正月元旦から気持ちを切り替えてとりくんでいた『IPHIGENEIA』第2号の最終段階の編集作業がようやく終わりました。今回の第2号はいろいろの意味で難航しました。このことは完成したときの合評会の折にでも報告したいと考え,いまはなにも言わないことにしておきましょう。いまは,なんとかやり切れたという思いで,ほっとしています。
第2号の目玉はなんといっても,西谷修さんの『理性の探求』(岩波書店,2009)と今福龍太さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社,2008)の合評会でしょう。とてもいい内容に仕上がっていますので,ご期待ください。が,これをまとめるのは大変でした。合評会は大勢の人が発言しています。ですから,その大勢の人が自分の発言について,ゲラの段階でかなりの直しの手を加えたりしています。その結果,微妙に発言に食い違いがでてきたりしてしまいます。場合によっては,全文カット,などということも起きました。そうすると,このズレ(のようなところ)を,最終的には強権を発動させて,辻褄合わせをしなければなりません。この作業がたいへんでした。が,それもなんとかクリアして,ゴールに到達しました。これでやれやれです。あとで,不満がでてくるかも知れませんが,そのときは,ひたすら謝るのみです。
「目次」をつくり,合評会の最初のページの構成を考え,小見出しをつけ(これがとても大変な作業で,かなりの集中と時間を必要としました),執筆者一覧を完成させ,さいごに「編集後記」を書き上げました。元旦から毎日,鷺沼の事務所に通って,一日もやすまず取り組みました。年賀状もほったらかしにしたままです。賀状をくださったみなさんにはほんとうに申し訳ないことをしています。どうぞ,お許しのほどを。これからとりかかります。いただいた賀状には必ず応答するつもりです。が,まずは,ほんとうに,ほっと一息。
そこで,いつものように自分へのご褒美。ちょっとばかり気分転換に小説を読むこと。と思って,まだ,読んでない小説の山に目をやると,一冊だけ書店がかけてくれたカバーのついたままの文庫本が目に入りました。手をのばすと,それがまたみごとに詠美ちゃんの本。わたしの大好きな作家のひとりです。タイトルは『風味絶佳』(文春文庫)。まずは,書店がかぶせてくれたカバーをはずして,表紙カバーから楽しみます。むかしのキャラメルが剥いたまま数個ころがっていて,そのバックは黄色。これはどうみても,わたしたちの子ども時代にもっとも憧れたM製菓のキャラメルを想起させます。懐かしい感情が一気によみがえってきます。この装丁をしたのはだれかと思って確認してみると,野中深雪さん。「風味絶佳」という文字と「山田詠美」という文字が同じ大きさで,大きく縦に並んでいます。その文字の色が,キャラメルの色と同じ。いいですねぇ。おみごと,と声をかけて,こんどは,ひっくり返して,表紙カバーの裏側をみます。そこには,谷崎賞受賞。解説・高橋源一郎,とあります。ますますいいですねぇ。
表紙カバーの折り込まれた内側に著者紹介が載っています。もう,百も承知ですが,ファンというものは手にとるたびにそこを読むのです。ふむふむ,とうなづきながら。まるで,知り尽くした古典落語を聞きながら,そろそろ落ちがくるぞと胸をときめかしているのと同じです。85年,黒人の男との愛と破局を描いた『ベッドタイムアイズ』(文藝賞受賞)で衝撃的デビュー。ここを読みながら,ただちに,この小説を読んだときの衝撃を思い出し,からだがその時代にタイム・スリップしていきます。これがまたたまらない快感なのです。若返りのひとつの秘法です。87年,『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で第97回直木賞。うん,そうそう,そうだった。でも,あのころのわたしはまだ初(ウブ)で「ソウル・ミュージック」もわかる,「ラバーズ」もわかる,だが「オンリー」って何だ,と真剣に考えたものでした。人に聞くのも恥ずかしいし・・・などと悩んだりもしました。よかったなぁ,あのころは,なんにも知らなくて・・・。89年,『風葬の教室』で平林たい子賞。うん,これは学校の先生は必読の小説だ,と言って教員になった教え子たちに押しつけたものでした。91年,『トラッシュ』で女流文学賞。この小説はわたしにはとても大きな衝撃があって,しばらくは茫然自失でした。なぜなら,同性愛者の関係というものが男女の関係よりもはるかに純粋で,お互いに全身全霊をこめて愛し合っていなければ成立しない世界である,ということを知ったからです。つまり,馴れ合いはありえない,と。つねに,新鮮な二人であるためには,どういう生き方をしなければならないのか,という重い課題を提示されたからです。男女の関係は甘い,と。96年,『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞。この作品の中にでてくるつぎの文章は,いまでも忘れることはできません。「動物の目でみてごらん。世の中,まるで違ってみえてくるよ」というこの一文,眼からウロコでした。もちろん,夏目漱石の『我が輩は猫である』の視線ではあるのですが,この『アニマル・ロジック』はそんな単純な話ではありません。遺伝子の話であり,血液の話です。まるで,バタイユのいう「内在性」の世界に近いものを感じます。まさに,泉鏡花文学賞だなぁ,という世界の話です。強烈な印象がいまも残っています。2001年,『A2Z』で読売文学賞。この小説を読んで「上手い」とほんとうに思いました。あの島田君(詠美ちゃんはそう呼んでいる)ですら,ちょっと参りました,というのではないかとおもうほどです。(いつだったか,詠美ちゃんは文学雑誌に「島田君,どうしたの?最近,ちょっと変だよ」というタイトルで,エッセイを寄せたことがあります。お二人はとても仲良しなのです。島田雅彦さんの父上さん=わたしの友人も,そう言ってました)。05年,『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞。
なんとまあ,7つもの文学賞を独り占めにしているではありませんか。しかも,それぞれの賞は,それぞれ固有の文学の世界を構築している作品に対して授与される賞ばかりです。山田詠美という作家がいかに多くの顔をもつ作家であるか,ということの証です。しばらく前のブログで,山田詠美の小説について奥泉光が「批評性」に焦点を当てて解説していることを書きました。「批評」ということについては,他のところでも論じていますので(わたくしめが・スポーツ文化論という立場での重要性について),ぜひ,参照してみてください。それほどに「批評性」は重要である,ということだけここではもう一度,指摘しておきたいと思います。
さて,『風味絶佳』には六つの短編が収められています。カバーのキャッチ・コピーによりますと「恋愛小説の名手がデビュー20年目におくる風味絶佳な文章を,1粒ずつじっくり味わってください」とあります。で,さっそく,最初の1粒に手をのばしてみました。短編小説のタイトルは「間食」,なんのことだろうと小首をかしげながら読みはじめました。わずか50ページ足らずの短編です。参りました。ただ,ただ,参りました。それだけです。で,この1粒を味わってしまったら,二つ目に手を出す気にはなれません。それほどに,1粒の味が深いのです。人間を観察する目,社会をみる目,人間の感情の襞や人情の機微を描きだす文章力,ここに「批評性」が盛り込まれているのですから,もう,参りましたのひとこと。
という次第で,これから一日一編ずつ,熟読玩味したいと思っています。
詠美ちゃんはいいねぇ。お薦めです。ぜひ,ご一読を。
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