昨夜(26日),渋谷ユーロスペースで行われた映画の試写会に行ってきました。なにせ,25年ぶりに監督復帰をはたしたという内藤誠さんを言祝ぐ,それが最大の目的でした。立派なものです。75歳にして監督復帰というのですから。それだけ周囲の期待が大きいというところが凄いと思います。やはり,奇才監督とかつて言われたとおり,いまごろになってふたたび脚光を浴びる人なのですから。そういう時代を経てなお古くならない普遍のテーマが内藤さんの作品には隠されていたということでもあります。わたしも見倣わなくては・・・と反省。
わたしの太極拳仲間の友人たちを誘ってきてください,と一人ひとり名指しで内藤さんからメールがきました。Nさんは仕事の関係で無理。Sさんはすでに別の試写会でみたとのこと。Kさんは行く行く,ということでKさんとご一緒しました。
映画はとてもいいできあがりだった,というのがわたしの印象です。これまでわたしが見てきた内藤監督作品とはいささか雰囲気が違っていました。脂ぎったこてこてしたところが抜け,オカルト的な仕掛けもなく,ストーリーの山場を上手に見せながら,淡々と主人公の若き日のハチャメチャな青春時代を振り返る,そういう仕上がりになっていたと思います。やはり,25年という内藤さんの人生経験がそこにおのずから滲み出てきたということでしょう。
もっとも,原作者の色川武大さんとも年齢的に7歳しか違わないので,同時代を生きた人としての共感もあったことでしょう。内藤さんとわたしとは県人寮で3年間,一緒でした。実年齢では2歳,内藤さんの方が上ですが,学年では一つしか違わなかったので,とても仲良くしてもらいました。だから,わたしもまた同時代の人間といっていいと思います。ですから,原作のもつ雰囲気も,内藤さんによる演出も,わたしには一つひとつ響くものがありました。懐かしさをともなった,不思議なこころをくすぐられたような気分でした。
上映前に監督の挨拶があって,そのなかで「一度みたあとで,しばらくして,もう一度,あれをみてみようか,という気持になってくれればいいなぁ,と思ってつくりました」とありました。見終わった翌日のいま,すでに,もう一度,みたいなぁと思っています。一般公開されたら,もう一度,こんどは別の視線からみてみようと思っています。そんな監督の意図をそのまま感じさせる映画でした。その意味でも,とてもいい映画だと思います。
「明日泣く」ことがわかっていても,やはり,いま,やりたいことはやりたい,だから「今日は笑って生きてやる」と粋がる,それが青春というものなんだ,とこの映画は教えてくれます。もちろん,原作がそうなっているわけですが・・・。
言ってみれば,原作者色川武大の青春自伝小説の映画化ですので,その点から眺めてみても面白さがひろがります。そうか,高校時代から作家を夢見ていながらも,学校をさぼっては雀荘に足を踏み入れたり,賭場にまで紛れ込み,さんざんな眼に遇いながらも,そこから足を洗うことはできない,そういう自分を作家になってから振り返りつつ小説化しているというわけか,と。高校の同級生だった女の子がジャズ・ピアノの世界で活躍するようになり,そこでの再会がかれのその後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。この女の子こそ,どんなに辛いことがあっても,好きなことはやりとおす,そして「今日は笑って生きてやる」と主人公に主張します。
いまはもう懐かしく思い出すしかないわたしの青春時代。ものはない,金はない,常時空腹,夢も希望も大きすぎて実現性はない,しかし,時間だけはたっぷりある。そういう充たされないながらも「あの古きよき時代」をわたしも生きたひとりです。ですから,この映画にでてくるシーンのほとんどは全身で共感できるものばかりでした。金はないのに安いバーを探して飲み歩く,バーの女の子を口説く,吸ってもうまくもないタバコを吸う,マージャンにものめりこむ。話すことは女のことばかり。ひたすら妄想の世界のみ。そして,ひたすら「消尽」(フィンガー・スポーツと言った人がいる)これあるのみ。
そういうことが許された,あるいは許容された,あっけらかんとしたあの時代。いまの学生さんたちは,いったい,なにをして青春を謳歌しているのだろうか・・・といささか気の毒になってきます。ここまで管理社会が浸透してしまうと,社会そのもののなかにいささかの悪事も許されない,まことに息苦しい時空間のなかを生きるしか方法がありません。危ない火遊びをする「逸脱」こそ,人間を成長させるバネなのに・・・。老境に入りつつあるわたしですら息苦しいのですから,若者たちはもっともっと息苦しいに違いありません。
青春とは,自己の枠組みを超えでていく経験を積み上げて,一回りもふたまわりも成長するための,人生のなかではもっとも大事な時代です。それを大人の都合で「秩序」のなかにがんじがらめにしてしまったら,いつまで経っても「自立できない」人格不全の人間ばかりになってしまいます。いまの若者たちをみていると,ほんとうに可哀相に,と思います。そんな世の中にしてしまったのは,なにを隠そう,このわたしたちなのです。
そんな反省点も含めて,この映画は,わたしたち世代からの懺悔のメッセージではないか,とも見えてきます。
そういえば,内藤監督の学生時代は,タバコも吸わない,酒も飲まない(飲めない?),マージャンもやらない,ジャズにのめりこんだという話も聞いたことがない,おまけに「消尽」の方法も知らなかった,というまことに優等生そのものでした。が,たぶん,大学の4年生のあるときを境にして,人生が180度転換する,そういうことがあったようです。内藤監督の「イタ・セクス・アリス」?そこから,これはあくまでもわたしの想像ですが,内藤誠という剥き出しの人間が姿を現したに違いない,と。まあ,この話はいずれまたの機会にゆずることにしましよう。
その意味でも,この映画は,内藤さん自身の自画像の一部が投影されているようにも,わたしは感じ取ることができます。ああ,ここからさきは,内藤さんと美味しいお酒でも呑みながら(最近は,強くはないが,いくらかは飲めるようになったと聞いています),じっくりと「映画論」として,いやいや「人生論」として意見を交わしたいと思っています。
以上,25年ぶりの内藤さんの監督作品についての,ほんの序論まで。
まもなく一般公開されます。ぜひ,ご鑑賞くださることをお薦めします。
とても,いい映画です。
わたしの太極拳仲間の友人たちを誘ってきてください,と一人ひとり名指しで内藤さんからメールがきました。Nさんは仕事の関係で無理。Sさんはすでに別の試写会でみたとのこと。Kさんは行く行く,ということでKさんとご一緒しました。
映画はとてもいいできあがりだった,というのがわたしの印象です。これまでわたしが見てきた内藤監督作品とはいささか雰囲気が違っていました。脂ぎったこてこてしたところが抜け,オカルト的な仕掛けもなく,ストーリーの山場を上手に見せながら,淡々と主人公の若き日のハチャメチャな青春時代を振り返る,そういう仕上がりになっていたと思います。やはり,25年という内藤さんの人生経験がそこにおのずから滲み出てきたということでしょう。
もっとも,原作者の色川武大さんとも年齢的に7歳しか違わないので,同時代を生きた人としての共感もあったことでしょう。内藤さんとわたしとは県人寮で3年間,一緒でした。実年齢では2歳,内藤さんの方が上ですが,学年では一つしか違わなかったので,とても仲良くしてもらいました。だから,わたしもまた同時代の人間といっていいと思います。ですから,原作のもつ雰囲気も,内藤さんによる演出も,わたしには一つひとつ響くものがありました。懐かしさをともなった,不思議なこころをくすぐられたような気分でした。
上映前に監督の挨拶があって,そのなかで「一度みたあとで,しばらくして,もう一度,あれをみてみようか,という気持になってくれればいいなぁ,と思ってつくりました」とありました。見終わった翌日のいま,すでに,もう一度,みたいなぁと思っています。一般公開されたら,もう一度,こんどは別の視線からみてみようと思っています。そんな監督の意図をそのまま感じさせる映画でした。その意味でも,とてもいい映画だと思います。
「明日泣く」ことがわかっていても,やはり,いま,やりたいことはやりたい,だから「今日は笑って生きてやる」と粋がる,それが青春というものなんだ,とこの映画は教えてくれます。もちろん,原作がそうなっているわけですが・・・。
言ってみれば,原作者色川武大の青春自伝小説の映画化ですので,その点から眺めてみても面白さがひろがります。そうか,高校時代から作家を夢見ていながらも,学校をさぼっては雀荘に足を踏み入れたり,賭場にまで紛れ込み,さんざんな眼に遇いながらも,そこから足を洗うことはできない,そういう自分を作家になってから振り返りつつ小説化しているというわけか,と。高校の同級生だった女の子がジャズ・ピアノの世界で活躍するようになり,そこでの再会がかれのその後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。この女の子こそ,どんなに辛いことがあっても,好きなことはやりとおす,そして「今日は笑って生きてやる」と主人公に主張します。
いまはもう懐かしく思い出すしかないわたしの青春時代。ものはない,金はない,常時空腹,夢も希望も大きすぎて実現性はない,しかし,時間だけはたっぷりある。そういう充たされないながらも「あの古きよき時代」をわたしも生きたひとりです。ですから,この映画にでてくるシーンのほとんどは全身で共感できるものばかりでした。金はないのに安いバーを探して飲み歩く,バーの女の子を口説く,吸ってもうまくもないタバコを吸う,マージャンにものめりこむ。話すことは女のことばかり。ひたすら妄想の世界のみ。そして,ひたすら「消尽」(フィンガー・スポーツと言った人がいる)これあるのみ。
そういうことが許された,あるいは許容された,あっけらかんとしたあの時代。いまの学生さんたちは,いったい,なにをして青春を謳歌しているのだろうか・・・といささか気の毒になってきます。ここまで管理社会が浸透してしまうと,社会そのもののなかにいささかの悪事も許されない,まことに息苦しい時空間のなかを生きるしか方法がありません。危ない火遊びをする「逸脱」こそ,人間を成長させるバネなのに・・・。老境に入りつつあるわたしですら息苦しいのですから,若者たちはもっともっと息苦しいに違いありません。
青春とは,自己の枠組みを超えでていく経験を積み上げて,一回りもふたまわりも成長するための,人生のなかではもっとも大事な時代です。それを大人の都合で「秩序」のなかにがんじがらめにしてしまったら,いつまで経っても「自立できない」人格不全の人間ばかりになってしまいます。いまの若者たちをみていると,ほんとうに可哀相に,と思います。そんな世の中にしてしまったのは,なにを隠そう,このわたしたちなのです。
そんな反省点も含めて,この映画は,わたしたち世代からの懺悔のメッセージではないか,とも見えてきます。
そういえば,内藤監督の学生時代は,タバコも吸わない,酒も飲まない(飲めない?),マージャンもやらない,ジャズにのめりこんだという話も聞いたことがない,おまけに「消尽」の方法も知らなかった,というまことに優等生そのものでした。が,たぶん,大学の4年生のあるときを境にして,人生が180度転換する,そういうことがあったようです。内藤監督の「イタ・セクス・アリス」?そこから,これはあくまでもわたしの想像ですが,内藤誠という剥き出しの人間が姿を現したに違いない,と。まあ,この話はいずれまたの機会にゆずることにしましよう。
その意味でも,この映画は,内藤さん自身の自画像の一部が投影されているようにも,わたしは感じ取ることができます。ああ,ここからさきは,内藤さんと美味しいお酒でも呑みながら(最近は,強くはないが,いくらかは飲めるようになったと聞いています),じっくりと「映画論」として,いやいや「人生論」として意見を交わしたいと思っています。
以上,25年ぶりの内藤さんの監督作品についての,ほんの序論まで。
まもなく一般公開されます。ぜひ,ご鑑賞くださることをお薦めします。
とても,いい映画です。
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