曜日

8月15日が近づいてくる。

 田舎の小さな禅寺で育ったわたしにとって8月15日は,盂蘭盆会(うらぼんえ)の最終日である。世間でいうところの「お盆」である。その翌日が精霊会(しょうりょうえ)。いわゆる精霊流し。
 8月15日が敗戦記念日である(この日付については異説がある)とつよく意識するようになるのは,禅寺を離れて東京で生活するようになって,しばらくしてからのことであった。それまでは,毎年,お盆を迎えるために,寺の境内の大掃除に追われる。墓地の草取りから庭の植え込みの剪定,境内のありとあらゆるところの清掃に必死だった。本堂の天井から仏壇の掃除,ときには,本堂の縁の下の掃除までした。最後の仕上げは仏具の磨き上げである。磨き砂をつかって真鍮でできた仏具をピカピカになるまで磨く。これもなかなか根気のいる仕事であった。
 毎年,お盆が近づくと,日差しが強くなる前の午前中に屋外の仕事に取り組み,昼食のあと午睡(本堂は風通しがいいので,このはじっこに,みんな思いおもいの場所に陣取って,ごろんと横になった)。午後3時くらいから,ふたたび屋外の掃除。そして,雨が降ると,本堂や仏壇・仏具の掃除。そして,できるだけ早く終わらせておいて,こんどは母の実家の禅寺(こちらは大きな構えの境内だったので,大掃除は大変)の大掃除の応援にでかける。行くと,伯父・伯母が「よくきてくれた」といって熱烈歓迎をしてくれた。それが嬉しくて,真っ黒に日焼けしながら手伝った。イトコたちと一緒に食べる食事も楽しかった。
 夏休みといえば,なによりも掃除の日々であった。そんな生活が,小学校の高学年から大学を卒業してのちもしばらくはつづいた。だから,新聞やラジオで,ヒロシマやナガサキの慰霊祭が行われていることは知っていたし,8月15日が敗戦記念日であることも知ってはいた。8月15日の盂蘭盆会が終わると,お盆のために組み立てた施餓鬼棚を解体して,片づけるという大仕事が待っていた。とにかく,寺の最大の年中行事が最優先される,そういう生活が高校卒業し,大学を卒業しても,しばらくはつづいた。
 寺のことを忘れて,まったく自由に夏休みを使えるようになって,しばらくしたころから,ヒロシマ・ナガサキということが強く意識にのぼるようになってきた。正直にいえば,戦争にまつわる記憶はできることなら思い出したくなかった。だから,1950年6月に朝鮮半島で戦争がはじまった,というニュースを聞いたときは,ふたたび,5年前の身体にもどったような緊張感がはしった。忘れもしない,中学校(1年生だった)の廊下の掲示板に,戦争の写真入りの新聞が張り出されていたのを,固唾を呑んで見守ったことを。しかも,何回も38度線よりも,はるか南まで攻め込まれて,韓国の領土がどんどん小さくなっていく地図をみるたびに,もうすぐ日本にやってくる,どうしよう,と真剣に考えていたこともある。
 わたしたちの世代はみんなそうだとおもうが,戦争と聞くだけで身体が反応する。理性よりもさきに身体が拒否反応を起こす。だから,意気地なしといわれようが,なんといわれようが,戦争だけは勘弁してほしい。
 朝鮮戦争のあとも,あちこちで,いわゆる代理戦争なるものがつづいた。冷戦構造が崩壊したというのに,こんどはまた,別の理屈をつけて戦争をしかけている国がある。
 「そんな国」が元気であればあるほど,沖縄の軍事基地は,膠着状態のまま放置されつづける。なのに,日本の政府は「そんな国」に迎合して,日本の国民である,沖縄の人びとの生の声に耳を傾けようとはしない。新聞もテレビも雑誌も,沖縄には目をつむってきた。驚くべきことに,沖縄には,NHKも大手新聞社もテレビ局も,支社・支局を置いてないし,もちろん,専従の記者も常駐していない。なにか事件が起きると,こちらからでかける。そして,その場かぎりの取材をし,報道をして終わりである。独自の取材網を構築して,積極的に問題の解明につながるような報道をしようという考えは毛頭ない。
 だからというわけではないが,ヤマトンチュウは,そのほとんどが沖縄音痴である。ほとんどなにも知らない。最近でこそ,普天間移設問題が大きく報道されるようになって,ようやく,多くのヤマトンチュウが関心をもちはじめたが,それまでは,観光のためのリゾート地としての情報の方が圧倒的に多かった。だから,沖縄はよほどいいところだと勘違いして,移住までした不思議な人たちがいる。観光地は住むところではない,ということすら知らないで。
 ことしは,ようやく,ヒロシマ・ナガサキに外国の目が向いた。アメリカ大使が重い腰をあげた。国連事務局長は勇んでやってきた。イギリス,フランスなどの使者もやってきた。こうして,遅きに失してはいるものの,ようやく「核廃絶」に向けた弾み車がまわりはじめたその矢先に,なにをカン違いしたのか「核抑止力は大事である」という能天気な発言をしたどこぞの首相がいて,情けなくなってしまう。「核廃絶という人類の夢の実現に向けて,被災国の立場から鋭意努力したい」という,たったこれだけのことが言えない・・・・ひょっとしたら,「若ボケ」になってしまったのでは・・・・と疑いたくなる。「若ボケ」は本人はもとより,周囲も気づかないそうだ。だから,危なくて,どうしようもない。野党の軍事通の代議士に「むかしの首相は気迫があって好きだった」とまでいわれるようになってはおしまいである。
 こうして,8月15日が間違いなく近づいてくる。にもかかわらず,日本のマスコミは,いまや国民的行事になってしまった甲子園野球に,膨大なエネルギーをそそいで報道に余念がない。そして,日本の敗戦について,ほんのお義理のような,とってつけたような記事を書くだけだ。もっと,戦争とはなにか,という根源的な問いにつながる記事を書いてもらいたいものだ。そして,少なくとも8月の間だけでいい,みんなで戦争のない「世界」の実現に向かって努力すべきことはなにか,ということについて考える記事を書いてほしいものである。しかし,もはや,そんな力はいまの記者にはないらしい。だから,新聞社の代弁者かとおもわれるような学識経験者を登場させて,お茶をにごしている。そうではなくて,賛否両論をありのまま開示して,読者に考えるチャンスをつくるだけでいい。そうすれば,おのずから世論というものが立ち上がってくる。
 8月14日・15日には沖縄で大きな特別の企画があるという。そういう情報が,ヤマトンチュウのところには,ほとんどとどかない。沖縄県民がいま,どれほど情熱をこめて,普天間問題に取り組んでいるか,わたしたちはもっともっとアンテナを高く張る必要があるだろう。とりわけ,この秋に予定されている知事選挙が,県外移設実現の鍵をにぎる,とみんなが固唾を呑んで見守っている。そして,いまから,すでにその熱戦ははじまっている,という。
 こんどばかりは,どこかで「行動できる人」の仲間に入りたいと考えている。すでに,遅きに失していることは百も承知で。でも,なにもしないよりはいいだろう,とみずからを慰めながら。
 8月15日が近づいてくる。
 この8月15日に,なんらかのかたちでリンクするようなスポーツ史研究であり,スポーツ文化論であり,スポーツ批評を展開したい,と切実におもう。

0 件のコメント: