2011年8月15日月曜日

「念ずればそれでよし」という教えに便乗して,墓参りもせず・・・。

お盆の三が日を故郷で過ごすことがすっかりなくなってしまった。両親が生きている間は,なにかと理由をつけては実家に帰ることもあったが,それ以後はだんだんに疎遠になってしまった。ときにはお墓参りに・・・と思うこともないわけではないが,なんだか遠のいてしまう。ご先祖さまには申し訳ないと思いつつも・・・。

こんなときには,自分に都合のいいことだけが,ふと脳裏に浮かんでくるものだ。ある時,わたしの父が,奈良の古寺の境内に立ってじっと動かなかったことがあった。本堂の広庭の真中あたりに立って,じっとしている。いつもなら,さっさとお賽銭箱の前に立ち,それとなく般若心経を唱える人なのに,なぜか,動かない。からだの調子が悪かったわけではない。ときおり,あちこちの様子をうかがうように,ゆっくりと視線を巡らせている。

どうしたのだろうと思って声をかけてみる。「お参りはしないの?」とわたし。「別にお参りをする必要はない。念ずればそれでよし」と父。「えっ,どういうこと?」とわたし。「手を合わせることも大事。経文を唱えることも大事。しかし,もっとも大事なのは本気で念ずることだ。だから,なにもしなくてもいいんだ」と父。なるほど,「念じていた」のか,と納得。それから,いつのまにか道元さんの話になり,道元さんが「形式よりは念ずるこころが大事」と説いているとその根拠を教えてくれた。

父の名は「戒心」。幼名は「唯雄」。幼いころ(小学校の1年生くらいだったと記憶する)に養子にもらわれていったさきの寺の坊主(わたしの祖父)が,「戒心」という僧名を与えた。理由は,将来,僧侶になったときに「唯雄」は「ゆうゆう」と読むことになるので,これでは具合が悪かろう,ということだったらしい。そこで付けた名前が「戒心」。わたしは不覚にも,つい最近まで,単純に「こころを戒める」ことを忘れるな,という意味で祖父が付けた名前だと思い込んでいた。

しかし,恥ずかしいことに,そうではない,ということがわかった。「戒心」ということばは『四書五経』のなかにある。そこからとった名前である,と。つまり,「心気」「家法」「気静」「厚謹」「性心」「行跡」「戒心」などの文言が『四書五経』のなかで説かれている,と。そして,生きるための心構えとして,これらの教えが重要であると説かれているのだ。これを知ったときは驚いたと同時に恥ずかしい思いをした。

名づけをした祖父はあまり多くを語る人ではなかった。が,あるとき,おれは勉強では負けることはなかった,とポツリと言ったことがある。それは,わたしが高校生になったころの話である。たぶん,激励のつもりで言ったのだろうが,突然のことだったのでいささか驚いた。ただ,じっとこちらの顔を見据えるように眺める人で,それ以上のことはなにもない人だった。だから,顔を合わせても「こんにちは」と挨拶する程度で,それ以外のことはなにもない,と油断していたからだ。

が,いまにして思えば,この祖父は『四書五経』を熟知していて,そのなかからお気に入りの「戒心」ということばを選んで,幼い養子の名前にした,ということは明白である。むかしの教養人であれば,『四書五経』に精通しているのは当たり前の話だろう。だから,こういう古典から,わたしなどはもうずいぶんと遠ざかってしまっていただけの話である。でも,偶然とはいえ,ある本を読んでいたら,そこにこの事実を見出すことができ,大いに満足である。

父は,結局は,教員と坊主の二足のわらじを履きながら,わたしたち兄弟を育て,生涯を閉じた。しかも,「戒心」という名前を本人は気に入っていたようだ。「おれは本来は気が短く,すぐに腹が立つ性格だったが,名前のお蔭で自分を律することを覚えた」と,晩年になって語ってくれたことがある。わたしの印象としては,穏やかな,どこか達観したところのある人だなぁ,というものだった。「戒心という名前をみて,ひやかす人間も少なくなかったが,立派な人はみんな『いい名前だ』と言ってくれた」とも。さらには,「いい名前だと言ってくれた人と親しくお付き合いできたことは幸せであった」とも。

経済的な理由で,3人の男の子を育てることはできないと判断してか,「このおじさんについて行きなさい」とひとことだけ言って送り出した実母(わたしの祖母)は,自分の実子である「唯雄」を,死ぬまで「戒心さん」と「さん」づけで呼んでいた。わたしは,かなり大きくなってから,そのことに気づき,はっとさせられた。そして,いまも思い出すだけで涙が止まらない。

その祖母とは一回だけ,ほぼ一里(4キロ)の道を,二人で手をつないで歩いたことがある。小学校4年生だった。「正浩さんはいい子だ。きっと立派な人になるよ」とも言ってくれた。このときも,考えてみれば,孫を「さん」づけで呼んでいる。心根のやさしい人だった。が,どこかに自分を責めているところがあったのだろうか。ほとんど口をきかない寡黙な人だった。が,ときおり,細い線のような眼が「ギロリ」と光ることがあった。それはそれは鋭いまなざしだった。そのときばかりはわたしの心臓が止まりそうになった。不思議な人だった。

父が教えてくれた「念ずればそれでよし」という道元さんのことばについて書くつもりが,いつのまにか父の思い出を書くことになってしまった。そして,名づけの親である祖父と,実母の祖母のことにまで話題が拡がってしまった。となると,わたしにとっては大事な「一道」和尚(大伯父)のこと,その奥さん(この人がまた無類の善人)のこと,母方の祖母(わたしにはことのほか厳しい人だった)のこと,なども書きたくなってくる。そして,なによりも母のことも。

そうなると際限がなくなってしまう。が,いずれまた,なにかの折に懐かしく思い出すこともあろう。そして,このブログで書くことになることもあろう。いずれの人もみんな鬼籍に入られた人たちばかりである。今日はお盆の送り火の日。遠く離れたところにいるが,「念ずればそれでよし」と教えてくれたことばどおりに,それらの人びとを思い出しながら「念ずる」ことにしよう。

こんにちわたしがここにあるのは,この人たちのお蔭だ。
そう考えると無限にわたしの存在が小さくなっていく。
そんなことがこころの底からわかる年齢になってきたということなのだろうか。
いい人たちに恵まれて,いまがある。感謝あるのみ。

1 件のコメント:

まゆのほっぺ さんのコメント...

「千の風になって」ではないけど、お墓に故人がいるわけではなく、お墓は霊界に向けての発信塔なのだそうです。なかなかお墓参りに足が向かなくても、その場でいつでもお墓参り(念ずれば…とお父上が言った通り)ができるものだそうです。
私ももう何年も妹のお墓には行ってません。結婚してからは、随分と疎遠になっています。
ただ念ずるときは「感謝」も忘れないようにしています。これは神社でお参りする時も気をつけていますが…。