2011年8月22日月曜日

脱原発70%の国民の意志に背を向ける民主党総裁選び。

この29日あたりには民主党総裁選挙が行われるらしいというもっぱらの「風評」。しかしながら,もっとも気になる「脱原発」の議論がどこかに飛んでしまっている。あるいは,無視されている。いやいや,そんなことはなかったかのようにどこ吹く風である。恐ろしいことだ。

国民の70%が「脱原発」を希望しているという各種調査機関の結果がはっきりしているのに,この国民の意志を引き受けようという政治家が,民主党にはいないのか。「脱原発依存」はカン君のひとり芝居だったとでもいうのだろうか。この意志を引き継ぐと明確に宣言する総裁候補がひとりもいないというのはどうしたことなのか。

民主党の総裁候補は,みんな「ゲンシリョクムラ」の一員だというのだろうか。それにしてはあまりにお粗末。政治家としての矜持を問いたい。無残・無惨・無慙・無惨。それほどまでに「金」と「核」にこだわらなくてはならない理由はなんなのか。人の「命」などどうでもいいというのだろうか。

総裁候補といわれている人たちはいったいなにを考えているのだろうか。党利・党略どころか,ただ,ひたすら党内の「数」集めだけに眼が向いている。だから,党員資格を剥奪されてしまって,こんどの総裁選挙に加わることさえできないコザワ君のところに日参するという無様な姿を露呈しなければならないのだ。まことに情けなくなってくる。

と思っていたら,まさかのウミエダ君まで総裁候補になろうとしている。ウミエダ君をおしだす勢力がどういう人たちかは明らかだ。いよいよ,ゲンシリョクムラの影武者たちが動きはじめたか,と。これまた恐ろしい話だ。動くなら,堂々と「原発必要論」をぶちあげて,だから,ウミエダ君を推す,くらいのことをやったらどうか。公明正大にやってほしい。そうすれば,国民も,本気で考えるようになる。でないと,ますます,政治不信が増幅していくだけだ。そのさきには最悪の事態だけが待ち受けている。

いっそのこと,自民党の河野太郎君のように,過去の誤りを懺悔し(自民党の原発政策は間違っていたと明言,そして,懺悔),これからのあるべき道を提示する,すなわち「脱原発」をめざす,と言い切れる若手議員が民主党にはひとりもいないのだろうか。もっとも,いたとしても立候補に必要な「20票」を確保できない,という現実がある。たとえ「20票」を集めることが不可能であってもいい。そういう動き(発言)をするだけでいい。そういう議員がひとりもいないとは・・・・。その点,河野太郎君は立派。もっとも,自民党の中では「総スカン」を食っているらしいが・・・・。でも,3年も経てば,自民党の空気も変わるはず。そこまで隠忍自重あるのみ。

カン君にも失望したが,それでも「脱原発依存」をぶち上げた。あまりに「唐突」といわれようが・・・。そして,関連法案を立ち上げた。でも,こんどの総裁候補にはそういう人がひとりもいない。カン君が去ったら,あとは蛻の殻,とでもいうのだろうか。だとしたら,こんどは,国民が眼を光らせる番だ。もっと声を大にして,みんなで議論を高めていかなくてはならない。場合によっては,街頭に立たなくてはいけない。

はたして,いま,大連立などと言っている場合なのだろうか。いまこそ,「脱原発」という国民の意志を,真っ正面から受け止める政党をめざすべきではないのか。「国民の生活が一番」とうたったキャッチ・コピーは,たんなる選挙のための見せかけだったとでもいうのだろうか。このスローガンを支持した国民は,間違いなく,同じように「脱原発」を支持しているはずだ。

こんな単純なことがなぜ,いまの民主党の議員たちに,わからなくなっているのだろう。ゲンシリョクムラの「毒」はそれほどに強烈だ,というのだろうか。そして,すでに,その「毒」が全身にまわってしまって,末期症状を呈している,というのだろうか。もっとも,この「毒」は国民の間にも相当に浸透しているようなので,要注意。

「政・官・財・報・学」の五位一体のゲンシリョクムラに「国」(国民)が巻き込まれようとしている。そこに「宗」(宗教)が加われば,日本国ゲンシリョクムラの完成である。すなわち,「政・官・財・報・学・国・宗」の七位一体。日本国没落のシナリオの完成である。そうならないように,くれぐれも【ご注意】を。クワバラ,クワバラ。スガワラ,スガワラ。雷の一撃を。



〔追記〕今日(22日)の『東京新聞』の記事によれば,「脱原発」政策の継承を希望する国民が「75%」という。それでも,民主党の議員は知らん顔なのだろうか。

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