レヴィ=ストロースの記述したもののなかにバタイユが登場することは,管見ながらみたことがない。しかし,バタイユの記述のなかにレヴィ=ストロースは登場する。しかも,『宗教の理論』を書くに当たって,バタイユはレヴィ=ストロースの論考を丁寧に分析している。しかも,そこから重要な概念を導き出し,さらにそれをもとにしたバタイユ・ワールドを展開している。その意味で,バタイユ理解にとってレヴィ=ストロースは不可欠である。
この二人が出会って,なにか話し合ったのかどうかは,残念ながら,わからない(この点を確認できるのではないかと,じつは,今福さんの近著『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)に期待したのだが,そのような記述はなかった)。ちなみに,バタイユの生年は1897年,レヴィ=ストロースの生年は1908年。わずかに11歳違いである。この二人がパリのどこかの街角でばったり出会っていたとしてもなんの不思議もない。
なぜなら,この二人はお互いに顔見知りだったのではないか,とわたしは考えるからだ。というのは,レヴィ=ストロースと『シュールレアリズム宣言』(1924)を書いたアンドレ・ブルトンとは,しばしば会って意見を交換していることがわかっている。そして,アンドレ・ブルトンとジョルジュ・バタイユは一時,同志の関係にあった。つまり,バタイユはブルトンたちのシュールレアリズム運動に参画し,ともに活動した時代がある(のちに,考え方の違いから疎遠になったり,ふたたび,和解したりを繰り返している)。このような経緯を考えると,ブルトンをとおして,バタイユはレヴィ=ストロースと知り合っていても不思議はない。
そんな詮索はともかくとして,早速,バタイユがレヴィ=ストロースをとりあげ,論じているところに入っていくことにしよう。
バタイユの著作のなかに『エロティシズムの歴史』(湯浅博雄・中地義和訳,哲学書房,2001年)がある(最近,ちくま学芸文庫から復刻された)。この本には,「呪われた部分──普遍経済論の試み:第二巻」というサブ・タイトルが付してある(この点についても,きちんと説明が必要なところだが,今回は割愛)。このテクストの第二部 近親婚の禁止というところで,バタイユはレヴィ=ストロースを取り上げ,かなり丁寧に論じている。
その内容は以下のとおり。
第一章 近親婚の問題
1.人間における「エロティシズム」と動物の「性活動」との対比
2.近親婚の禁制
3.近親婚の謎に対する学問の側からの解答
4.禁止と合法性との間の区別は,モラルに関わる意味によって支えられるような性格のものでは ない
第二章 レヴィ=ストロースの回答
1.外婚性の規則,女の贈与および女の分配
2.禁止の多様な諸形態は一見恣意的な外観を持つけれども,実際は贈与による交換に適した性格を持っていること
3.エロティシズムの諸々の変遷──一つの歴史として考察された変遷
第三章 動物から人間への移行
1.レヴィ=ストロースの理論の限界と動物から人間への移行
2.人間の特性
3.近親婚の規則の可変性と性的禁止の諸対象の一般的に可変な性格
4.人間の本質は近親婚の禁止のなかに,そしてその結果である女性の贈与のなかに与えられている
少し長くなったが,この目次をみるだけで,バタイユがレヴィ=ストロースからいかに多くを学び,しかも,それを批判的に超克し,みずからの論理を構築しているかを窺い知ることができる。
ここで取り上げられているレヴィ=ストロースの論考は『親族の基本構造』(パリ,P,U.F,1949年)である。この論考のなかからバタイユは「近親婚の禁止」の理由を読み解いている。もちろん,レヴィ=ストロースが「近親婚」がなぜ禁止されているのかということの基本的な考え方については明らかにしている。しかし,バタイユはそれだけでは満足できなくて,さらに,深い読解を展開する。つまり,近親の女性は部族の外に嫁がせ,その代償として外部の女性を嫁として迎える,これは女性の贈与であり,普遍経済の基本構造である,と説く。さらに,女性をとおして外部と交流する,つまり,内部に自閉するのではなくて,外部に開かれた部族関係を構築するための智慧なのだ,と説く。
こうして,バタイユは,動物性から人間性へと移行した結果として到達した人間の本質的な特性の一つを浮かび上がらせることになる。
こうしたバタイユの論考の背景には,マルセル・モースの『贈与論』(1925年)やデュルケームの一連の社会学に関する論考が加わっている。こうして,バタイユに固有の論理が展開していく。その一つが『宗教の理論』であり,『エロティシズムの歴史』である。
以上が,バタイユとレヴィ=ストロースの接点の大枠である。こうした大枠のスケッチを手がかりにして,それらの詳細については,集中講義のなかで展開してみたいと考えている。
この二人が出会って,なにか話し合ったのかどうかは,残念ながら,わからない(この点を確認できるのではないかと,じつは,今福さんの近著『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)に期待したのだが,そのような記述はなかった)。ちなみに,バタイユの生年は1897年,レヴィ=ストロースの生年は1908年。わずかに11歳違いである。この二人がパリのどこかの街角でばったり出会っていたとしてもなんの不思議もない。
なぜなら,この二人はお互いに顔見知りだったのではないか,とわたしは考えるからだ。というのは,レヴィ=ストロースと『シュールレアリズム宣言』(1924)を書いたアンドレ・ブルトンとは,しばしば会って意見を交換していることがわかっている。そして,アンドレ・ブルトンとジョルジュ・バタイユは一時,同志の関係にあった。つまり,バタイユはブルトンたちのシュールレアリズム運動に参画し,ともに活動した時代がある(のちに,考え方の違いから疎遠になったり,ふたたび,和解したりを繰り返している)。このような経緯を考えると,ブルトンをとおして,バタイユはレヴィ=ストロースと知り合っていても不思議はない。
そんな詮索はともかくとして,早速,バタイユがレヴィ=ストロースをとりあげ,論じているところに入っていくことにしよう。
バタイユの著作のなかに『エロティシズムの歴史』(湯浅博雄・中地義和訳,哲学書房,2001年)がある(最近,ちくま学芸文庫から復刻された)。この本には,「呪われた部分──普遍経済論の試み:第二巻」というサブ・タイトルが付してある(この点についても,きちんと説明が必要なところだが,今回は割愛)。このテクストの第二部 近親婚の禁止というところで,バタイユはレヴィ=ストロースを取り上げ,かなり丁寧に論じている。
その内容は以下のとおり。
第一章 近親婚の問題
1.人間における「エロティシズム」と動物の「性活動」との対比
2.近親婚の禁制
3.近親婚の謎に対する学問の側からの解答
4.禁止と合法性との間の区別は,モラルに関わる意味によって支えられるような性格のものでは ない
第二章 レヴィ=ストロースの回答
1.外婚性の規則,女の贈与および女の分配
2.禁止の多様な諸形態は一見恣意的な外観を持つけれども,実際は贈与による交換に適した性格を持っていること
3.エロティシズムの諸々の変遷──一つの歴史として考察された変遷
第三章 動物から人間への移行
1.レヴィ=ストロースの理論の限界と動物から人間への移行
2.人間の特性
3.近親婚の規則の可変性と性的禁止の諸対象の一般的に可変な性格
4.人間の本質は近親婚の禁止のなかに,そしてその結果である女性の贈与のなかに与えられている
少し長くなったが,この目次をみるだけで,バタイユがレヴィ=ストロースからいかに多くを学び,しかも,それを批判的に超克し,みずからの論理を構築しているかを窺い知ることができる。
ここで取り上げられているレヴィ=ストロースの論考は『親族の基本構造』(パリ,P,U.F,1949年)である。この論考のなかからバタイユは「近親婚の禁止」の理由を読み解いている。もちろん,レヴィ=ストロースが「近親婚」がなぜ禁止されているのかということの基本的な考え方については明らかにしている。しかし,バタイユはそれだけでは満足できなくて,さらに,深い読解を展開する。つまり,近親の女性は部族の外に嫁がせ,その代償として外部の女性を嫁として迎える,これは女性の贈与であり,普遍経済の基本構造である,と説く。さらに,女性をとおして外部と交流する,つまり,内部に自閉するのではなくて,外部に開かれた部族関係を構築するための智慧なのだ,と説く。
こうして,バタイユは,動物性から人間性へと移行した結果として到達した人間の本質的な特性の一つを浮かび上がらせることになる。
こうしたバタイユの論考の背景には,マルセル・モースの『贈与論』(1925年)やデュルケームの一連の社会学に関する論考が加わっている。こうして,バタイユに固有の論理が展開していく。その一つが『宗教の理論』であり,『エロティシズムの歴史』である。
以上が,バタイユとレヴィ=ストロースの接点の大枠である。こうした大枠のスケッチを手がかりにして,それらの詳細については,集中講義のなかで展開してみたいと考えている。
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