2010年8月27日金曜日

ポリネシアの「ポトラッチ」──サモアの場合。

 いよいよ,第一章 交換される贈与と返礼の義務(ポリネシア)に入っていくことにしよう。ここでは,サモアの例が取り上げられている。
 サモアでのポトラッチの特徴を,モースはつぎのように整理している。
 「第一に,サモア島における契約的贈与体系は婚姻の時以外にも広がっている。それは,子供の出生,割礼,病気,娘の初潮,葬式,商取引に伴って現れる。
 第二に,いわゆるポトラッチの二つの本質的要素が確認されている。一つは,冨が与える名誉や威信や「マナ」であり,もう一つは,贈与のお返しをすべきであるという要素である。返礼をしないと,このマナ,権威,お守り,そして権威そのものである冨の源泉などを失う恐れがあるのである。」
 ここで述べられている二つの特徴は,ほとんどそのまま,こんにちの日本の社会にも当てはまる。むしろ,不思議なほどによく似ていることに,逆に驚かされてしまう。やはり,「椰子の実」ではないが,ポリネシア系の文化の影響は相当に色濃く日本の社会に定着したと推測してよさそうである。日本の文化は,中国や朝鮮半島を経由して入ってくるいわゆる「大陸」系の文化と,東南アジア(ポリネシア,など)からの海流に乗って入ってくるいわゆる「群島」系の文化と,そして,日本古来の土着系の文化の「混淆」であることがよくわかる。
 ポトラッチなどという,あまり聞き慣れないことばで表現されると,なにか特殊な慣習行動であるかのように受け取られがちであるが,なんということはない,ごく日常的な,わたしたちの間で,ごく当たり前のようにして展開されている行為そのものなのである。
 わたしの考現学的な分析からくる印象によれば,こんにちの若い世代の人たちの方が,戦後民主主義という名のもとで展開した「生活の合理化」運動による「虚礼廃止」の考え方を強制されたわたしたちの世代よりも,ポトラッチを生き生きとしたものして楽しんでいるかのようにみえる。たとえば,どこかに旅行に行ったときの「おみやげ」の交換などは,わたしたちの世代よりもはるかに楽しげに行われている。この点については,だれかが問題を整理して,具体的な事例をあげながらプレゼンテーションをしてくれると,面白い議論ができそうだ。この科学万能の時代に,なにゆえに,古い慣習行動であるポトラッチが復活してくるのか,ここが議論のポイントとなろうか。
 つぎに,モースはターナーの研究の結果を紹介しているので,それを取り上げてみよう。
 「出産の祝いの後,『オロア(oloa)』と『トンガ(tonga)』──つまり父方の財産と母方の財産──を受け取り,返礼した後でも夫婦は以前より裕福にはならなかった。しかし彼らは,その息子の誕生の時に集まった財貨の山──これを大きな名誉とみなしている──を見て満足した」と。
 ここで行われている贈与と返礼は,ほぼ,「とんとん」になっていることがわかる。つまり,たくさんの贈与をもらえば,それに見合うだけの返礼をする,ということ。そして,必要なのは,「集まった財貨の山=大きな名誉」を見て満足する」こと。この「名誉」こそが大きな鍵を握っていることに注目すべきであろう。息子の誕生によってポトラッチが交わされ,自分たち夫婦の「名誉」が視覚化されること,このことによって,ある共同体のなかでの自分たちの位置が周囲に確認されることになる。
 日本では,こんにちでは大きく変化しているかもしれないが,お祝いは「倍返し」,お見舞いは「半返し」ということが,わたしのこどものころには言われていた。おそらく,基本的な考え方としては,いまも生きているのではなかろうか。
 ここでは「オロア」と「トンガ」の問題に絞られているが,モースは「トンガ」の概念について,つぎのような補足説明を行っている。
 「この概念は,マオリ語,タヒチ語,トンガ語,マンガレヴァ語では,冨,権力,影響力を与えるすべての物を指し,さらに,交換できるすべての物,賠償に用いられる物も意味する。それは専ら財宝,護符,紋章,ござ,神聖なる彫像であり,時には伝統,祭祀,呪術的儀礼でもある。」
 ここでようやく,われわれの「スポーツ文化論」的な考察への道が開けてくる。つまり,「トンガ」は「時には,伝統,祭祀,呪術的儀礼」でもある,という指摘である。そして,スポーツ文化の多くが,祭祀や呪術的儀礼として行われていた「芸能」と深く切り結んでいることは,ここで繰り返すまでもないであろう。
 こうして,いよいよ「2 贈られた物の霊(マオリ)」(P.33)へとつながっていく。この問題については,明日のブログで考えてみることとしよう。
 

0 件のコメント: