2013年5月17日金曜日

ナポレオンの軍隊はなぜ強かったのか。国民主権誕生の背景。聴講生レポート・その7。

 先週の授業の終わりに,6月はフランスに4週間出張することになったので,その補講をこの授業のあとにつづけて行いたい,というN教授の提案がありました。この授業は午後4時から午後5時30分まで。そのあとといえば,午後5時40分から午後7時10分まで,となります。が,意外なことに困るという学生さんはいませんでした。まあ,この授業のあとのルーティン化された予定はあるけれども,この場合には仕方ないと学生さんたちが自主的に判断したのかもしれません。

 という前提もあって,今日(14日),早速に,このあと補講を行うということになりました。つまり,平常の講義の延長戦というか,ダブル・ヘッダーというわけです。いやはや,N教授のこのバイタリティには驚くほかはありません。この授業の前にはゼミナールがあって,しばしば延長して,この授業に遅れて駆け込んでくるというのが常態化していましたから。それでも,疲れた様子もみせずに,気合の入った授業を展開されています。すごい先生だなぁ,と思います。

 さて,その突然の延長戦のテーマは,近代的な戦争を支える「人間」でした。つまり,近代国民国家を支える国民は同時に国民兵でもある,という話です。その国民兵を養成するためには,近代の生み出したメディアが重要な役割を果たすことになります。そして,いつものように,近代の国民兵にいたる,その前提となる「戦う人」はどのように変遷してきたのか,という長い人類の歴史を総ざらいするところからN教授は切り出されました。しかし,その詳細は多岐にわたりますので,残念ながら割愛。いつものように,わたしの関心事に引きつけてのレポートに入ります。

 如是我聞。

 主権国家体制ができあがるということは領土が固定化するということです,とN教授。しかも,その領土は国民のものであり,国民が主権者として登場することを意味します。前近代までの,国王や教皇の領土から国民の領土へと,大きな変化が生まれます。そのきっかけとなった大きなできごとのひとつが,フランス革命です。このフランス革命を経たことによって,フランスでは「自由・平等・博愛」が国民統合のひとつのシンボル(合言葉)となります。そうして,ようやく手にした「自由」を守るためなら死ぬことも辞さない,そういう国民が生まれてきます。ナポレオン軍の自由兵は,これまでにはなかった新しい自覚と信念に支えられて戦う強力な兵士たちでした。つまり,「自由」のためにはみずからの命を投げ出してもいい,という自覚をもった兵士たちでした。ですから,ナポレオン軍は向うところ敵なしの,強力な軍隊を組織することができました。

 その結果,ナポレオン軍がめざましい活躍をしたことは西洋史の教科書にも書かれているとおりです。そのあまりの強さに驚愕したドイツのクラウゼヴィッツはその秘密をさぐります。そうして書かれたのが,いまも戦争論のバイブルともいわれるクラウゼヴィッツの『戦争論』(岩波文庫)です。N教授がお薦めの本の一冊です。ついでに言っておけば,N教授にも同名の著書があります。わたしは名著だと思っています。

 かくして,近代国民国家を支える強力な軍隊を組織するために,すぐれた兵士を養成することが喫緊の課題となります。それは傭兵とは違う,国家に対する主権者としての自覚をもつ国民による兵士の育成です。日本近代の「富国強兵」策もまた,その流れに乗るものです。ヨーロッパ列強もこぞって,ここに力を注ぎます。

 かくして,立憲君主制のもとでの国王といえども,国民の代表ではあるけれども「国民の利益を守るために統治するのだ」と主張するようになります。つまり,「国民の利益」を最優先しないことには国家を「統治」することは不可能である,そういう情況が生まれてきます。ここから国民を中心とする考え方,すなわち「国民主権」という考え方が誕生します。すなわち,国民の利益を守ることが国家の使命である,ということが明確になってきます。こうして,近代の国民国家の憲法には,国民主権の考え方が色濃く盛り込まれることになります。わが国の憲法に謳われた「主権在民」の考え方の根はここからきています。このことを,わたしたちはややもすれば忘れがちです。が,この事実をわたしたちは重く受け止めなくてはなりません。

 (※この話を聞きながら,わたしはあっては欲しくない妄想にふけっていました。どこぞの国では,この国民主権という考え方はヨーロッパから押し付けられたものであって,自分たちのものではない。しかも,これは古い考え方であるから,現代の時流に合わせて,憲法を<改訂>する必要がある,と本気で考えています。そして,政府の思うままに国民を統合し,統治する必要がある,と主張しています。しかも,国民の主権を奪った上で,軍隊を組織して国民を戦争に駆り立てようというのです。主権を奪われた国民軍は,単なる傭兵と変わりません。時代錯誤もはなはだしい,こんなことを平気で主張する,どこぞの政府高官たちはいったいなにを考えていのだろうか,と憤りさえ感じながら,N教授の話を聞いていました。しかし,N教授はひとことも,この問題には触れることはありませんでした。それどころか,「気づけよ」「気づけよ」と言っているように,わたしには聞こえました。よくよく考えてみれば,N教授は大学の講義のなかでは,あくまでも事実関係の歴史的根拠を明らかにする,そして,そのロジックを明らかにすることに徹しておられるようです。これまでわたしが馴染んできた,大学の授業とは関係のないシンポジウムやワークショップや講演などで,N教授が,みずからの思想・信条を吐露する語りとは,まったく別のものです。つまり,大学という制度のもとに縛りつけられた学生さんを相手にする「講義」では,たんたんと事実関係を明らかにするという姿勢を貫いていらっしゃるようにおもいます。それに引き比べて,みずからの著作や講演のような,ひとりの自由な人間としての言説とは,はっきり区別されているようにおもいました。)

 この「国民主権」(「主権在民」)という考え方がどのようにして誕生するのか,そのプロセスをこのブログできちんと説明するのはきわめて困難です。そこで,ここではその骨子について,わたしは以下のように理解しました,ということだけを書いておきたいとおもいます。

 前近代までの「戦う人」はあらかじめ決まっていました。ヨーロッパでいえば騎士階級が,日本でいえば武士階級がその任にあたっていました。つまり,国王(城主)との主従関係が前提にあって,その国王(城主)のために命をかけて戦う人びとです。封建制度のもとでは,このシステムが充分に機能していました。しかし,次第に「戦う人」の手が足りなくなってきます。そうすると,こんどは「傭兵」というシステムが導入されることになります。しかし,この傭兵は命懸けで戦うということはしません。与えられた職務をまっとうして,給料をもらえば,それでいいのです。命を落してしまっては,なんの意味もなくなってしまいます。

 その上で,N教授は,戦争にメディアという補助線を引いて,戦争とそれに従事する兵士たちにどのような影響を及ぼすことになったのか,と問題提起をします。そして,このことについて,詳細な説明をしていきます。そして,そこから,ヨーロッパ近代がどのようにして立ち現れてきたのか,ということを明らかにしていきます。

 たとえば,100年戦争とも呼ばれる宗教戦争の引き金になったのは,聖書のドイツ語訳(ルター),フランス語訳(カルバン)がなされ,しかも,グーテンベルグの印刷技術の開発によって,大量に聖書が印刷され,多くの人が直接,その内容に触れることができるようになったからだといいます。それまでの聖書はラテン語で書かれていたために,聖職者によって解説してもらう必要がありました。つまり,聖職者による情報のコントロールが思いのままでした。しかし,聖書が母語で読めるとなれば,その読解は,一気に多様化していきます。人びとは,直接,聖書をとおして自分の頭で考えるようになります。そういう目覚めた人びとによって展開された「宗教戦争」は終わりのない戦いの様相を呈することになってしまいます。

 つまり,独占的であった教会権力が母語に翻訳された聖書の登場によって,あえなく齟齬をきたすことになってしまいます。こうして,ニーチェのいう「神は死んだ」という時代に突入していくことになります。

 ここからさきが,じつは,とても大事なところなのですが(メディアがなにゆえにこれほどまでに大きな力をもつことになったのか,という話はどこかできちんと書いておきたいとおもいます),今回は,とりあえず,ここまでとします。わたしとしては「国民主権」(「主権在民」)という考え方が登場してくる根拠が明らかにされただけで大満足の授業でした。

 N教授にこころから感謝しています。

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