2010年8月19日木曜日

マルセル・モースの『贈与論』と格闘。

 9月13日(月)から三日間,集中講義をすることになっている神戸市外国語大学の学務課の担当者から,連絡・確認のメールがとどいた。
 すっかり頭の中から消えていた集中講義のことが気になってきて,今日は一日,テクストとして用いることになっているマルセル・モースの『贈与論』を読んでいた。そして,いまごろになって大いに後悔している。こんなやっかいな本をテクストにして,「スポーツ文化論演習」をやろうとしたことが間違いだった。大学院生ならともかくも,学部の3,4年生対象の演習である。しまった,と思うがもう遅い。やるしかない。
 なんで,こんな本をテクストに指定したのか。責任転嫁の意味でいささか言いわけをすること,こうだ。これは,こんにちの大学の制度に問題がある。それも,文部科学省による指導(じつは,強力なる圧力)によって,大学側が自発的に隷従している,という実態がある。かんたんに言ってしまえば,シラバスなるものを年度始めに学生に提示することが,教員に対して義務づけられているからである。これもまた,いま流行りの,学生さんへの過剰なサービスのはじまりだった。
 この制度のよさは,学生さんがあらかじめその科目の授業内容を把握できることにある。レベルが高くてまじめな学習意欲満々の学生さんなら,それなりの予習をしたり,参考文献を読んだりして,稔り多い学生生活を送ることができるだろう。しかし,この制度には欠点もある。それは,たとえば,後期の授業内容も,1月・2月の段階でまとめて文章化して提出しなくてはならない。ということは,半年以上も前に,半年後,あるいは10カ月後の授業内容を予告することになる。つまり,10カ月も前に教師が興味・関心をもっていたテーマが,そのまま持続していればいいが,そうはいかない。教師の興味・関心(裏をかえせば,教師の研究活動)は日進月歩である。とくに,文科系の教師にとってはそうだ。
 わたしの場合は,この罠にまんまとはまってしまった。というのは,ちょうど,去年の秋ぐらいから,マルセル・モースの『贈与論』に強く惹かれるものがあって,かなり入れ込んで読み返していた。だから,シラバスを書いて提出するころは,わたしの頭のなかは『贈与論』でいっぱいになっていた。しかも,急いで提出せよ,という(もっとも,わたしが書き忘れていたのだが)。で,急遽,そのとき頭のなかにあったことを,それらしく15回分の授業内容として提示した。
 ところが,それ以後,つぎつぎに新しい難題を与えられ,その原稿を書けといわれ,そのつど関連の文献を集中的に読んで,それなりの原稿を書いて送る,という生活がつづいている。わたしの頭のなかは二転三転どころか四転五転して,いまはもう『贈与論』は記憶の奥底に静かに沈んでいる。これを叩き起こさなくてはならない。この作業が大変なのである。しかも,自分で書いたシラバスのレベルまで頭のはたらきをもどさなくてはならない。
 とまあ,これは愚痴である。
 じつは,結構,楽しんでもいる。『贈与論』をスポーツ文化論の立場から読むと,なにが新たにみえてくるのか。こんなことをやった人はおそらく世界中探してもいないだろう。ひょっとすると,世界でたった一人の楽しみを味わっているのではないか・・・と。こんな贅沢は,そんなにかんたんにできることではない。しかも,強烈に難解な論理をまったく新たに構築しなければならない。そう,だれも考えなかった方法によって。
 たとえば,こうだ。スポーツ文化の起源の一つは「贈与」にあったのではないか。ならば,たとえば,ポトラッチとしてのスポーツ文化とはどのようなものなのか。スポーツ文化はどのように機能したのか。スポーツ文化は「気前のよさ」や「供犠」や「放棄・破壊」などと,どのようにかかわったのか。あるいはまた,「贈与」が行われる祝祭(空間)とスポーツ文化はどのようにクロスするのか。さらには,ポトラッチのような「競争」とスポーツ文化はどのような関係にあったのか,などなど。
 これらの仮説をどこまで立証できるのか。仮説の仮説を構築することの意味はあるのか。などと反論もでてこよう。しかし,この「贈与論」のおもしろいところは,宗教的な儀礼や道徳と,経済的な交換の原理の発生と,さらに,法的な契約・約束(ルール)の成立とが渾然一体となっていることだ。しかも,こんにちの常識とされる経済原則の考え方や宗教や法律の考え方の根源が,もう一度,ゼロから問い直されていくという点だ。そして,そういう混沌のなかに,スポーツ文化のルーツが見え隠れしている,という点だ。
 だから,困難きわまりない作業とはいえ,結構,夢多きおもしろい「遊び」ではある。だが,時間が限られている。集中講義までの残り時間は多くはない。しかも,その前に片づけなくてはならない原稿の仕事も山積している。時間は限りなく少ない。だから,おもしろいのかもしれない。時間がたっぷりあったら,間延びしてしまって,なんもおもろくもないのかも・・・・。
 というところで時間切れ。お休みなさい。

0 件のコメント: