バタイユは65歳という,こんにちでいえば比較的若い年齢でこの世を去った。だから,バタイユ自身としては,志半ばにして・・・という思いが強かったと思う。たとえば,よく知られているように,バタイユはみずからの思想・哲学を『無神学大全』全5巻でまとめ,完成させる構想をもっていた。しかし,この構想を実現する前に,病に倒れてしまった。
この『無神学大全』が完成していたら,バタイユの思想・哲学はもう少し違ったかたちで世の中に受け入れられたのではないか,とわたしは考えたりしている。なぜなら,いまでもバタイユの考えたことがらを否定的にしか受け止めない,世にいう「哲学者」は少なくないからだ。この問題に深入りしてしまうと本題からはずれてしまうので,ここはこの程度にとどめおくことにする。
で,バタイユの『宗教の理論』の訳者である湯浅博雄は,巻末に寄せた「解題」のなかで,注を付してつぎのような興味深い話を展開している(P.233.)。
付け加えておくと,1948年2月26日,27日に「コレージュ・フィロゾフィック」で二回行った講演『宗教史概要』を発展させて記述された『宗教の理論』は,1953年のプランによると「非-知のもたらす効果に関する著作」の一部として組み込まれ,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という総題の下にまとめられることになっていた。1954年の『内的体験』の再版の中では,その著作の題名は『非-知の未完了な体系』と変更され,『無神学大全』の第五巻となる予定であった(第四巻の予定は,これも完成しなかったが『純粋な幸福』。その『非-知の未完了な体系』は第一部が『宗教の理論』であり,第二部がやはり「コレージュ・フィロゾフィック」で行った<非-知>に関する五回の講演をまとめ,改稿したものとなる計画だった。実際はバタイユの病気と死によって,こうしたプランは実現されることはなかったが,『宗教の理論』が高い完成度を持つにもかかわらず生前には未刊に終ったのは,内容に不満があったというよりもおそらくそれを組み込むもっと大きなプランを練っていたためである。
このテクストの要所,要所に付された注をたどっていくと,バタイユという人は,みずからの思考の深化とともにこれまでに書いたものを改稿したり,あらたな構想のもとに改編したり,とめまぐるしくそのスタンスを変化させながら,自分の思考をいかにして伝えたらよいかを工夫しつづけた人であることがわかってくる。それでも,最終的には『無神学大全』全5巻でみずからの思想・哲学を完結させようと考えていたことは変わらなかったようだ。
この湯浅博雄の注を読んで,これはいったいどういうことなのか,と思うことはたくさんある。たとえば,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という表題はいったいなにを考えていたのだろうか,と頭をひねる。しかも,それが『宗教の理論』をその内容の一部として組み込まれることになっていた,というとますます考えてしまう。
このことを考える手がかりを求めるとすれば,つぎのようになろうか。
バタイユは,「人間の特性」を三つに分けて考えていた。
1.道具をわがものとしたこと。
2.動物性を否定(禁止)したこと。
3.死を認識したこと。
つまり,動物性から離脱して人間性に移行することによって新たに獲得した「人間の特性」は,大雑把に整理すると以上の三つになるというのである。そのうちの「3.死を認識したこと」が,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という表題と対応しているのだろう,とわたしは考える。
当初の人間が,死を認識するようになってくると,その認識の進み具合に応じて,ますます人間性へと分け入っていくことになる。死を認識するということは,言ってしまえば,死を恐れることであり,死に対する畏敬の念の芽生えである。この死を認識する(恐れたり,畏敬の念をいだいたりする)ことによって,人間は,一つは宗教の問題に分け入ることになったし,もう一つは労働というものを深化・進化させることになった。
死と宗教の問題が結びつく,あるいは,死の認識が宗教を産み出す,ということについてはもはや説明を要する問題ではないだろう。しかし,死と労働との関係については,わたしたちはあまり考えたことがない。この点については,ヘーゲルが『精神現象学』のなかで,<主>(主人)と<奴>(奴隷)の関係という有名なテーゼを提出しているので,そちらを参照していただきたい。ごく簡単に説明しておけば,死を恐れることなく闘う人間は支配者となり<主>となる。が,死を恐れて闘うことを放棄した人間は被支配者となり<奴>となる。しかし,<主>は労働することなく,<奴>の労働によって,その生産されたものを搾取すればいい。だから,労働する必要はない。しかし,死を恐れた<奴>は,<主>に隷従し,ひたすら労働をしいられる。したがって,自然を相手に労働をするのはあくまでも<奴>であって<主>ではない。だから,最終的に自然の<主>になるのは<奴>であって<主>ではない。ここに<主>と<奴>の逆転が起こる。
こうした「死」をめぐる人間のスタンスのとり方が<主>と<奴>という二つの階層を導きだすことになり,そこから「労働」という問題が立ち上がり,こんにちの状況へと一直線につながっている。つまり,動物性から人間性へと移行することの内実の一つはこういうことだったのだ,とバタイユは説く。だとすると,この「死」をどのように止揚していくかということが,つぎの大きな問題として立ち現れることになる。この問題を超克するための一つの提言が『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という総題には籠められているのだろう,と考えてみる。
死ぬことに日常的に怯えていたら,それは主客転倒というものだ。人間が「生きる」ということを重視するのであれば,死なんか笑い飛ばしてしまえ,という次第なのだ。「笑い死ぬ」という逆説的な表記が,これまた強烈である。そして,「死ぬことを笑う」というのも,度胆を抜かれる。バタイユがこのような総題を考えていた背景には,現代人の過剰なまでの死へのこだわりのなかに,ものごとの本質的な過誤をみとどけていたのではないか,と考えられる。だから,笑いすぎて死ぬこともある(「笑い死ぬ」)。死を悼んで泣くのではなく「笑う」ことも視野のなかに入れろ。そこまで行かないかぎり,人間にとっての真の解放,すなわち「自由」の回復は不可能だ,とバタイユは考えていたのではないか,とわたしは考える。
バタイユの『宗教の理論』が,バタイユの構想のなかでは,そのような位置づけになっていたということを視野のなかに入れると,そこからまた一段と見晴らしのいい読解が可能となってこよう。こうしてまたまた『宗教の理論』を読み解くことの楽しみが増えていく。
この『無神学大全』が完成していたら,バタイユの思想・哲学はもう少し違ったかたちで世の中に受け入れられたのではないか,とわたしは考えたりしている。なぜなら,いまでもバタイユの考えたことがらを否定的にしか受け止めない,世にいう「哲学者」は少なくないからだ。この問題に深入りしてしまうと本題からはずれてしまうので,ここはこの程度にとどめおくことにする。
で,バタイユの『宗教の理論』の訳者である湯浅博雄は,巻末に寄せた「解題」のなかで,注を付してつぎのような興味深い話を展開している(P.233.)。
付け加えておくと,1948年2月26日,27日に「コレージュ・フィロゾフィック」で二回行った講演『宗教史概要』を発展させて記述された『宗教の理論』は,1953年のプランによると「非-知のもたらす効果に関する著作」の一部として組み込まれ,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という総題の下にまとめられることになっていた。1954年の『内的体験』の再版の中では,その著作の題名は『非-知の未完了な体系』と変更され,『無神学大全』の第五巻となる予定であった(第四巻の予定は,これも完成しなかったが『純粋な幸福』。その『非-知の未完了な体系』は第一部が『宗教の理論』であり,第二部がやはり「コレージュ・フィロゾフィック」で行った<非-知>に関する五回の講演をまとめ,改稿したものとなる計画だった。実際はバタイユの病気と死によって,こうしたプランは実現されることはなかったが,『宗教の理論』が高い完成度を持つにもかかわらず生前には未刊に終ったのは,内容に不満があったというよりもおそらくそれを組み込むもっと大きなプランを練っていたためである。
このテクストの要所,要所に付された注をたどっていくと,バタイユという人は,みずからの思考の深化とともにこれまでに書いたものを改稿したり,あらたな構想のもとに改編したり,とめまぐるしくそのスタンスを変化させながら,自分の思考をいかにして伝えたらよいかを工夫しつづけた人であることがわかってくる。それでも,最終的には『無神学大全』全5巻でみずからの思想・哲学を完結させようと考えていたことは変わらなかったようだ。
この湯浅博雄の注を読んで,これはいったいどういうことなのか,と思うことはたくさんある。たとえば,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という表題はいったいなにを考えていたのだろうか,と頭をひねる。しかも,それが『宗教の理論』をその内容の一部として組み込まれることになっていた,というとますます考えてしまう。
このことを考える手がかりを求めるとすれば,つぎのようになろうか。
バタイユは,「人間の特性」を三つに分けて考えていた。
1.道具をわがものとしたこと。
2.動物性を否定(禁止)したこと。
3.死を認識したこと。
つまり,動物性から離脱して人間性に移行することによって新たに獲得した「人間の特性」は,大雑把に整理すると以上の三つになるというのである。そのうちの「3.死を認識したこと」が,『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という表題と対応しているのだろう,とわたしは考える。
当初の人間が,死を認識するようになってくると,その認識の進み具合に応じて,ますます人間性へと分け入っていくことになる。死を認識するということは,言ってしまえば,死を恐れることであり,死に対する畏敬の念の芽生えである。この死を認識する(恐れたり,畏敬の念をいだいたりする)ことによって,人間は,一つは宗教の問題に分け入ることになったし,もう一つは労働というものを深化・進化させることになった。
死と宗教の問題が結びつく,あるいは,死の認識が宗教を産み出す,ということについてはもはや説明を要する問題ではないだろう。しかし,死と労働との関係については,わたしたちはあまり考えたことがない。この点については,ヘーゲルが『精神現象学』のなかで,<主>(主人)と<奴>(奴隷)の関係という有名なテーゼを提出しているので,そちらを参照していただきたい。ごく簡単に説明しておけば,死を恐れることなく闘う人間は支配者となり<主>となる。が,死を恐れて闘うことを放棄した人間は被支配者となり<奴>となる。しかし,<主>は労働することなく,<奴>の労働によって,その生産されたものを搾取すればいい。だから,労働する必要はない。しかし,死を恐れた<奴>は,<主>に隷従し,ひたすら労働をしいられる。したがって,自然を相手に労働をするのはあくまでも<奴>であって<主>ではない。だから,最終的に自然の<主>になるのは<奴>であって<主>ではない。ここに<主>と<奴>の逆転が起こる。
こうした「死」をめぐる人間のスタンスのとり方が<主>と<奴>という二つの階層を導きだすことになり,そこから「労働」という問題が立ち上がり,こんにちの状況へと一直線につながっている。つまり,動物性から人間性へと移行することの内実の一つはこういうことだったのだ,とバタイユは説く。だとすると,この「死」をどのように止揚していくかということが,つぎの大きな問題として立ち現れることになる。この問題を超克するための一つの提言が『笑い死ぬ,死ぬことを笑う』という総題には籠められているのだろう,と考えてみる。
死ぬことに日常的に怯えていたら,それは主客転倒というものだ。人間が「生きる」ということを重視するのであれば,死なんか笑い飛ばしてしまえ,という次第なのだ。「笑い死ぬ」という逆説的な表記が,これまた強烈である。そして,「死ぬことを笑う」というのも,度胆を抜かれる。バタイユがこのような総題を考えていた背景には,現代人の過剰なまでの死へのこだわりのなかに,ものごとの本質的な過誤をみとどけていたのではないか,と考えられる。だから,笑いすぎて死ぬこともある(「笑い死ぬ」)。死を悼んで泣くのではなく「笑う」ことも視野のなかに入れろ。そこまで行かないかぎり,人間にとっての真の解放,すなわち「自由」の回復は不可能だ,とバタイユは考えていたのではないか,とわたしは考える。
バタイユの『宗教の理論』が,バタイユの構想のなかでは,そのような位置づけになっていたということを視野のなかに入れると,そこからまた一段と見晴らしのいい読解が可能となってこよう。こうしてまたまた『宗教の理論』を読み解くことの楽しみが増えていく。
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