2011年1月28日金曜日

「マスク」考現学。

 冬の到来とともにマスクをする人が毎年増えつづけているという。そういわれてみれば,街行く人びとの多くがマスクをしている。電車に乗ってまわりを見回してみてもマスクをしている人は多い。いったい,どういう目的で,マスクをしているのだろうか,と不思議だ。なぜなら,わたしはマスクというものをした記憶がないまま,こんにちに至っているから。
 つい最近の新聞記事に不思議なことが書いてあった。「あなたはなぜマスクをしているのですか」と若い女性に尋ねてみたところ「顔をみられたくないから」と答えたというのである。不思議に思った記者さんは,これをテーマにしてあちこち取材をしてみた。そうしたら,若い女性だけではなく,高校生の男子にもそういう人がいた,という。しかも,その数はけして少なくない,というのである。こうして,ひととおり取材を終えて情報を整理してみると,意外にも「顔を隠すためにマスクをする」という人がマスクをしている人全体の中でもかなりの割合を占めている,というのである。しかも,年齢層にはあまり関係ない,という。
 これはいったいどういうことなのか。わたしにはわけがわからない。もちろん,わたしにも「今日はあまり人には逢いたくないなぁ」という気分の日はある。でも,約束があるかぎりは気を取り直して逢う。でも,逢って話をしているうちに,そんな気分も消えていく。つまり,軽い「ウツ」なのである。その反対に,なんだかしらないがやたらとはしゃぎたくなるときもある。こちらは軽い「ソウ」なのである。こんなことは,たぶん,だれにでもあることだろう。しかし,それが強度を増してくると「ウツ」病になるのであろう。いま,この「ウツ」病が密かに急増している,と聞く。そして,思いがけない悲劇を生むことも少なくないとも聞く。
 街中にでていくのに,顔を隠さねばならない,という心理がわたしには理解できない。ここからさきは,それこそ,香山リカ先生のような専門家のご意見を聞きたいところではある。が,それはともかくとして,「マスクで顔を隠す」ということが,最近の新しい傾向として登場しているとすれば,その原因は奈辺にありや,という疑問がわいてくる。もちろん,その原因は素人が考えてみてもそんなに単純なものではなさそうだ。そこらあたりまではなんとなく推測ができる。いま,仮に,その原因が複合的なものであるとすれば,いったい,どういう要素が複合していくと「顔を隠す」というところにいってしまうのか,わたしはそのあたりのところを知りたい。
 最近のマスクを観察してみると,さまざまなデザインのものが出回っていて,ついこの間までのマスクとはすっかり様変わりしていることに気づく。なるほどなぁ,と感心してしまうほどによくできている。つまり,顔の曲線にぴったり合うように工夫がこらされているのだ。つまり,マスクの横から空気が入りにくくなっている,というわけだ。なぜ,ここまでしなくてはならないのか,これもまたわたしには理解不能である。なぜなら,マスクをしてもインフルエンザのウィールスをシャット・アウトすることにはなんの効果もない,というさる信頼できる筋の医学的な実験結果について詳しく講義を受けたことがあるからだ。しかし,いつのまにやら,マスクをしていれば風邪をうつされない・うつさない,という暗黙の了解(常識?)のようなものが世間に広まっている。
 病院にいくと,お医者さんもマスクをしている人が多い。だから,患者さんたちも,そうか,マスクをすればいいのだ,と勘違いしてしまう。しかし,マスクをする内科の個人病院のお医者さんに話を聞いてみると,診察する際には,患者さんとの顔の距離が極端に近くなることもあるので,こちらの呼気が患者さんの顔にかからないように配慮しているだけだ,とおっしゃる。なるほど,と納得。そういえば,いま通っている歯医者さんもマスクをしている人が多い。口の中を覗き込みながら,細かな作業をしなくてはならないのだから,自分の呼気も,患者さんの呼気も,相当に気にはなるだろうなぁ,とこれも納得。とくに,いま患者になっているわたしの立場からすれば,よくわかる。たとえば,ガリガリと削られているときには,無意識のうちに呼吸を止めてじっと痛みがきたときのために備えている。そして,そのマシンが止まった瞬間に大きく深呼吸をしてしまう。そんなときには,たぶん,歯医者さんの顔にストレートにわたしの呼気はとどいているだろう,と思う。だとすれば,マスクをしたくなる心理もよくわかる。
 それ以上に,世間の衛生観念のようなものが妙な具合に定着している,ということに起因することの方が比重が重そうだ。つまり,お医者さんがマスクをしていると,なんとなく衛生管理がゆきとどいている病院,という妙な観念が一般的にあるように思う。だから,一般の患者さんへの戦略としてお医者さんがマスクをするというのはあるかもしれない。とくに,外科の手術のときには,そこに立ち会う人もふくめて全員がマスクをしている。この方が,なるほど,安心する。
 と,そんなことを思っていたら,なんと,こんどは透明マスクが登場した,と新聞にある。目的は,マスクをしてしまうとその人の感情表現がほとんど伝わらなくなってしまうので,それを除くためだ,という。こうなると,もはや,マスクはファッションの一部だ,ということになりそうだ。これならわたしにもよくわかる。医学的な根拠などはどうでもいい。ちょっとかっこいいからしているだけ,という人の感性の方が安心する。
 透明マスクには,わたしはある種の期待をいだく。なぜなら,顔を隠すためのマスクではなく,顔をみせるためのマスクだから。この方が健全だと思うから。自分の顔をよりよくみせる,という積極性が感じられるから。ちょうど,メガネと同じだ。つまり,メガネのフレームにさまざまな工夫が凝らされ,その中から自分の気に入ったものを選ぶ。そこに,その人の個性が表現されている。似合う・似合わないの議論はともかくとして,その人の個性がそこには表出している。その意味では,黙っていてもコミュニケーションが,すでにひとつ進展している。透明マスクには,そういう可能性を感ずるから,楽しみでもある。ひょっとしたら,さまざまな面白いデザインの透明マスクが登場するのではないか・・・と。そして,みんなが個性を表出して,思いおもいのマスクをすればいい。奇想天外のマスクも登場してくるのではないか,と想像するだけで楽しくなる。
 マスクと風邪との関係などはどちらでもよくなり,透明マスクのアラカルトを比較しながら楽しめる社会が到来することを,いまから楽しみにしたい。いつ,どこで,透明マスクにお目にかかれるか,これも楽しみだ。

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