マルセル・モースが『贈与論』の冒頭で,「ポトラッチ」という用語について,かなり厳密に定義をしている。このなかに,スポーツ文化論的読解のてがかりをさぐること,これが今日のブログの目的である。
テクストの18ページの後半部分から19ページにかけて,「ポトラッチ」について縷々説明があるので,そこをまず紹介しておこう。
「しかし,アメリカ北西部のこれら二つの部族とこれらの全地域において,全体的給付は典型的な形態であるが,発展し比較的稀な形態をとっている。アメリカの学者達が用いているように,われわれもこれを「ポトラッチ(potlatch)」と呼んだ。このチアヌーク語の名称はヴァンクーヴァーからアラスカにかけての白人やインディアンの日常語の一部になっている。「ポトラッチ」は本来「食物を与える」,「消費する」という意味である。これらの部族は極めて富裕であり,島々,沿岸,沿岸とロッキー山脈との間に居住し,絶え間なく祝祭を行い冬を過ごす。その祝祭の中で,饗宴,定期市,取引が行われる。それらは同時に部族の厳粛な集会の場でもある。そこでは,部族は階層集団や秘密結社──これはしばしば階層集団やクランと混ざっている──によって分けられる。また,クラン,婚姻,入社式(イニシエーション),シャーマニズムの集会,さらには主要な神々,トーテム,クランの集団的あるいは個別的先祖などを祀る集会すべてが,人間社会,部族,部族連合あるいは民族間における儀礼や法的,経済的給付,政治的地位の決定などと混淆し錯綜した網を構成している。しかしこれらの部族において注目すべき点は,これらの全活動を支配している競争と敵対の原理である。一方では,遂に戦闘になり,相手の首長や貴族を死に至らしめるようなこともある。他方では,協力者であると同時に競争相手でもある首長(普通は祖父,義父,婿)を圧倒するために,蓄えた冨を惜しみなく破壊してしまうこともある。クラン全体が首長を媒介として,クラン全員のために,所有するすべてや行う一切のものを含む契約を締結するという意味で,そこには全体的給付が存在する。しかしこの給付は首長にとっては極めて競争的な性格を帯びたものである。それは,本質的に高利を取るもので,浪費を余儀なくさせるものであり,何よりも将来自分たちのクランが利する階層を確保するための貴族同士の戦いなのである。
われわれは,こういう制度に『ポトラッチ』という名称を与えることを提案したい。危険を少なくし,より正確を期するために,やや長くなるが,それを「闘争型の全体的給付」と呼ぶことも可能であろう。」
さて,この引用文にたいして,いくつかのコメントをしておこう。
まず,第一点は,「ポトラッチ」は本来「食物を与える」,「消費する」という意味である,という点である。しかも,北米一帯では日常語の一部になっている,という。「ポトラッチ」などというテクニカル・タームとして考えると,なにか特別の意味があるようにみえてしまうが,なに,もともとの意味は「饗宴」そのものではないか,ということである。つまり,人が寄り集まって,その人たちを「歓待」すること。もっと言ってしまえば,「祝祭」そのもの。貯えられた余剰の冨を,一気に「消費する」。
第二点は,「食物を与える」が本来の意味であったが,時代や地域によって,この「食物」に加えて,さまざまなものが参入してくる。つまり,「祝祭」を彩るためのさまざまな工夫である。そこには当然のことながら,土着信仰的な,バナキュラーな文化がつぎつぎに参入することになる。その一つが,「競技」であった,というのがわたしの仮説である。
第三点は,その仮説の根拠となる「競争と敵対の原理」である。モースも指摘しているように,「遂に戦闘になり,相手の首長や貴族を死に至らしめる」こともある,という。『ニーベルンゲンの歌』などにはしばしば登場する「トーナメント」では死者が続出である。そのため,時代が下るにつれ,死者を出さない方法へと変化していく。そうして,やがて,スポーツへと変身していく。この問題については,詳しく事例を挙げながらもっと深く考えてみたいとおもう。
第四点は,「協力者であると同時に競争相手でもある首長を圧倒するために,蓄えた冨を惜しみなく破壊してしまう」という点についてである。モースは,わざわざ,「首長を圧倒するために」という形容句を付して説明しているが,はたしてそうだろうか,という疑問がわたしにはある。「首長を圧倒するために」というのは,たしかに時代が下れば,ますますその意味が強くなってきたであろうことは,わたしにも推測できる。しかし,ここで問題にしたいのは,「蓄えた冨を惜しみなく破壊」することの本来の意味はどこにあったのか,という点である。この点については,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』に依拠しながら,かなり詳細に検討してみたいとおもう。
第五点は,「これらの部族は極めて富裕であり,絶え間なく祝祭を行い冬を過ごす」という点についてである。この文章を読んですぐに思い起こすことは,古代ギリシアの「祝祭」である。全盛期(前5世紀ころ)には,三日に一回くらいの割合で,どこかで「祝祭」が展開されていた,という事実である。古代ギリシアの「祝祭」に「競技」はつきものである。ここでは,間違いなく「競技」は「ポトラッチ」の一つの形式であった,とわたしは考えている。ついでに触れておけば,古代オリンピアの祭典競技は,まさに「ポトラッチ」そのものではなかったか,という点である。なぜ,そういう仮説が成立するのかという点については,授業のなかでとことん考えてみたいとおもう。
第六点は,「競技」や「スポーツ」は,本来,「ポトラッチ」であったのだ,という仮説を持ち込むことによって,現代の競技スポーツのあり方がいかに,本来のあり方から遠いところにきてしまっているか,ということが浮き彫りになってくる。そして,それがまた,いかに文化的に卑小化してしまい,歪曲されたものになってしまっているか,ということも浮き彫りになってくる。この点についても,もっと掘り下げて考えてみたいとおもう。
という具合で,まだまだ,挙げれば際限がないが,とりあえず,この程度にしておいて,つぎに話しを進めることにしよう。ここまでが,『贈与論』の「序論」に相当する部分である。このあとは「本論」に入るので,こんどは具体的に,一つひとつ検討していくことにしよう。
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