『贈与論』をテクストにしてスポーツ文化論を語ろうとするわたしのスタンスはなにか。これをまずは明らかにしておこう。
わたしたちは物々交換が人類の経済活動のはじまりであった,といつのまにか思い込んでいる。しかし,マルセル・モースに言わせるとそうではない,という。まずは,無償の「贈与」がはじまりだった,という。「贈与」=Gift=ギフトには「贈与」ともう一つの意味「毒」がある。「贈与」を受け取った人間は,この「毒」を畏れて,もらった「贈与」以上のものを,また,別の人に「贈与」として送る。このようにして,つぎつぎに「贈与」がくり返されていくうちに,最初の贈与者のもとに,莫大な財産となってもどってくる。こんどはこの財産を公衆の面前で,叩き壊したり,燃やしてしまったりする。つまり,「気前よさ」を見せつけるのである。こういう観念が,古代,あるいは,それ以前の未開を生きる人びとの間に共有されていた。だから,まだ,貨幣もない,商取引の慣行もない,もちろん,国際法もなにもない時代に,遠隔の物産を「交換・貿易」することが可能であった,というのである。つまり,その土地き物産が欲しかったら,こちらの物産を無償で送りつける。つまり,「贈与」するのである。そうすると,受け取った側は,それ以上の価値のある物産を「贈与」として送り返す。そうして,送られてきた「毒」を消し去るというわけである。これが経済活動のはじまりである,というのである。
となると,こんにちのわたしたちが眼前にしている一般的な経済活動は,いったい,なにか,という疑問が湧いてくる。とにもかくにも利潤を追究し,資本を増やして,経済力を確保し,さらに,利潤を追究する(市場原理)ことが公然と認められ,法律でも保証されている,この経済活動とはなにか,という疑問である。まるで,経済の「力」をもつ者が大通りを闊歩し,さも「正義」であるかのごとき振る舞いをすることがまかりとおる,ということはいったいどういうことなのか,という疑問である。しかも,いまも「贈与」は行われていて(意味はまったく違うが),ある特定の効果が期待されている慣習行動が存在することもよく知られているとおりである。では,いつから,この「贈与」の意味が変化してしまったのか。こういう疑問が湧いてくる。
もう一つの重要なポイントは,なぜ,「贈与」というようなことが行われるようになったのか,その始原はなにであったのか,という問いである。この問いに答えるテクストが,後期の集中講義で予定されているジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』であり,『呪われた部分 有用性の限界』である。したがって,この問題については,後期に考えることにしよう。
ここでは,「贈与」という人類の経済活動の始原の問題が,どのような歴史過程を経て,こんにちのような資本主義・市場原理を中心とした経済活動に推移していくのか,そこをスポーツ文化論的に考えることが一つの大きな鍵となる。すなわち,こんにち,わたしたちが日常的に眼にしているスポーツ文化もまた,この経済活動と同じように大きく変化して,こんにちにいたっている,と考えることができるからである。では,近代スポーツとはことなる前近代のスポーツ文化とはなにか,そして,この『贈与論』で取り上げられている未開を生きる人びとにとってスポーツ文化とはなにであったのか。この問いこそが,これまでのスポーツ文化論やスポーツ史研究に欠落していた視点なのである。つまり,現代社会を生きるわたしたちの「物差し」によって,過去の文化を裁断しても,あるいは,未開の文化を斟酌してもなんの意味もない,ということである。
しかしながら,こんにち闊歩している「スポーツ文化論」の多くは,ヨーロッパ近代中心主義によって貫かれており,それ以外の価値観を認めようとはしない。その多くは,野蛮であるとか,発展が遅れているとか,低俗であるとか,土着的・土俗的であるとか,原始宗教的であるとか,非科学的であるとか,迷信的であるとか・・・・まあ,一方的な決めつけによって,ものごとを解釈し,押し切っていこうとする。そうして到達したこんにちのスポーツ文化が,どれほど異様な姿を呈することになったかということに気づいていない。すくなくとも,こんにちのスポーツ文化が,ある臨界点に達していて,これから大きく変化・変容しようとしている,その前段階にあるということに気づいていない。
こうしたスポーツ文化の現状の異常さに気づかせてくれるテクストの一つが,このマルセル・モースの『贈与論』なのである。そして,この中でも論じられている「ポトラッチ」の制度や仕組み,その考え方や方法の中にも,本来のスポーツ文化の原初形態(Urformen)を見届けることができる,とわたしは考える。いな,あえてそこにわたしは挑戦してみたい。
さて,神戸市外国語大学の受講予定者のみなさん。世界初の,スポーツ文化論の知的遊戯に参加して,大いに楽しみましょう。できるだけ,この『贈与論』がらみのブログを書く予定でいますので,チェックしていてください。このブログに書くということが,集中講義に向けてのわたしの助走のつもりです。十分にアップして,本番に臨みたいとおもいます。楽しみに。
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