1月22日(土)は奈良の山焼きの日です。恒例によって,奈良教育大学卒業生の会である「山焼きの会」と「ISC・21」1月奈良例会が合同で研究会を開催します,という案内が世話人の竹村君からとどきました。午後6時には,若草山の山焼きがはじまりますので,それまでの時間(午後2時~午後5時30分)を研究会にします,とのこと。夜は,会場となる教職員会館で「inacchi先生を囲む会」(奈良教育大学時代には,inacchi先生と呼ばれていた)が持たれることになっています。そして,時間の許す人は,そのまま会館でごろ寝をして一夜を過ごします。
その研究会で,『現代思想』(青土社)11月号で「大相撲」の特集が組まれたので,それの合評をしてくれる,とのことです。このブログでも取り上げましたので,ご存じの人が多いと思いますが,この特集で「大相撲のゆくえ」と題して,今福龍太・西谷修の両氏とわたしとで「討論」をさせていただきました。同じ号に,井上邦子さんが「7月の身体」という論考を寄せています。そこで,この二つを俎上に乗せて,みんなで合評をしようというわけです。正月早々の企画であり,とてもありがたいことだと感謝しています。
ということで,この『現代思想』11号がらみの情報を少々。
この特集を組んだ,そのタイミングがよかったのか,『週刊読書人』の「論潮」がすぐに取り上げてくれました。ありがたいことです。しかも,同じ号に,今福さんが編集しているサウダージ・ブックスの「叢書 群島詩人の十字路」『マイケル・ハートネット+川満信一詩選』が,仲里効さんによって書評されていました。これらの記事を読んで,ついつい嬉しくなって,今福さんにこのことをメールで連絡しました。
今福さんは,ちょうどそのとき,「群島シンポジウム」があって台北に行っていてもどってきたばかりでした,というメールとともに「知らなかった。すぐに手に入れて読みました。よかった。ありがたいことです」と素直に喜びの返信。仲里さんの書評も核心をつくもので,こんなありがたいことはない,とも。一般的に著者というものは「孤独」です。なぜなら,一生懸命に仕事をしていても,おもったほどには反響がありません。だから,ちょっとでも反響があると素直に嬉しいものです。わたしだけかと思っていたら,あの今福さんとて例外ではなかった,ということを知り,なんだか嬉しくなってしまいました。
そのメールのなかに,つぎの一文があったことも書いておきたいとおもいます。「井上論文,秀逸。とても心地よく読ませてもらいました。これからを楽しみにしています」と。もちろん,このことはすぐに井上さんにメールで連絡しました。井上さんは,逆に「緊張してしまいます」と返信をくれました。いいですねぇ。こういう感覚が大事だとしみじみおもいます。浮かれてしまったら,それで終わりです。でも,ちょっぴり羨ましい。わたしも,だれかに褒めてもらいたい。年齢に関係なく,いくつになっても褒められるということは嬉しいものです。
というようなわけで,こんどの山焼きの日は楽しみです。
いっそのこと,西谷さんや今福さんにも声をかけてみようかと思っているほどです。もちろん,多忙をきわめるお二人ですので,無理なのはわかっていますが・・・・。断わられても,声だけは掛けておく,というのがこれまでのわたしの流儀でしたので・・・・。でも,かなりの確率で,OKであったことも事実です。「奈良の山焼きを,奈良で一番いいポイントから眺めることができます」という誘い文句で・・・などと,いま思案中。ひょっとして,息抜きにきてくれるといいなぁ,と半分以上は本気。もし,お二人が来られるなどということになったら,みなさん,どうしますか。えらいこっちゃ,です。
とまあ,そんな初夢のようなことを夢想しながら,ことしの山焼きが近づいてきます。この10年以上,いや,まもなく15年になりますが,毎年,わたしはこの山焼きの日に奈良に「帰る」ことを卒業生たちと約束をし,実行してきました。最初は「山焼き講演」と称して,わたしがひとりで3時間,4時間とおしゃべりしてきました。が,さすがにもう体力的に無理だ,と世話人さんが判断されたようで,このような企画となったようです。嬉しくもあり,ちょっぴり残念でもあり,悲喜こもごもというところ。もちろん,ことしのこの企画に異論があろうはずもありません。時機をえた,とてもいい企画だと思っています。むしろ,感謝しているほどです。
大相撲問題を考えることは,まさに,現代の日本の縮図を見るおもいがします。このことは,『現代思想』のときにも話したことですが,大相撲問題は,典型的な日本社会の諸矛盾がみごとに集約されていて,それがいま大相撲の「国際化」(モンゴル人力士による乗っ取られ)という古き日本人の危機感を煽ることになり,はからずもその恥部が露呈してきたにすぎない,とわたしは考えています。こういうことが,どこまで掘り下げて議論してもらえるか,じつは,とても楽しみにしているわけです。
それと,もう一点。『現代思想』11月号に掲載された,わたしたちの「討議」は,じつは後半部分でした。その前半部分は全部カットされてしまいました。とても残念。で,『現代思想』の編集担当者にお願いをして,あのときの録音をCDにして送ってもらいました。できれば,この録音版をみなさんに聞いていただいて,それから議論をしてもらおうかな,といま考えています。お正月ですので,できるだけ楽しい企画にした方がいい,との判断です。
なお,井上論文は,とてもよくできています。昨日のブログではありませんが,朝日の野村周平さんに,ぜひ,井上論文を読んでから記事を書いてほしかった,としみじみおもいます。なお,野村周平さんは,慶応のラグビー部出身の記者で,ラグビーの記事に関してはなかなか面白い記事を書いていらっしゃいますが,でも,わたしからすれば,やはり「評論」でしかありません。ラグビーの世界の内側からしかものごとがみえていません。当然といえば当然ですが・・・・。でも,新聞記者になった段階で,<外>からの視座を身につけるべく努力すべきです。そのことがわかっていません。これは,朝日新聞運動部の考え方の問題でもありましょう。
とまたまた,野村さんの話になってしまいました。
この辺りで,今日のブログはおしまい。
大相撲を考えることは,日本を考えることだ,と言っておきましょう。けして他山の火事ではありません。われわれ日本人の問題です。それほどの大問題なのです。いつか,この問題を一つひとつ分解して,論じてみたいと思っています。元大関琴光喜のとった行動は,平均的日本人とほとんど変わりません。あの立場に立たされたら,みんな同じような行動をした,とわたしは考えています。この辺りで,ストップ。このさきはエンドレス。では,いずれ,また。
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