2011年8月16日火曜日

甲子園・春夏連覇の我喜屋優監督の「この道」の連載コラムが素晴らしい(『東京新聞』)。

お盆がすぎ,高校野球がクライマックスを迎えている。ことしは好天にめぐまれ,順調に試合が消化され,ペスト8まできた。あとは準々決勝と準決勝と決勝を残すのみとなった。それにしてもこの猛暑のなか,選手たちは立派である。鍛えぬいた力を精一杯,発揮している姿は感動的である。しかし,ときには思いもよらないエラーがでて,一生,悔やむ選手もいるだろう。でも,これをバネにして,つぎなる人生に賭ければいい。

いま,東京新聞の夕刊に,我喜屋優さんの「この道」というコラムが連載されている。あらためて紹介するまでもなく,去年の甲子園大会を春・夏ともに連覇した沖縄・興南高校野球部監督だった人である。いまは,興南学園理事長。校長も務める。いま,第31回目まで連載がきている。いよいよ,春・夏連覇の話になる,その直前まで話が進んでいる。

こういうコラムを読んでいると,多感な高校生にとっていかに指導者が大事かということがしみじみとわかる。我喜屋監督の全人格をとおしての指導が,高校生たちに伝わっていく。そして,一歩一歩,もののみごとに変身していく高校生の姿が彷彿とする。高校生一人ひとりが課題をみつけては「自己を超えでていく」。その手助けをするのが監督の仕事だ,と明言される。その内実がじつにきめ細かく語られている。

最終ゴールは,みずからを律して,ほんとうの自分と向き合うことができる人間になること。これがこの監督の目指す,教育としての高校野球。だから,日常生活の整理整頓から指導をはじめる。挨拶,観察,自分がいますべき課題の発見,実践,観察,反省,あらたなる課題の発見という具合に繰り返していく。

これらのプログラムのうち,わたしには「一分間スピーチ」というアイディアが印象に残った。
合宿所での生活は早朝の起床と同時に掃除からはじまる。そして,そのあと全員で散歩にでる。あちこちの風景や人や天気や・・・とありとあらゆるものを観察させる。そして,そのなかでもっとも印象に残ったことを「一分間」にまとめて,みんなの前で「スピーチ」をする。これはナイス・アイディアだと思った。自分で気づいたことをみんなの前で話すためには,それなりに順序だった話の構成が必要だ。そのために,思考を深めることになる。この「思考」が大事だと思うから。

そのむかし,大松博文監督(女子バレーのナショナル・チームの監督として日本の黄金時代を築いた人)が,選手たちに「新聞を読め」と指導した話はよく知られている。監督は,バレーしかやらない選手はバカになる,だから,少なくとも,日々の新聞だけはよく読むように,と指導した。そして,やはり読んだ記事のなかから印象に残ったことを「スピーチ」する,これを練習のプログラムのなかに組み込んだ。選手たちの顔つきが変わったという。

猛練習だけでは選手は強くならない。猛練習の中味が大事なのだ。選手自身が猛練習の中味をよく理解していて,みずから積極的に取り組んでいくことが先決だ。そのためには,その猛練習に耐えられる「こころ」がなくてはならない。この「こころ」をどのようにして作り上げるか。ここが監督の腕のみせどころ。わかりやすく,噛み砕くようにして,一人ひとりの選手に語りかける。そのときのことばの一つひとつが,選手の「こころ」に響くものでなくてはならない。ここでは監督さんの全人格がにじみでてくる。気持ちの籠もった監督さんのことばが選手たちの胸を打つ。このとき,なにかが伝わる。そして,選手たちは変身していく。

我喜屋さんのコラムを読んでいると,それが手にとるようによくわかる。この人は根っからの教育者だということがよくわかる。しかし,特別に教育者になるための訓練を受けたわけではない。野球をとおして,人間を学んだのだ。この人の才能というべきか。いやいや,それ以上に,こころの温かい人なのだろうと思う。生徒が「変わる」ということはそういうことだ。人のこころを打つ感動がなければ人間はそんなにかんたんには変わらない。

ことしも,今日,明日で甲子園大会も幕を閉じるだろう。そして,いくつものドラマが生まれ,多くの高校生が「自己を超えでる」経験を(いい意味でも,悪い意味でも),いくつも積み重ね,生まれ変わったような地平に立つことだろう。そのための道場のひとつが甲子園球場というところだ。この日のために,長くて厳しい練習過程があったはず。勝っても負けても人間は「成長」するものだ。そこが大事なところだ。勝ち負けを超越したところに,最終のゴールが待っている。

蛇足ながら,『東京新聞』は素晴らしい。このような特集コラムがいくつもある。「こちら特報部」などは必見のコラムだ。じつにきめ細かく「目配り」が効いていて,どの記事も読んでいて面白い。読みとばすところがほとんどない。そして,なによりも,記事を書く記者をはじめ,編集部の熱気が伝わってくる。みんな一致団結して,ひとつの理想を追求している姿がみえてくる。

ここに,もう一本,「思想・哲学」の柱を立てて,連載コラムをやってくれるとありがたいと思っている。いま,ほんとうの意味で問われているのは,現代という時代を読み解く「思想・哲学」だと考えるからだ。その点,スポーツに関するコラムも同じだ。スポーツの「思想・哲学」を考えるような連載コラムがほしい。スポーツ新聞に横並びするようなやすっぽい記事やコラムはいらない(残念ながら,そういう記事が目立つ)。

その意味でも,我喜屋監督の連載コラムはひときわ光彩を放っている。この人には,立派な「思想・哲学」がある。それに引き換え,スポーツ・ジャーナリストやノン・フィクション・ライターなどによる単なる「評論」は不要だ。他人事を,第三者的に,さも物知り顔に,なんの感情移入もなく「評論」するだけの記事は要らない。

我喜屋優さんのような,逃げも隠れもせぬ,まさに「人間だなぁ」という味のある人のエッセイを期待したい。

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