ソウル・オリンピックの陸上100m決勝でベン・ジョンソンが驚異的な世界新記録を出して金メダルに輝いたが,その後のドーピング・チェックで「クロ」と判定され,金メダルが剥奪されたことは,いまも多くの人が記憶していることだろう。しかも,一件落着したあとの談話で,ベン・ジョンソンはつぎのように語っている。
「おれは罠にはめられたんだ。ドーピングをやっているのはおれだけではない。みんなやってるんだ。だから,全員,ドーピング・チェックをすべきだ。それでなければ不公平ではないか。なぜ,おれだけがドーピング違反にされなければならないのか。」
「おれは罠にはめられたんだ。ドーピングをやっているのはおれだけではない。みんなやってるんだ。だから,全員,ドーピング・チェックをすべきだ。それでなければ不公平ではないか。なぜ,おれだけがドーピング違反にされなければならないのか。」
8月7日(日)の午後から開催された「ISC・21」8月神戸例会で,伊藤偵之先生に「ドーピングの現在を考える」という講演をしていただいた。長年にわたって,JADA公認シニア・ドーピング・コントロール・オフィサーとして活躍された方だけに,話題に事欠かない。しかも,これまであまり公にはされてこなかったドーピング・チェックの表の話も裏の話も含めて,わたしにはとても刺激的なお話だった。途中休憩もはさんで,たっぷり3時間半にわたってお話いただいたにもかかわらず,もっともっとお話をお聞きしたいというところで時間切れとなってしまった。伊藤先生のお話では,これが「ラスト講演」だとのこと。その意味では,わたしたちは貴重なお話をうかがうことができたわけだ。こころから感謝の意を表したいと思います。
このご講演の内容については,後日,研究所紀要『IPHIGENEIA』に掲載させていただけるということですので,細部については,そちらにゆだねることにして,ここでは,もっとも印象に残った話題を一つだけご紹介しておくことにしよう。
ドーピング問題は「いたちごっこ」だと言われる。特定の薬物を禁止すると,それに代わる新しい薬物が開発され,それをまた禁止するという終わりのないドラマが展開されているからだ。しかし,問題はそれだけでは終わらない。ドーピングに関する根源的な問題は,人体には存在しない薬物を体内に取り込むということだ。それは,一時的に筋肉や神経にある特定の作用をおよぼすだけではなく,最終的には脳に影響をおよぼすことになる。つまりは,死に至る。
人体には存在しない薬物とはどういうことか。漢方薬のようにある特定の植物の成分を抽出して処方するものもあれば,動物の体内から特定の成分をとりだすもの,そして,鉱物から抽出するものまで,多種にわたる。しかし,植物や動物から抽出されるものは,少なくとも「生きもの」の成分であるという点では,人体とまったくの無縁というわけではない。なぜなら,人間は,他の生命体,つまり,植物や動物を「食べ物」として「いただいて」生き長らえているからだ。しかし,鉱物は,そこからは除外される。
その鉱物からも,いわゆるドーピング用の「新薬」が開発されている。しかも,自然のままの鉱物には存在しない成分を,ある特殊な方法を用いて,新たに創り出してしまう技術も開発されている,という。こうして,つぎつぎに,これまでの技術では考えられなかったようなドーピング用の「新薬」が開発されている,という。つまり,「新薬」はその「効用」という点でますます過激になりつつある,というわけだ。しかも,それらはいきなり「人体実験」として,「極秘」で用いられている。恐るべき現実が,いまトップ・アスリートたちの世界で繰り広げられている。
この現実はどこかで原発とよく似ている。たとえば,ウラン鉱石のなかから,特殊な技術をもちいて,自然界には存在しないプルトニウムという物質をとりだし,その核分裂のときに放出される膨大なエネルギーを利用して電気を発電させようという,その発想といい,その方法といい,そっくりではないか。電力を生み出す単位時間内での「効率」だけが重視されていて,その後のことは考えられてはいない。使用済み核燃料の処理には何万年もの時間を要するというのに・・・。それでも「コストは安い」という。そこでは,人命を犠牲にする「コスト」というものは計算されてはいない。
ドーピングもじつによく似ている。競技での記録や勝敗での「効率」だけが重視され,そのための「効用」だけが対象とされる。あとは,使い捨てだ。人成長ホルモンを飲まされたある女性選手は,中年を過ぎてもまだ「成長」をつづけていて,とどまるところを知らないという。その「成長」を止める方法がまだわかっていない,という。
ひとたび暴走をはじめた原発は手のつけようがない。恐るおそる原発を遠巻きにしながら,試行錯誤的にあれこれ試みることしかできない。情けないかぎりだ。制御不能となって暴走することもありうる原発を「想定外」と割り切って(マダラメ君),見切り発車させてしまう,この発想と方法は,ドーピング問題とあまりにも酷似している。
「未来はすでにここにある」と,原発問題に触れて西谷修は書いた。ドーピング問題もまったく同じだ。近代スポーツ競技の「未来はすでにここにある」。すなわち,もはやエンディングのシナリオがはじまった。伊藤先生は,「ドーピング問題は解決不能」,「ドーピング問題を解決しないかぎりオリンピックは21世紀を超えることはできないだろう」と警鐘を鳴らす。
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