2011年6月8日水曜日

『原発労働記』(堀江邦夫著,講談社文庫)に手が伸びる。

締め切りのある仕事に追われるとストレスがたまる。そういうときに限って,いろいろの本が読みたくなる。欲求不満の裏返しである。あとで・・・と自分に言い聞かせて,本だけは買ってある。その山が日毎に高くなっていく。ますます読みたくて仕方がなくなってしまう。

それでとうとう欲望を抑えることができなくなって,すーっと手が伸びた本がある。『原発労働記』。もともとの書名は『原発ジプシー』(現代書館,1979年,講談社文庫,1984年)。もう,ずいぶん前に(まだ,奈良教育大学に勤務していたころに),だれかに薦められて読んだ本だ。その本がどこを探してもみつからない。「3・11」以後,もう一度,読み直して「原発の作業員」と呼ばれている人たちの現場を確認しておこうと思っていたら,『原発労働記』という書名となって復刻された。すぐに,本屋に走り,手に入れてはあった。

その本に手が伸びてしまった。人間の記憶というものはいいかげんなもので,そのほとんどを忘れてしまっている。ただ,ぼんやりと原発というところは「人間の働く現場ではない」,とてつもなく過酷な,人非人扱いの作業に従事させられる・・・という際立った印象だけが残っているにすぎない。しかも,初めてこの本を読んだころは「原発安全神話」がまことしやかに喧伝されていたこともあって,原発の作業現場にはこんな過酷な現実があるのだなぁ,とどこか別の世界のことのように受け止めていたことも事実だ。つまり,切実感がまったくなかった。

しかし,今回は,まったく情況が違う。冒頭から,大きなハンマーで後頭部を打たれつづけているような衝撃が全身を走る。これほどまでも過酷な作業をしていたのだ・・・と。しかも,その作業は「定期検査」の間のことだ。つまり,とくべつの異常事態が起きてからの原発の作業ではないのだ。にもかかわらず,その作業の実態を読み進めていくうちに,わたしなどは「吐き気」をもよおしてきて,必死でこらえている。もちろん,食欲などはどこかにすっとんでしまった。たぶん,今夜は夕食抜きになるだろう。

原発という設備はなんと汚れの激しいところなんだろう,というのが今回の強烈な印象である。その「汚れ」にはいろいろある。ひとつは,原発の設備を構成しているさまざまな管の内部に膨大な汚れが溜まっていることだ。なにゆえに,このような汚れが溜まるのかは「作業員」には知らされていない。もちろん,教えてもくれない。真っ黒い粉塵がいっぱい管の中にこびりついている。それを作業員は手作業で拭き取り,払い落とし,電気掃除機で吸い取るという。立って歩けるほどの太いものから,匍匐前進でしかくぐり抜けられないような細い管まで,さまざまだ。この作業からでてくると,衣服から顔から手からありとあらゆるところが真っ黒になっている。ときには,息苦しくなってきて,ついには意識朦朧とした状態で限界ぎりぎりまで作業をしなければならない,という。しかも,この汚れには,放射能が含まれている。外部被曝も内部被曝も関係ない。それに対する管理体制もこれまたまことに杜撰。被曝の量についての基準はあるが,それを超えると,その基準をあっという間に3倍に上げて,さらに仕事をさせる,という。こんなことが,この本の著者が作業員として仕事に従事していた1979年に,すでに,まかり通っていたというのだ。

これらはまだまだ序の口の話だ。
この著者が,最初にもらった給料と民宿に支払った金額が掲載されている。
▽基本給=7万7000円(日当5500円×14日)
▽時間外=2577円(3時間)
▽合計=7万9577円
ここから昼食代3500円(1食250円)と民宿代6万3000円(1泊2食付3500円)が引かれ,結局,手元に残ったのはわずか1万3077円だった。

驚くのはまだ早い。この賃金は,かれが雇われている下請け会社(山田工業)にピンハネされたものだ。しかも,そのピンハネの額がけたたましい。これはどう考えても「犯罪」だ。ちなみに,つぎのような会話を参考までに引いておこう。
「堀江さん(著者の名前),わしらの賃金が安いって言うけど,元請会社から山田工業に,一人当たりいくら支払われてるか知ってる?」
「わしが聞いた話だと,1万数千円・・・」と沢田さん。
「そんなところじゃないかな。たとえば,1万5000円としようよ。それが堀江さんには5500円しか渡らない・・・。単純計算しただけでも,山田工業は,9500円もピン(ピンハネ)してることになる」
「それも一日・一人についてのピンだからなぁ」
「労働者を50人かかえてれば,たった一日で,えーと,47万5000円。ひと月を20日間とすると,一カ月のピンハネ料だけで,なんと,950万・・・・」

こんなことがまかりとおっている世界なのだ。呆然自失。しかも,山田工業は元請会社の下請だ。だとすると,元請会社はいくらピンハネしているのだろうか,と気が遠くなってしまう。そういう現実を知っていても,なおかつ,働かなくてはならない人たちがいる。この現実は,基本的にはいまも変わってはいない。フクシマで働いている作業員の人たちの手にわたる給料の,もともとの金額はいくらなのか,わたしたちは想像だにできない。不当労働であることは明白なのに,そこにはだれも手をつけようとはしない。

わたしは,まだ,この本の第1章 美浜原子力発電所を読み終えたばかりだ。そして,第2章が福島第一原子力発電所だ。(第3章は敦賀原子力発電所)。福島では,もっと恐ろしい体験を,著者堀江邦夫さんはしていることを,おぼろげながら記憶している。いまから,もう,恐ろしくて読む気になれない。しばらく間をおいてからにしようと,いま,ものすごく弱気になっている。

「3・11」以前と以後とでは,まったく別人になったわたしがいる。この本を読みはじめてみて,はっきりと自覚することができた。
この本を,かつて,読んだ人は多いと思う。しかし,もう一度,読まれることをお薦めする。こういう人非人的労働を強いることなしには原発は維持管理できないという事実を,わたしたちは,肝に銘じておくべきだ。ましてや,いま,フクシマで働いている作業員の人たちは,コントロール不能となってしまった原発の事故処理に従事しているのだ。この本の定期点検とは次元が違う。そういうことを加味したとき,いま,作業員としてフクシマで働いている人たちに,なんとことばをかけたらいいのか
わたしにはわからない。

そういう人たちに支えられていまのわたしたちの生活がある,このことだけは忘れてはならない。

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