2010年8月29日日曜日

「供犠」は死者の霊と神々への「贈与」なのか。

 マルセル・モースの『贈与論』をスポーツ文化論の視座から読み解くという作業をつづけているわけであるが,そろそろ,このあたりで,わたしの立ち位置について,とくに,マルセル・モースとの違いについて触れておく必要があろう。
 テクストの『贈与論』が書かれたのは1925年。そして,このテクストを読むわたしたちは2010年という時代を生きている。そこには85年間の時間差がある。この間,文化人類学や社会人類学も大きな進展をみている。もちろん,社会学も(マルセル・モースが社会学者のデュルケームの甥にあたり,この伯父の学問的影響をつよくうけたことを念頭に)。そして,それよりもなによりも思想・哲学のこの85年間の変貌ぶりは注目すべき重大な問題を含みもっている。『贈与論』が傑作であるという全体的な評価はいまも不動であるとしても,その細部については,多少の問題がないわけではない。
 とりわけ,21世紀を生きる日本人としてのわたしの立場からすれば,当然のことながら,ヨーロッパ文明を中心にしたマルセル・モースのものの見方・考え方が,ときに,気になることがある。それは,時代的制約や地域的制約を考えれば仕方のないことではある。しかし,より真実に接近するためには,それらの制約を超えたところでの,可能なかぎりwertfreiの立場での思考が求められることになろう。細かなことがらについては,授業のなかで説明をすることにして,ここでは,ごく大きな視点での問題提起をしておきたいとおもう。それは,マルセル・モースの用いた資料のほとんどは,初期の文化人類学や社会人類学の成果である,ということ。つまり,できるだけフィールドの論理を精確に写し取るということをめざした論文も,最終的には,ヨーロッパ近代の合理主義のものの見方・考え方と無縁ではなかった,ということである。ときには,ヨーロッパ近代の「物差し」で,異文化を計測してしまうという,無自覚の落とし穴にはまってしまうことも少なしとしない。そのような資料批判もきちんとした上で,マルセル・モースが比較研究をしたことは十分に承知しているつもりである。しかし,そのマルセル・モース自身も,やはり,ヨーロッパ近代の呪縛から完全に自由であったわけではない。そういう限界が,85年間という時間をとおして,わたしたちにも見極めることが可能となる。したがって,ときには,このテクストを批判する立場にも立ち,それなりの議論を展開していくことが不可欠となる。
 このことと同時に,思想・哲学の分野では,ジョルジュ・バタイユによって提起された「供犠」についての理論仮説である。バタイユは「供犠」については,特別の強い関心を寄せていたことが,かれの書き残した著作をとおして窺い知ることができる。なぜなら,あらゆる著作のここかしこに「供犠」の問題が取り上げられ,かれの思想の根源をなしていることかわかるからである。なかでも,『宗教の理論』『呪われた部分/有用性の限界』で詳論されている「供犠」についての論考は見落とすことはできない。このバタイユの立場からみると,モースの「供犠」についての論考は,まだまだヨーロッパ近代の側に立つものである,ということがよくわかる。したがって,わたしも可能なかぎりバタイユの仮説に依拠しながら「供犠」の問題を考えてみたいとおもう。
 こんな視点を加えたところで,これからの読解を進めていくことにしよう。
 テクストのP.40に「4.追記:人に対する贈り物と神に対する贈り物」という見出しの論考がある。今日はここでの問題を考えてみることにしよう。 
 「人々が契約を結ばなければならない存在,また人々と契約を結ぶためにある存在の最初のものは,死者の霊と神々であった。したがって,それらは地上の物や財貨の真の所有者であった。つまり死者の霊や神々と交換することが最も必要であり,交換しないことは極めて危険であった。しかしながら,それらと交換することは最も容易で最も安全であった。」
 このフレーズでの問題は「契約」という用語と考え方である。わたしたち日本人には,この「契約」ということばを理解することは,かなり困難である。少なくともわたしにはいまもきわめて困難である。たとえば,「死者の霊と契約を結ぶ」とはどういうことを意味するのか,わたしにはいまひとつピンとこない。また,「神々と契約を結ぶ」ということもわからない。なぜなら,わたしの頭のなかでは,「契約」というものは商取引のための用語であって,宗教的なコスモロジーのなかに「契約」という概念を持ち込むことは不可能に近い。しかし,ヨーロッパ人にとっては,神との契約は当たり前のことになっている。すべてはここからはじまる。だから,なんの違和感もなく,こうした文化人類学的な比較研究をする場にあっても,契約の概念が登場することになる。マルセル・モースは,もちろん,無意識のうちに用いているはずである。シャーマニズムやアニミズムの世界に「契約と交換」という概念を持ち込むことに,わたしは大いに違和感を感じないわけにはいかない。
 「供犠における破壊の目的はまさしく贈与であり,それには必ずお返しがある。アメリカ北西部やアジア北東部のポトラッチのあらゆる形態は,この破壊の主題を伴っている。人々が奴隷を殺し,大切な脂を燃やし,銅製品を海に投げこんだり,豪華な家に火をつけたりするのは,単に権力,富,無私無欲を誇示するためばかりではない。それはまた,霊や神々に供犠を捧げるためでもある。」
 この引用文に関しては,わたしはまったく逆の論理で読み解いてみたい,という欲求にかられる。なぜなら,贈与があって供犠があるのではなく,供犠があって贈与がある,と考えるからである。つまり,贈与と供犠の先後関係の問題である。わたしは,供犠が先にあって,この供犠の有用性が贈与となった,とするバタイユの仮説に与するものであるから。もう少し踏み込んでおけば,死者の霊や神々に捧げる「供犠」と,ポトラッチとして行われる「供犠」とは本質的に別のものだと,わたしは考えている。さて,みなさんはどうお考えか。
 「・・・・・神々から買わなければならず,また神々は物の価値を決めることが出来ると信じられているのである。この観念がセレベス島のトラジア族におけるほど明確に現れている例は他にない。クロイトは次のように述べている。『そこでは所有者は,実際には精霊のものである〔自分の〕所有物に働きかける権利を精霊から〔購入〕しなければならない』。所有者は〔自分の〕木を切り倒す前に,〔自分の〕土地を耕す前に,さらには〔自分の〕家の柱を立てる前に,神々に対して代価を払わなければならない。このように,購買の観念は,トラジア族の日常的,商業的習慣ではあまり発達しなかったが,精霊や神々に対する購買の観念は極めて強く存続している。」
 ここでいう「購買の観念」というものが,いま一つ不鮮明。「神々に対して代価を払わなければならない」というときの,この「代価」とはどのようなものを意味するのだろうか。この「代価」が「儀礼」や「饗宴」であるとすれば,とてもすんなりと理解することができる。しかし,ここでは「購買の観念」にもとづく「代価」である。日本の諏訪地方につたわる7年に一度の「御柱祭」は,「購買の観念」とは無縁だとおもうが,そのために支払うべき「代価」は大変なものである。7年に一度の祭りのために,氏子たちはみんな貯金をして備え,一気に消尽する。そう,バタイユ的にいえば,「代価」とは「消尽」のことか,とも読み取れる。
 さて,どのように読み解くべきか。宿題にしておこう。

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