2011年6月27日月曜日

明日から三日間,東北地方の被災地を巡る旅にでます。

ようやく重い腰をあげて,東北地方の被災地に身を移動させ,その場に立つことにしました。つまり,その現場に立ったとき,わたしのからだがどのような反応を示すのか,そして,どのような情動に揺さぶられるのか,その上で,いったいなにを考えはじめるのか,験してみようと決めました。これはやってみないことにはなにもわかりません。

作家で僧侶の玄侑宗久さんが,「三春町から避難するお考えはありませんか」といい加減なレポーターに問われたときの応答がわたしには忘れられません。わたしの記憶に間違いがなければ,つぎのような応答をされていました。

三春町に住んでいらっしゃる人たちの考えも揺れ動いています。ある人は,すでに避難されていますし,ある人はここから離れないと覚悟を決めたといいますし,その考えや行動はさまざまです。家族のなかの親子でも考え方が違います。しかし,それは仕方のないことです。なにがよくてなにが悪いということではありません。一人ひとりが考え,行動すべきです。

わたしは,この町に住んでいるかぎり,まずは僧侶です。まだ,ご遺体すらみつからないまま,弔ってもらうことすらできない人がたくさんいらっしゃいます。わたしがまずやらねばならないことは,その人たちの霊にそっと手をさしのべることです。そのための読経を,この寺でつづけることが,わたしにとっては欠かせないお勤めです。ですから,わたしはこの地を離れることはできません。

わたしのもう一つの仕事は作家であるということです。作家として「ことば」を発するためには,この土地の人びとと苦楽をともにし,ともに悩み,考え,日々変化していく情況をしっかりと見極めながらでなければ,わたしのほんとうの気持のこもった「ことば」を紡ぎだすことはできません。それは,わたしが,ひとりの人間として生きることの意味でもあります。

以上が,わたしが聞いた玄侑宗久さんの応答でした。
以後,玄侑さんは,まいにちのようにブログで日々の心境を語り,新しい情報にもとづく考えを書き綴っていらっしゃいます。しかも,必要とあれば,断ることなく,どこにでもでかけていってみずからの考えを淡々と述べる。玄侑さんの小説を読んだ人ならすぐわかりますように,仏教の教えと最新科学の最先端の研究成果とを結ぶ,いわゆる,宗教と科学の「境界領域」のぎりぎりのところのせめぎ合いを生きる人間の姿を,得意とされています。ですから,いま,この時代(つまり,3・11以後)を生きるわたしたちにとって,きわめて重要な道しるべを提示できる人のひとりだとわたしは考えています。

そんなこともわたしの頭のなかにはあって,かねて誘いのあった仙台の友人のところにでかけてみようと,ようやく気持の整理がついたというわけです。なぜなら,ただ,行けばいい,ということではないからです。たんなる物見遊山ではありません。むしろ,ことばの正しい意味での「物見」にでかけるということです。「物見」とは「ものをみる」こと以外のなにものでもありませんが,じっと気持をこめて「ものをみる」ということはそんなにたやすいことではありません。じっと意識を集中して「ものをみる」ことの向こうには無限大の時空間が待ち受けています。そのさきに「透けてみえてくる」ものがなんであるのか,そこが肝腎なところです。

言ってしまえば,「自己を超え出る」ことの経験です。「物見遊山」とは,じつは,もともとはこういう意味でした。しかし,いつのまにかたんなる遊び・娯楽となってしまいました。が,むかしの人が「旅」にでるということは,ほんとうの意味での「物見遊山」にでかけることでした。「物」そのものがもつ霊力に触れること,それが「物」を「見る」ということです。しかも,「遊山」の「遊び」とは神との交信を意味していました。ですから,「遊山」とは,山に住む神々との交信を意味しています。こうして,人びとは「旅」にでることによって「自己を超え出る」ことの経験を期待したのです。じつは,この意味はいまでも生きています。「可愛い子には旅をさせろ」という俚諺もそのひとつです。

わたしはもう可愛くもなんともないたんなる老人にすぎませんが,欲張りなことに,いまも「自己を超え出る」ことになによりもの喜びを感じています。それが,ほんとうに「生きる」ということの実体だ,とも思っています。ですから,死ぬまで「自己を超え出る」ことを求めつづけたい,と。もっとも,最後の「死」こそ,ほんとうの意味での「自己を超え出る」こと以外のなにものでもありませんが・・・・。

落ちがついたところで,心置きなく明日からの「旅」にでることができそうです。
望むらくは天気に恵まれることのみ。
というわけで,明日から3日間は,このブログをお休みします。

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