珍しいこともあるものです。ソウル放送局から,取材の申し入れが数日前にありました。そして,今日の午後5時に鷺沼の事務所でその取材を受けることになりました。間に入ったのはパク・ジョンジュン君。そう,あの「朴ちゃん」です。もう,ずいぶん長い間,音信不通になっていましたので,どうしているのかとおもっていたら,いまは韓国にいる,というこれは留守電に入っていたかれのことばです。まあ,人間関係というものは,いつ,どこで,なにがあるかわからないものです。
取材のテーマは「武道について」でした。ちょっと意外でしたが,朴ちゃんが間に入ったということであれば,なんとなく納得。朴ちゃんとは,日体大大学院の修士課程のとき,わたしの指導を受けた院生のことです。そのご,国士館大学大学院の博士課程に進みましたが,博士論文がなかなか書けなくて苦労している,というところまでは知っていました。が,そのごのことは情報がありませんでした。国士館大学での指導教員はT先生。この間のスポーツ史学会でお会いしたので,朴ちゃんのその後のことを聞いてみました。ちょっと困った顔をされて,「あの子ねぇ,最後の詰めが甘いんですよね。あと一踏ん張り,頑張ってくれるといいのですが・・・」と口をにごされました。このコメント,わたしには手にとるようにわかります。朴ちゃんは天才肌なので,自分でわかればそれで満足,それを人に伝えることはまことに下手。文章を書くと三段跳びで話が飛んでいってしまいます。これでは意味が通じないよ,と言えば,これ以上の説明は必要ない,と自信満々。長嶋茂雄のパッティング・コーチと同じです。「ボールがきたら,いいかい,バシッと打て。バシッとだよ」,これで長嶋君はバッティングの極意を説明したつもりなのである。
朴ちゃんは,韓国では有名な柔道家です。中学生で全国チャンピオンになり,以後,各年齢別の柔道の大会のトップを走りつづけ,やがて,韓国ナショナルチーム入りをはたします。そして,世界各国での大会で大活躍をします。ですから,韓国の人はほとんどの人がかれの名前を知っています。わたしが韓国に講演を頼まれてでかけたときに,38度線から北朝鮮の景色をみたいと言って朴ちゃんに案内してもらったことがあります。そのときに,バス停などで立っていると,かならずこどもたちが寄ってきて話しかけてきました。一緒にいる親たちも,やはり,有名人をみる目つきをしていました。「なにを話しているの」と聞くと,「柔道が強くなるにはどうしたらいいか」と聞かれている,と。「なんと応えているの」「親孝行をしなさい」「それが答えなんだ」「韓国ではこれを言わないとスポーツマンとして失格です」「ああ,そうなんだ」というような会話をしたことを思い出します。
朴ちゃんは,人なつっこくて,やさしいのでみんなに好かれていました(ここは過去形)。友達もたくさんいました(日本でも)。韓国の女優さんたちもほとんどみんな友達だと言っていました。日本でも,なぜか,有名人と友達になっていました。だから,わたしたちは「朴ちゃん」という愛称で親しみをこめて呼んでいました。しかし,短所もありました。ある一線を越えると,がんこでわがまま。自己中心主義者。これが見えはじめると,少しずつ,友達が身を引いていきました。それまでは,みんな仲良し,すぐに友達になってしまいました。その意味でも天才的でした。
そのごの朴ちゃんがどのように成長したかをわたしは知りません。たぶん,いろいろの苦労を重ねて,年齢相応に成長しているのだろうなぁ,と想像しているだけです。そして,かれの得意の柔道をとおして,日本と韓国の架け橋となり,重要な役割をはたしているのだろうなぁ,と想像しています。なぜなら,わたしのところの院生であったときから,韓国の柔道関係者は,日本にくると,いつも朴ちゃんを通訳として頼っていましたから。こういう仕事をしているときの朴ちゃんは目が輝いていました。社交的で,すぐに人のこころをとらえるのが上手で,行動が早い。これはかれの天性でもありました。
というわけで,そんな朴ちゃんの計らいで,ソウル放送局の取材が成立したというわけです。
朴ちゃんを紹介する話が予想外に長くなってしまいましたので,取材の話は明日にまわすことにしましょう。
乞う,ご期待! ということで。
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