2010年10月21日木曜日

『環』(藤原書店)・小特集「竹内敏晴さんと私」が刊行される。

 『環』(藤原書店・秋号・第43号)が刊行された(書店配本はこれから)。執筆者のひとりということで,少し早めに送られてきた。今日,落手。
 この号の特集は「沖縄問題とは何か」というもので,29人の執筆者が顔を揃えている。そのつぎの,小特集ということで「竹内敏晴さんと私」が組まれていて,そこでは24人の人がそれぞれの想い出を語っている。わたしも幸いなことにその中のひとりに加えていただいた。たぶん,章子さん(竹内未亡人)のご推薦だったように伝聞している。ありがたいことである。
 当然のことながら,三井悦子さんも執筆者のひとり。さすがに,三井さんでなければ書けない内容になっていて,秀逸。楽しく読ませていただいた。
 その他には,わたしの知っている人だけを挙げておくと,大城立裕,木田元,栗原彬,鴻上尚史,今野哲男,芹沢俊介,三砂ちづる,見田宗介,米沢唯,の9人。錚々たるメンバーである。そんな中に加えていただけたのだから,感謝あるのみである。
 見田宗介氏がどのような文章を書かれたのか注目したが,なんと,昨年の朝日新聞に寄稿した文章がそのまま転載されていた。がっかりである。ご記憶の方も多いと思うが,この文章に対して,わたしは徹底した酷評をこのブログで書いた。やや,いいすぎたかなぁと不安になったが,あとで多くの方がもっと言っていいと背中を押され,だいぶ気が楽になってはいた。で,こんどはどんな文章を見田さんがお書きになられるのかな,とじつは楽しみにしていた。しかし,一年前の転載とは・・・。大いなる失望である。ということは,あれ以上の文章を書く気力もなくなった,ということなのだろうか。それにしても,推敲ぐらいして,もう少しすっきりとした文章に仕立て直すくらいのことはやってもよかったのではないか・・・と勝手な推測。それほどに,見田さんともあろう人の文章としては「荒れ」ているのである。お弟子さんのだれかが直すとか・・・。ご忠告をするとか・・・。そういう人もいなくなったということなのだろうか。寂しいかぎりである。それにしては,どうでもいいところに登場して(朝日新聞),なんの役にも立たない発言をしていらっしゃる。
 それとは別に,わたしの大好きな木田元さんが『待つしか,ないか』を刊行されたときの秘話を書いてくださっていて,ああ,そうだったのか,ととても納得することができた。この本を読んだときにも思っていたことではあるが,竹内さんが,とても熱い想いを籠めて,熱弁をふるっていらっしゃることの理由がわかった。この企画は竹内さんの発案になるもので,対談の木田さんを選ばれたのも竹内さんのご希望だったとか。で,木田さんの言によれば,なんだか,もっともっとお話がしたいようだったのに残念だった,という。そうだとわたしも思う。竹内さんは,もっともっと多く,メルロ・ポンティの「現象学」のお話をしたかったのではないか,とこれはわたしの推測。つまり,「主体としての身体」の発見,という竹内さんにとってはその後の生き方を決定づけるできごとが,メルロ・ポンティの『眼の現象学』を読むことによって起きた,とみずからおっしゃっているからだ。
 わたしたちとの「竹内敏晴さんを囲む会」の折にも,しばしば,メルロ・ポンティを引き合いに出されて,とても刺激的なお話をしてくださった。それにしては,わたしたちのメルロ・ポンティについての勉強不足が災いして,大いに盛り上がるというところまではゆけなかった。大変に失礼なことをしてしまったと反省していて,必ず,大急ぎでメルロ・ポンティを勉強して,つぎの「竹内敏晴さんを囲む会」で償いをしなくては・・・と思っていた次第である。わたしたちのつもりとしては,竹内さんはまだまだ長生きしてご活躍なさるものと,信じて疑わなかったのだが・・・。運命とは過酷なものである。あっという間のお別れとなってしまった。
 やはり,竹内さんが,つねづねおっしゃっていらしたように,人生はいつも「いま」「ここ」に集中して,全力で生きていくしかないんだよねぇ・・・・と。その竹内さんが『レッスンする人』の最後のところで,「はい,それまでよぉ~」と言われているところを読んで,わたしはそのさきが読めなくなってしまった。その少し前のところに,「いい想い出はなんですか」という問いに,「唯を育てたこと」という発言があって,ここでも文字が見えなくなってしまった。
 その「唯」さんが,名文を残していらっしゃる。『レッスンする人』に書かれた文章が,こんどの『環』にも転載されている。素晴らしい名文家でいらっしゃる。わたしは何回も何回も読み返して,この文章は素晴らしいと感動している。とりわけ,最後の文章はたまらない。竹内さんは,あの文章を読んで(あの世から),大満足をされている,とわたしは確信する。「わたしは,これからもステージに立つたびに,一番後ろの席に坐っている人にむかって,こころをこめておじぎをするだろう」(この文章はわたしの記憶による。原文はもっといい)。わたしは,この最後の文章を読むたびに嗚咽している。しかも,こころがほのぼのとしてくるのだから不思議だ。こういう涙を,久しく流したことがなかった。唯さん,ありがとう。
 という次第で,23日は,この『環』が間に合ったことによって,なにかと話題も豊富になるだろう。わたしのプレゼンテーションも,ここに寄せたエッセイからはじめようかと考えている。さて,どんな例会になるか,いまから楽しみ。

1 件のコメント:

竹村匡弥 さんのコメント...

『環』最新号が楽しみだにぉ

メルロ・ポンティしゃんとマルチン・ブーバーしゃんを
読んでみるんだけど、気が付けば霧の中だにぉぉぉ。
くやしいだにぉ
ヘーゲルしゃんとの位相の違いぐらいは分かったような・・・
・・・だにゃぉぉぉ