2011年6月28日火曜日

岡本太郎を語る今福龍太さんが素晴らしい。

岡本太郎生誕100年にあたることしは,さまざまな「岡本太郎」企画で満載だ。しかも,どの企画もすべてヒットしているらしい。どうやら,岡本太郎を受け入れる「時代」がやっとやってきた,ということらしい。つまり,岡本太郎は時代をあまりに先取りして生きた(生きるしかなかった)ために,人びとは岡本太郎を奇人・変人扱いして,やり過ごしてきたのだ。

「芸術は爆発だ!」とテレビ・カメラに向かって,全体重をかけて吠えた,あの眼がらんらんと輝く岡本太郎の映像を記憶している人は少なくないだろう。そして,いまでは語り種となっている岡本太郎の,この「批評的な内実」に満ちた「芸術は爆発だ!」という名言の真意を,きちんと解説してくれた人がいなかった。多くの美術評論家と称する人たちが,一様に,この岡本太郎のことばをとりあげ,それらしき解説をしている文章は読んだことはある。しかし,そのどれもがわたしの納得のいくものではなかった。

ところが,である。とうとう,現れた。「芸術は爆発だ!」の真意を,こころの底から納得させてくれる解説が。それどころか,感動に打ち震え,二度,三度と読み返し,岡本太郎という人のこころの深奥に導かれ,ついには岡本太郎の内奥に「じか」に触れる体験までさせてもらった。ありがたいことである。(ここでいう「ありがたい」は単に感謝しているという意味ではない。「ありがたい」とは,文字どおり「ありえない」ということなのだ。その「ありえない」経験をさせていただいた,という意味である。)そんな体験をさせてくれる文章を書く人がいる。

今福龍太,である。いやいや,呼び捨てにしては失礼だ。今福龍太さん,である。
『世界美術への道』岡本太郎の宇宙・5(ちくま学芸文庫)の巻末に,「解説 孤独な呪術師の使命」今福龍太,が掲載されている。この本を,今福さんが直接,わたしに送ってくださった。これもまたほんとうに「ありがたい」(ありえない)ことだった。

ここに書かれていることを,かいつまんで紹介するほどの技量はわたしにはない。最初から最後まで全部,引用するほかはないからだ。
その冒頭の書き出しは以下のとおり。
「岡本太郎は絶対的な意味で『孤独』な存在だった。痛ましいまでの孤絶をみずからに課しつつ,それに悲観したり屈したりすることなく,存在論的な孤独をおのれの力に変えた稀有の表現者だった。社会のなかで生きる誰もが宿命として持つ『孤独』とこれほど直に向き合い,それを宥めたり否定したりせず,果敢にみずからの孤独の内奥を掘りつづけた者も他にいなかった。真実も美も,そうした単独の行為のなかでしか発見できないと信じ,豊かな孤独をひとり実践した。地位も,権威も,評価も彼の眼中にはなく,自閉しエネルギーを失った世界を呪力によって救済する無名のシャーマンの立場を,孤独に引き受けようとした。」

恥ずかしながら,この冒頭の文章を読んだだけで,わたしは滂沱の涙に濡れた。あとは,文字がみえない。だから,まずは,ここまでで本を閉じた。そして,つらつらと思いを馳せる。これは,ひょっとしたら,今福さん自身のことではないか,と閃く。自分自身のなかに「孤独」と向き合うもうひとりの自分を見極められる人でないかぎり,こんな文章はでてこない。いうなれば,岡本太郎と今福龍太が一心同体となっている。

そのことは,岡本太郎がマルセル・モースの授業にのめりこんでいく姿を描くときも,あるいは,ジョルジュ・バタイユの演説を聞いて震撼に打ち震えながら「この人だ」という確信をえ,バタイユの主宰する「社会学研究会」に身を投じていくときも,そして,そこで出会ったロジェ・カイヨワとの深い親交に結ばれるときも,今福さんは「わがこと」のように筆を運ぶ。

圧巻は,岡本太郎とメキシコとの出会いを描く今福龍太さんの思い入れとその情熱の傾け方である。岡本太郎とメキシコが,激しく交信・交流しながら「合体」をとげるあたりの描写は,神がかってさえいる。まさに,今福さんがメキシコを「発見」し,メキシコと交信・交流しつつ「合体」する経験なしには,描けない世界そのものだ。それを知った瞬間,わたしの全身に電撃が走る。今福さんは恐ろしい人だ,と。

でなければ,冒頭の「岡本太郎は絶対的な意味で『孤独』な存在だった」という文章は書けない。この短い,たった一行の文章のなかに岡本太郎のすべてが凝縮しているといっても過言ではない。そこまで見きわめることのできる今福さんは「恐ろしい」。人間理解のふところの深さと広がりをそこにみる思いがする。

この解説を読むかぎりでは,岡本太郎とジョルジュ・バタイユとは二卵性双生児ではないか,とさえ思いたくなる。そんな印象を今福さんの文章は与える。おそらく,岡本太郎の理解が深まれば,ジョルジュ・バタイユの理解もおのずから深まるに違いない。たとえば,岡本太郎がパリ大学哲学科の学生としてヘーゲルの「美学」について解説する講義をうけたことが,岡本太郎の立ち位置を確認する上で決定的だったのではないか,と思われる。それは,ちょうど,バタイユがコジェーヴの「ヘーゲル読解」の授業をうけることによって,みずからの思想的な位置を確信したように。つまり,ヘーゲルを通過することによって,それとはまったく対極にあるみずからの思想を確認することができた,ということだ。

こうした今福さんの解説に触れることによって,岡本太郎の「太陽の塔」が,まったく次元の異なる角度から立ち現れてくる。もう一度,万博公園にある「太陽の塔」の前に立ちたくなってきた。それと同時に,渋谷駅にある「明日の神話」をじっくりと確認する必要がでてくる。

そこに待っているのは「至福」の時だ。

2011年6月27日月曜日

明日から三日間,東北地方の被災地を巡る旅にでます。

ようやく重い腰をあげて,東北地方の被災地に身を移動させ,その場に立つことにしました。つまり,その現場に立ったとき,わたしのからだがどのような反応を示すのか,そして,どのような情動に揺さぶられるのか,その上で,いったいなにを考えはじめるのか,験してみようと決めました。これはやってみないことにはなにもわかりません。

作家で僧侶の玄侑宗久さんが,「三春町から避難するお考えはありませんか」といい加減なレポーターに問われたときの応答がわたしには忘れられません。わたしの記憶に間違いがなければ,つぎのような応答をされていました。

三春町に住んでいらっしゃる人たちの考えも揺れ動いています。ある人は,すでに避難されていますし,ある人はここから離れないと覚悟を決めたといいますし,その考えや行動はさまざまです。家族のなかの親子でも考え方が違います。しかし,それは仕方のないことです。なにがよくてなにが悪いということではありません。一人ひとりが考え,行動すべきです。

わたしは,この町に住んでいるかぎり,まずは僧侶です。まだ,ご遺体すらみつからないまま,弔ってもらうことすらできない人がたくさんいらっしゃいます。わたしがまずやらねばならないことは,その人たちの霊にそっと手をさしのべることです。そのための読経を,この寺でつづけることが,わたしにとっては欠かせないお勤めです。ですから,わたしはこの地を離れることはできません。

わたしのもう一つの仕事は作家であるということです。作家として「ことば」を発するためには,この土地の人びとと苦楽をともにし,ともに悩み,考え,日々変化していく情況をしっかりと見極めながらでなければ,わたしのほんとうの気持のこもった「ことば」を紡ぎだすことはできません。それは,わたしが,ひとりの人間として生きることの意味でもあります。

以上が,わたしが聞いた玄侑宗久さんの応答でした。
以後,玄侑さんは,まいにちのようにブログで日々の心境を語り,新しい情報にもとづく考えを書き綴っていらっしゃいます。しかも,必要とあれば,断ることなく,どこにでもでかけていってみずからの考えを淡々と述べる。玄侑さんの小説を読んだ人ならすぐわかりますように,仏教の教えと最新科学の最先端の研究成果とを結ぶ,いわゆる,宗教と科学の「境界領域」のぎりぎりのところのせめぎ合いを生きる人間の姿を,得意とされています。ですから,いま,この時代(つまり,3・11以後)を生きるわたしたちにとって,きわめて重要な道しるべを提示できる人のひとりだとわたしは考えています。

そんなこともわたしの頭のなかにはあって,かねて誘いのあった仙台の友人のところにでかけてみようと,ようやく気持の整理がついたというわけです。なぜなら,ただ,行けばいい,ということではないからです。たんなる物見遊山ではありません。むしろ,ことばの正しい意味での「物見」にでかけるということです。「物見」とは「ものをみる」こと以外のなにものでもありませんが,じっと気持をこめて「ものをみる」ということはそんなにたやすいことではありません。じっと意識を集中して「ものをみる」ことの向こうには無限大の時空間が待ち受けています。そのさきに「透けてみえてくる」ものがなんであるのか,そこが肝腎なところです。

言ってしまえば,「自己を超え出る」ことの経験です。「物見遊山」とは,じつは,もともとはこういう意味でした。しかし,いつのまにかたんなる遊び・娯楽となってしまいました。が,むかしの人が「旅」にでるということは,ほんとうの意味での「物見遊山」にでかけることでした。「物」そのものがもつ霊力に触れること,それが「物」を「見る」ということです。しかも,「遊山」の「遊び」とは神との交信を意味していました。ですから,「遊山」とは,山に住む神々との交信を意味しています。こうして,人びとは「旅」にでることによって「自己を超え出る」ことの経験を期待したのです。じつは,この意味はいまでも生きています。「可愛い子には旅をさせろ」という俚諺もそのひとつです。

わたしはもう可愛くもなんともないたんなる老人にすぎませんが,欲張りなことに,いまも「自己を超え出る」ことになによりもの喜びを感じています。それが,ほんとうに「生きる」ということの実体だ,とも思っています。ですから,死ぬまで「自己を超え出る」ことを求めつづけたい,と。もっとも,最後の「死」こそ,ほんとうの意味での「自己を超え出る」こと以外のなにものでもありませんが・・・・。

落ちがついたところで,心置きなく明日からの「旅」にでることができそうです。
望むらくは天気に恵まれることのみ。
というわけで,明日から3日間は,このブログをお休みします。

2011年6月25日土曜日

朝日新聞さん「さようなら」,東京新聞に乗り換えます。もう我慢なりません。

わたしが物心ついたときから慣れ親しんできた朝日新聞さん,長い間,お世話になりました。わたしが中学生から高校生,そして大学生だったころの朝日新聞の毅然とした姿勢(是々非々が徹底していたと記憶する)が,いまや,その片鱗もみられなくなってしまいました。まことに残念です。わたしがこよなく愛してきた朝日新聞さんと,もうこれ以上は無理と判断しました。ごめんなさい。でも,最後に「ありがとうございました」とお礼をひとこと。

可愛さあまって憎さ百倍といいます。もう,我慢なりません。今日の夕刊。一面トップの記事。あきれはててものも申せません。朝日新聞さん,ほんとうに大丈夫ですか。おそらく,偏差値でいえばトップ・クラスの人たちが集まっている集団でしょう。その人たちが,いまの日本の置かれている状況を把握した上で,この記事をトップにもってきますか。これをトップ記事におくことの意味は重々承知の上で,デスクが決断をして,このような紙面になったとわたしは受け止めました。

風力発電は「赤字・故障 撤去も高額」で,自治体はあえいでいる,と。
誤解を避けるために,この記事の冒頭の書き出しだけは引用しておきましょう。
「原発に代わる自然エネルギーとして注目が集まる風力発電事業を手がける自治体が,想定外の逆風にさらされている。赤字続きで撤退を検討するところもあるが,一度回り出した風車は容易に止められない。」とある。
この文章を読んだだけで,怒り心頭に発しています。どうか,みなさん,この文章を何回も繰り返して読んでみてください。まことにレベルの低い企みが丸見えです。それも承知の上で,記者がこの文章を書いていることもわたしには丸見えです。つまり,この文章の背後にある意図を読み取れる読者は,ほんの少数である,ということを計算済みで書いている,ということです。つまり,確信犯です。だから,わたしは許せないのです。

これは明らかに「世論操作」でしかありません。もし,朝日新聞社のデスクが本気でそう考えているのであれば,もっとしっかりした根拠を提示していただきたい。一応,丁寧にも「都道府県別風力発電の設置基数」なる一覧表が掲載されている。その下には「日本における風力発電導入量の推移」という図表まで掲載されている。これはこれで,わたしにとってはとてもありがたい資料でした。なるほど,と納得する。

しかし,である。ご丁寧にも,つぎのような囲み記事まで掲載されている。ここはきちんと転載しておくべきでしょう。
見出しは「民間企業の支援に力を」とあって,「前東大総長の小宮山宏三菱総合研究所理事長(66)の話」として,つぎのようにある。
「自治体が啓発のために風力発電事業を手がける意義は薄れた。今後は大規模な事業に乗り出す民間企業の支援に力を尽くすべきで,地域住民との調整を担うなど行政にできることは多い。」

小宮山さん,貴方はいったいどこに目がついているのですか,とわたしは聞きたい。貴方の耳は正常に機能していますか,と。違うでしょう。貴方はわが身の保存のために,あやつり人形に徹しているだけでしょう。前東大総長ともあろう人が,このようなことを平然と発言するとは,わたしには信じられません。どうか,お願いです。あやつり人形にならずに,ごくふつうの人間として感じていることをありのまま言ってください。

この記事にはおまけがついていて,とても丁寧に,失敗した事例としていくつかの地方自治体の例が紹介されています。そして,どれをとってもどうにもならない状況ですよ,と書いた上で,とってつけたように「成功例」が紹介されています。しかし,よくよく読んでみると,この成功例もまた「限界」にきている,とご丁寧にもコメントしています。

あきれはてた手の入れようです。このまま記事を素直に読めば,ほとんどの人はみんな「なるほどなぁ」と納得してしまいます。それを期待してでっちあげた記事であることは,少しばかり「目利き」の読者なら,すぐに見破ります。もう,いい加減にしてください。わたしはもうこれ以上は我慢なりません。ですから,残念ながら,朝日新聞さんに「さよなら」を言わせていただきます。そして,こういう新聞社に購読料を払うこと自体が,日本の将来にとって「犯罪的」であるということに,遅きに失した感はありますが気づきました。

ということで,長年,購読をし,愛してきた朝日新聞社さんと「決別」することになりました。
今月一杯で,朝日新聞の購読を止め,来月からは「東京新聞」を購読することにしました。なにゆえに,「東京新聞」であるか,についてはまた機会をみてこのブログに書いてみようと思います。少なくとも,この2カ月は,朝日以外のありとあらゆる新聞に目をとおして,わたしなりに信頼のおける新聞の見極めをしてみました。その結論が,いまのところ「東京新聞」であった,という次第です。もちろん,よくよく読んでみたら違っていたということもあるかも知れません。少なくとも「脱原発」を明言し,終始一貫してその主張を貫いているという点では,まず,間違いはないだろう,と信じています。

わたしの愛した「朝日新聞」さん,長い間,ありがとうございました。そして,最後のお別れです。「さようなら」。



『原発労働記』(堀江邦夫著,講談社文庫)をようやく読み終える。哀しい。

なんと哀しい現実が,わたしたちの知らないところで展開していたことか。そして,それがいまもほとんど変わることなく展開していることか。

新聞などで原発の作業員という名のもとにひとくくりにされている人たちの「作業」の実態が淡々と語られている。しかも,1978~79年にかけて,著者自身が原発作業員としてはたらいた体験をありのまま記したものだ。日本の原発が営業開始したのが1970年の敦賀発電所だというから,それからまだ間がないころの,ほんとうに初期のころの定期検査の実態が語られている。

まずは,強烈な印象に残ったことから書いておこう。
原発作業員とは被曝との闘いのなかでの作業であるということ。一日に被曝してもよいとされる限界ぎりぎりまで作業をして,それを超えてしまうと,作業は打ち切り。しかも,累積被曝量が多くなると首である。まさに,使い捨て。

建屋内はものすごいホコリがたまっていて,それを手作業で拭き取るのだということ。そこにたまっているホコリとは,いうまでもなく放射性廃棄物質の一種である。なんのことはない,「死の灰」のことだ。その量たるや恐るべきもので,歩くだけで舞い上がり,周囲がよくみえなくなってしまうほどだ,という。

その作業は死にそうに苦しいということ。なぜなら,防護服に身を固め,全面マスクをすると,間違いなく呼吸困難になってしまうという。完全武装なので,体温の逃げ場がない。全身から滝のような汗が流れ,目にもしみこみ(見えなくなることがある),マスクにホコリが詰まって呼吸困難に陥る。苦しくなると,仕方がないので,そのマスクをはずしてしまうこともある,という。はずしてしまえば,どうなるか。体内被曝である。そういう放射線量は計測されない。

原発は電気を発電することだけを目的に設計されていて,原発を維持管理することを配慮した設計にはなっていないということ。たとえば,定期検査のたびに作業員が入っていって作業する場に電灯がほとんどない,という。だから,一人ひとりがつけるヘッド・ライトが頼りだという。ときには,数人で入っても先導役が一人,手提げランプをもって入り,そのあとを手さぐりでついていくこともある,という。しかも,建築現場の周囲にあるような踏み板一枚が並んでいるだけで,一歩足を踏み外せば何十mも下に転落してしまう,という。

原発作業員は,あちこちでケガをしているのだが,それは一切,極秘にされてしまうということ。いわゆる原発は「安全」なものでなくてはならないので,作業員のケガは闇から闇へ消されてしまう。つまり,労災保険の対象にはならない,ということだ。ケガが生傷であったら,それは即,体内被曝となる。そのための応急処置すら現場の素人の手で適当に処理されている。その手の「事故」はあちこちで起きているという。著者もまた,灯もなく足場が悪かったために転落して,肋骨を骨折している。しかし,事務所では,ひたすら原発ではなく,別のところで転んだことにして,一般の病院に通院してくれ,その代わり,十分な治療費を支払う,と主張。もし,ここで労災にしてくれ,と踏ん張れば,ほどなく解雇されるという。こういう事実の隠蔽工作の積み重ねの上に「無事故」「安全」が連呼されていく。そして,それを実証するかのように統計処理(隠蔽)された数字を見せつけられる。それをわたしたちは信じさせられてきたというわけだ。

原発作業員は,きわめて複雑な下請け制度のもとでかき集められ,世話をされ,給料の支払いを受けていること。つまり,直接的には,親方と呼ばれる「手配師」が作業員をスカウトしてくる。それを,親方の懇意にしている下請け会社に紹介する。そのまた上の下請け会社に登録して・・・という具合に何層にも下請けが連なっている。最近,新聞に掲載されていた図式でも「第四次下請け」会社まで確認されている。しかも,これらの下請け会社がそれぞれ作業員に支払われる給料の「ピンはね」をしている。東電から支払われる作業員一人への給料は相当な額だそうだが(この額がいまだに明らかにされてはいない),じっさいに作業員の手にわたるときには微々たる日当になってしまう。場合によっては,すぐ上の下請け会社が倒産してしまったからという理由で,支払われないことさえある,という。

もう,これ以上は哀しくて書けない。こんなことが現実に行われているのだ。
だから,とても一気には読めない。そのむかし『原発ジプシー』という書名で初版が刊行されたときには,こんなことがあるのだろうか,というまるで非現実の世界を想像しながら読んだ記憶がある。しかし,いまや,そうはいかない。それが厳然たる「現実」なのだから。

こういう人たちの犠牲の上に,原発が存在する。いや,原発は存在しないのかもしれない。なぜなら,人間の手で制御できないものを「存在」とはいえないからだ。それは,まるで「神」のような,人間の世界を越えた存在というべきだろう。だから,わたしたちがいま向き合っているのは「原発らしきもの」なのだ。だって,もはや,発電すらできないしろものとなりはてているのだから。こういう得体のしれない「化け物」の犠牲になっている人たちのことに思いを馳せるとき,それでもなお「原発推進」と言い続ける人たちは,はたして「人間」なのか,とわたしは考えてしまう。かれらは,もはや,人間の顔をした,原発と同じ「化け物」なのかもしれない。

しかし,そういう「化け物」と運命共同体にはなれない。と叫んだところで,その「化け物」たちと運命をともにするしか,いまや,選択肢がないのだ。

なんと「哀しい」時代を生きることになったことか。

猛暑の到来,デパートも電車も去年並みの冷やし方,それでいいのか?

いま,12時少し前,鷺沼の事務所でこのブログを書いている。東側と西側の窓をそれぞれ5センチほど開けてある。風向きがいいのか,今日はとてもさわやかな風が吹き抜けていく。室温は31℃。からだは熱くほてっているのだが,流れる風がこの熱を奪ってくれる。汗ばんではいるが,汗が流れるほどではない。心地よい風だ。

人間の体温はホメオスターシス(恒常性維持)の機能がはたらいて,つねに一定の体温を保つことができるようになっている。そんなことはみなさんもご承知のとおり。だから,ほうっておいても暑ければ汗を流し,寒ければ鳥肌を立てて,体熱の調節をしている。だから,わたしたちのからだは基本的には暑さ・寒さにたいしてはほうっておいても自動的に調節してくれるようにできている。それでも耐えられないときには,むかしは扇子や団扇で涼をとった。それで長いことやってきたのだ。扇風機を自分の部屋に置けるようになったのは,たしか,40歳をすぎていたころだと思う。いまから30年前は,みんなそんな生活をしていたのだ。

夏休みには,上半身裸になって背中に濡れタオルを背負いながら,必死になってハンス・グロルの翻訳をやっていたことを思い出す。奈良教育大学に転勤になってまもないころだ。もちろん,大学の研究室にもエアコンなどはなかった。だから,あのころの学生さんたちはみんなタオルと団扇をもって教室を移動していた。われわれも同じだった。ちょっとだけ差をつけて,しゃれた扇子を使いながら講義をしていた。それが「ふつう」だった。

この夏は,あのころに戻ればいい,とさっさと覚悟を決めていた。たぶん,電車の車内も暑かろう。ならば,扇子とタオルをもって乗り込めばいい。デパートや本屋(大型の)さんも,少しはエアコンを入れても,そんなには涼しくなることはなかろう。とにかく,ことしの夏はみんな我慢して,節電に励み,来年に備えよう・・・・そうするものだと勝手に思い込んでいた。

しかし,である。この2、3日の猛暑に,さすがにデパートもスーパーも電車もエアコンを入れて,一気に涼しくなっている。今日は,昨日よりもエアコンを強くしているように感じた。いつも,溝の口の丸井の1階を通り抜けして電車に乗り,鷺沼ではスーパーに立ち寄って昼食の食材を買って,事務所にくる。これがわたしの定番のコースである。そこが,今日になって,すべて一段と涼しいのである。いや,ひんやりと寒いのである。この設定温度はだれが決めているのだろうか,と思わず考えこんでしまった。

われわれお客の側からすれば,外気よりほんの少し気温が低いだけで,それで十分に涼しいのである。だから,こんなに冷やす必要はなにもない。いまも,事務所の部屋で,このブログを書いている。室温31℃。風はときおり吹き込んでくるだけ。たぶん,秒速2~3m。風速1m/秒で,体感温度は約1℃といわれている。登山などをしているときには,風速10m/秒であったら,10℃気温よりも低いと思え,とむかし教えられた。いま,部屋にいて,2~3mの風が吹いているとすれば,31℃より2~3℃低い温度を体感しているはずだ。風が吹かないと暑い。しかし,適当な間隔で風は吹いてくる。すると,とても涼しいのである。

人間のからだは,7℃の温度差までは自動的に体温調節ができるように,ホメオスターシスの仕組みができている。これ以上の温度差が起きた場合には,着ているものを脱ぐなり,重ね着をするなりして,体温調節を助けてやる必要がある。

丸井も通過するだけ,電車は7分,スーパーは2,3点の買い物をするだけ。だから,ひんやり感から冷たいなぁへ移るころには,その場を離れるから問題はない。もし,電車で15分以上乗らなければならないとしたら,上着を一枚持って歩かなくてはならない。冷やしすぎである。去年までは,わたしは都心へでかけるときは,かならず上着を一枚持ってでかけた。そうしないと途中でからだ冷えてしまって調子がおかしくなってしまう。そういう馬鹿げたことを,この日本の文明化社会は,なんの疑問ももたずにやってきたのだ。

この構造は,まさしく,原発推進と軌を一にしている。電力は有り余るほどあるからどんどん使え,と。もっと必要なら,原発を増設すればいい。じじつ,そのような計画で進んできていたのだ。そして,有り余る電気料金の徴収分を,あちこちにばら蒔いて「口封じ」につかってきた。その隠蔽工作の実態がいまわたしたちの眼前にひろがっている「事実」だ。いまも臆することなく研究費という名の献金をたくさんいただいた「御用学者」さんたちが代わる代わるテレビにご出演なさって,「原発は安全です」とほざいている。あるいは,「わたしは原発推進でも反原発でもありません」と,さも客観的な立場に立っていますといわぬばかりの,まことに無責任な評論活動を展開している著名人は枚挙にいとまがないほどだ。

電車もデパートもスーパーも,去年並みの冷え方をみると,会社も同じなのか,と想像してしまう。たぶん,窓も開かない欠陥ビルを建てておいて(電力は無限にあるという前提に立って),エアコンを入れなければ仕事にならない,といいわけをすることだろう。この姿勢,これまでの考え方が基本的に間違っていたことが,今回のフクシマで実証されたのだ。だから,このことをこそ大いに反省すべきではないのか。こんな欠陥ビルを建ててしまったのだから,ほかの職場よりも,この際,設定温度が高くても仕方がないと我慢するしかないのだ。その覚悟が求められているのだ。

わたしのような人間ですら,ことしの夏はエアコンは入れない,と決めた。そして,いよいよになれば,背中に濡れタオルを背負えばいい,と覚悟を決めている。若いサラリーマンは,もっともっと我慢ができるはずだ。夏にランニング・シャツ一枚で仕事をしていた,わたしの子供時代の市役所の風景が彷彿とする。小学校の先生も,夏はランニングシャツ一枚で教室の授業をやっていた。

ちょうど,このブログを書きはじめて1時間が経過。
今日はここまで。
ことしの夏は我慢の夏だ。みんながその覚悟をするだけで,電力なんかなんの心配もいらない。そして,原発がなくてもやっていけるという実績を残すべきだ。そうしないと,原発で被曝しながら作業をしている人たちに申し訳がたたない。サラリーマン諸君,頼みますよ。

2011年6月24日金曜日

八百長の背景「似通うKリーグと大相撲」(中小路徹)という記事にひとこと。

ちょっとバカにしてないか,というクレームです。
朝日新聞に「記者有論」というコラムがあって,毎回,記者の実名でときの話題がとりあげられる。企画そのものは面白く,記者のナマの声が聞けて,いろいろ考えることも少なくない。
今回(6月24日・朝刊)は,「スポーツグループ次長・中小路徹」という署名・写真入りの記事だ。そして,ブログのタイトルに書き写した見出しがそのまま掲載されている。
たぶん,朝日新聞社の記者になるような「社会性」があって,「常識」があって,しかも「待遇」(収入)のよい人たちが読むと,「なるほど」となんの抵抗もなく納得できてしまうにちがいない。
中小路さんの論旨はこうだ。韓国プロサッカー・Kリーグの八百長事件が起きた背景と,日本の大相撲の八百長が起きた背景は「似通う」ところがある,というのだ。その根拠は,一人前になるまでに通過する「世界の狭さ」(つまり,「社会性」の欠落),そして「常識が身につかないまま大人になりやすい」こと,三つめが「待遇の悪さ」だという。もう一つ,加えておけば「上下関係の厳しさ」をあげておられる。つまり,「先輩から協力を依頼されれば,後輩は断れない風潮」が指摘されている,という。
はたして,こんな単純なことなのだろうか。
だったら,こんな世界はサッカーや大相撲に限らず,どこの世界にもある。
わたしは,韓国にもスポーツの専門家(研究者や,実践家)の友人がいて,これまでにも何回もシンポジウムや講演を頼まれてでかけている。そして,なにか「事件」のようなことがあると,すぐにお互いの情報交換をしている。今回の韓国プロサッカー・Kリーグの八百長事件についても,韓国の専門家たちはどのように受け止めているのか,という情報もえている。
それによると,以下のようだ。
サッカーの八百長などは子供の遊びに等しい。もちろん,悪いことだから法的手続き(国民体育振興法違反)をへて処分されることになるだろう。それは当然だ。しかし,そんなに大騒ぎをするほどきことではない。こういうバカなことをやれば,Kリーグが廃れていくだけのこと。おのずから自主規制をはたらかせ,自浄能力があるかないか,が問われるだけの話。
そんなことより,政界・財界をふくめて,もっともっと大がかりな「八百長」がまかりとおっているではないか。それをちょっと「真似」しただけの話。大きな工事現場では手抜き工事が平然と行われている。現場監督も見て見ぬふりをしている,という。なぜなら,すでに「賄賂」で抱き込まれているからだ,と。世の中,あちこちで,もっともっと悪質な「八百長」が行われている。しかも,ほとんどの人がそのことを知っている,という。
だから,韓国Kリーグの八百長は,単なる社会の「写し鏡」にすぎない,というのだ。問題は,八百長をやる体質,それを容認する体質が蔓延していることにある,と。そこの根源を絶たないかぎりなんの問題の解決にもならない,というのだ。もっと言ってしまえば,とかげの尻尾切りと同じで,Kリーグの八百長を騒ぎ立てることによって,巨悪の隠れ蓑として仕立て上げるマスコミも,同じ八百長の仲間なのだ,という。
この話は,とてもお隣の韓国の話として笑っているわけにはいかない。
今回のフクシマ原発事故以後,政府も官僚も財界(東電)も三位一体となって,まるみえの「八百長」劇をみせてくれたではないか。のみならず,そこに学会(御用学者)とマスコミ(朝日新聞も含めて)の2者が加わり,「黄金の五角形」(河野太郎)まで構築して,歴史に残る「大八百長」演劇を,いまも平然と演じつづけているではないか。
この延長線上に,中小路さん,あなたのこの記事は「ピタリ」と寄り添っているみごとなものだと思います。だから,わたしは恥ずかしい。あなたのような「社会性」があって,「常識」があって,しかるべき「待遇」をえている立派なエリートが,このような情けない記事を書くことが。
正直にわたしの意見を書きましょう。
中小路さん,あなたは,ことの真相(深層)をすべてご存じの上で,このような記事を書いていらっしゃる(ひょっとしたら,書かされていらっしゃる)のではないですか。韓国でKリーグの八百長がどのような反響を呼んでいるのか(低俗な週刊誌情報から,一定の見識をもった人たちの見解まで)は,新聞記者として当然,ご存じのはずです。にもかかわらず,こんな薄っぺらい記事を書いて(書かされて)いらっしゃることが情けない。もし,かりに知らないで書いていらっしゃるとしたら,それは新聞ジャーナリズムに対する冒涜です。もし,知っていて書いているとしたら,中小路さん,あなたは「犯罪者」です。
しかも,サッカーのようなチーム・ゲームと大相撲のような個人競技とを同列に並べて論じて,なんの矛盾も感じていらっしゃらないとしたら・・・・。中小路さん,あなたは「スポーツとはなにか」について,一度,とくとお考えいただきたい。
大相撲に関するわたしの見解は,不十分ながら,雑誌『世界』(岩波書店)6月号に掲載されていますので,ご検討ください。スポーツグループ次長という肩書でお仕事をなさっている中小路さんが読んでいらっしゃらないとは思いません。が,念のためにタイトルは「大相撲 真の再生への提言──21世紀的世界観に立った改革を」(P.172~179.)です。
さいごにひとこと。こういう「八百長」社会を,意識的にしろ,無意識的にしろ,あるいは,結果論にしろ,容認してしまっている最終的な責任は,わたしたち自身にある,ということです。この自覚のない論説がなんと多いことか。わたし自身もふくめて自戒のことばとしたいと思います。

2011年6月22日水曜日

民主党は脱原発に舵を切ったのではなかったのか?

ほんとうに,なにを考えているのやら・・・?!
浜岡原発を止めて,ようやく脱原発への舵を切り,いよいよ民主党も覚悟を決めたかと国民に最後の期待をもたせたのに・・・・・。またぞろ,この醜態である。

国民世論の圧倒的支持(東京新聞調査によれば,「徐々に原発を廃止していく」の支持は80%を超えている)があるのに,なにゆえに,「原発稼働」に舵を切り直すのか。それほどに影で蠢いている「原発推進」派集団の圧力が恐ろしいのか。政治はだれのためにあるのか。

わたしの長年愛してきた朝日新聞もまた,ようやく脱原発に舵を切ったかと思わせておいて(星浩さんが社説で,ようやく重い腰を持ち上げて書いた),その一方で,この夏の電力不足を歌い,東電8月に値上げと報じ,御用学者を登場させて読者に猫だましをかませ(東浩紀,見田宗介,赤坂憲雄,藤原帰一,ほか)るような無駄な記事を掲載し,IAEA報告をもって免罪符とする海江田くん(それに便乗する民主党執行部)を大きく取り上げ・・・・と際限がない・・・・。

われわれが知りたいのは,この期に及んで,まだなお「原発推進」を主張する人たちの顔とその根拠である。この関連の情報を朝日新聞ともあろうマス・メディアが知らないはずがない。知っていて書こうとはしない,そこが大問題だ。選挙のときと同じように,明らかに国民の意識を自在にコントロールし,ある意図のもとに「誘導」しようとしているかにみえる(結果的には間違いなく誘導されている)。テレビ各社も同じだ。

どうしても首相の座に居座りつづけたいのなら,カン君,だれになにを言われようと「脱原発」を主張しつづけなさい。あなたへの国民の信頼は完全に失墜しているけれども,唯一,「脱原発」だけは国民の圧倒的多数の支持をえている。ここにすがるしか延命策はないのだ。どうせ,もう,辞めると公言してしまったのだから,しっかりとした理念を堂々と主張しなさい。「財界はなにを考えているのか」「国民のことを考えよ」と叱り飛ばすくらいのことをやってみてはいかがか。

いまは,なにはともあれ,国家の非常事態なのだ。大震災の被害を受けている「弱者」の立場に立つ政治をどんどん繰り広げるべきときなのだ。こんなことは小学生にもわかる。四面楚歌に陥った首相にもはやいかなる味方もいないようにみえる。もし,これが事実なら,小学生にもわかる単純明快な論理に立つ政治をとことん展開していくことだ。国民はそこに,ほんのわずかな期待をしている。それでも駄目なら,堂々と胸を張って,辞任すればいい。それが男の花道というものだ。

国民が期待しているのは「脱原発」「発電・送電の分離」「太陽光・風力などの活用」「原子力委員会・保安院の分離独立」であり,そして,なによりもまずはフクシマ制御に全力をあげることだ。いま,政局を論じているヒマはない。

そして,いまさら原発再稼働を提案したところで,地元住民は納得しないことは目にみえているし,こんどこそ他地域からも反対のデモ隊が馳せ参ずることになるだろう。わたしはそのつもりでいる。沖縄の基地問題にも可能なかぎりからだを張りたい。もはや,動いて,からだで意志表示するしか方法はない。直接民主制に立ち返って。

脱原発の風を,いまこそ,もっと強く吹かせなくてはならない。この風を止めてはならない。これができなかったら,それこそ,この国に夢も希望もなくなってしまう。いまが,絶好のチャンスなのだ。

カン君,もう一度,目を覚ませ! と声を大にして言いたい。
ほかに代打がいないのだから・・・・。情けないかぎりだが・・・・。

2011年6月21日火曜日

バタイユの内奥性に接近する,触れる経験とスポーツ的なるもの。その2.

その1.につづいて,その2.を書いてみたいとおもう。
その前に,その1.をいま読み返してみたら,あまりの文章のつたなさに驚き,大急ぎで応急処置をほどこしておいたので,いくらか読めるものになったつもりである。一度,確認しておいていただけると幸いである。

さて,その2.である。内奥性に接近する,触れるという経験は,さまざまなことばで表現することが可能である。たとえば,自己を超えでていく経験,わたしの身体がわたしの身体であってわたしの身体ではなくなる経験,フロー体験,ランニング・ハイ,ゾーンに入る,スローモーションの世界,幽体離脱,などなど。

18日の「6月例会」では,「自己を超えでていく経験」ということが話題となり,しばしば取り上げられ内容が検討された。かんたんに言ってしまえば,「自己を超えでていく」とは主体を超えでていくことであり,理性を超えでていくことである。つまり,自己意識の管理下から自己の身体がはみだしてしまい,ある意味ではコントロール不能の状態に入っていくことを意味する。コントロール不能という表現からは,かなり危ない状態が想像されてしまうかも知れないが,ここでは「いい意味」での「自己を超えでて」いくことを指す。

よく知られているように,おすもうさんたちが調子のいいときにいうセリフに「からだが動く」というものがある。自分で考える前に,からだが動く,というのである。だから,気がついたときには勝ち名乗りを受けている,と。野球の王貞治は調子のいいときには「ボールが止まってみえる」と言っている。あるいは,「ボールが大きくみえる」とも。そういうときには,からだが勝手に反応してバットがでていくという。

ローマ・オリンピックの金メダリスト(ボートのエイト)で,のちに著名な哲学者となったドイツのハンス・レンクは,金メダルを獲得したときのレースでフロー体験をしたことを,自著の『スポーツの哲学』という本の冒頭でかなり詳しく述べている。それによると,決勝レースの最後の500mくらいのところで,突然,フローの状態に入った,と。ボートの残りの500mといえば,「死ぬほどくるしい」デッド・ゾーンとしてよく知られている。しかし,かれは,このとき恍惚状態でゴールにたどりついたという。しかも,その状態に入った瞬間に,すでに勝利を確信していたという。フローに入った瞬間に,まわりの景色は霞がかかったようにぼんやりとしはじめ,すべてのものがスロー・モーションで見えていた,と。だから,自分のオールさばきも普段よりも細かく分節化された状態で見えているので,じつに細かく修正を加えることができた,とも。そして,オールのひとかきごとに相手の艇との距離が着実に広がっていくのも冷静に見えていた,という。
普段であれば,ボートの残り500mといえば,死に物狂いでオールを漕ぐ場面であり,意識も朦朧としてくるところだという。その苦しさは言語を絶するという。

ボートのオリンピック選手で太宰治に弟子入りして作家となった田中英光は『オリンポスの果実』のなかで,主人公につぎのように言わせている。恋人の彼女から「ボートを漕ぐのはたいへんなんでしょうね」と問われ,「漕いだことのある人には説明しなくてもわかるけれども,漕いだことのない人にはいくら説明してもわかりません」と。もう,生きた心地はない,とも。でも,だから楽しいのだ,と主人公は言う。

わたしは,こういう経験を「死に限りなく接近していく」経験と名づけている。もう,これ以上頑張ったら死んでしまうという,ある意味では「臨死体験」に近い経験がスポーツ実戦のなかではしばしば起こる。つまり,「生と死の境界領域」,すなわち,「グレイ・ゾーン」に自己を超えでていく時空間が広がっているようにおもう。

この領域は,バタイユの内奥性に接近する,触れる経験と,まさに隣接しているのではないか,とわたしは考える。それがまた人間が生きる実在の世界ではないか,と。つまり,生きものとしての人間の生がまっとうされる場ではないか,と。

この問題は,また,視点を変えて考えてみたいと思う。
とりあえずは,今日はここまで。

2011年6月20日月曜日

バタイユの内奥性に接近する,触れる経験とスポーツ的なるもの。その1.

18日(土)の午後に行われた西谷修さんのトーク(4時間超)をボイス・レコーダーをとおして,くり返し聴きながら,わたし自身の課題である「スポーツとはなにか」という問いについて考えている。昨日は,さすがに緊張から解かれほっと一息入れる。そして,終日,ごろごろしながらボイス・レコーダーに耳を傾けて一日を過ごした。至福のときである。

そのなかのいくつかの点については,これから少しずつではあるが,このブログのなかで書いていってみたいと思う。今日はその最初ということで,バタイユのいう「内奥性」について,西谷さんの解説をとおして,わたしが考えたことがらについて書いておこう。

結論的なことをさきに提示しておけば,人間の意識(あるいは理性)と内奥性との折り合いのつけ方が宗教(あるいは,宗教的なるもの)出現の源泉だ,ということである。そして,このこととスポーツ(あるいは,スポーツ的なるもの)の出現はパラレルである,ということである。つまり,人間が内奥性に限りなく接近する,そして,ついには触れるという経験のうちに,宗教もスポーツもその源泉を求めることができる,ということである。

このことを,ごく大づかみに噛み砕いてみると以下のようになろうか。
内奥とは,国語辞典には「内側の奥深いところ」としか書いてない。つまり,ことばで表現のしようのないものだ。それをあえてバタイユの思考の世界に分け入って考えてみると,つぎのようになるだろうとわたしは考える。
人間はもともとは動物性の世界のなかに埋没して生きていた。つまり,一個の動物として生きていた。しかし,そのうちに,ある意識にめざめた人間が登場し,オブジェ(物・客体)の存在に気づき,自他の区分にめざめ,自己意識をわがものとし,ついには道具・ことばを獲得するようになる。そこから思考ということがはじまる。すなわち,動物性の世界から人間性の世界への<横滑り>のはじまりである。こうして,しばらくの間,当初の人間は,動物性と人間性の両方の世界を往来しながら生きていたと思われる。しかし,いつのまにか人間は,動物性の世界から完全に離脱してしまい,人間性の世界に移行してしまう。すると,もはや,動物性の世界は遠い過去の闇の世界へと消え去ってしまう。しかしながら,人間の身体には,よく発達した脳の活動(理性)と同時に,動物性(遺伝子情報,本能)を生きたころの生命活動とが共存している。つまり,人間は「二つの身体」を同時に生きることを余儀なくされたといってよい。言ってしまえば,理性的人間と,動物的人間の二つが一つの身体を共有しているということだ。だから,この両者の間には絶えず葛藤がくり返される。これが人間が生きるということの現実だ。
別の言い方をすれば,人間は理性だけでは生きられない。同時に,人間は本能だけでも生きられない。この両者の「折り合い」のつけ方が求められる。ここでいう本能のさらに「奥深いところに存在する」と考えられているもの,それがここでいう「内奥」であり,「内奥性」と呼ばれているもののことだ。だから,これは人間の側から想定された非現実の世界である。それは,一種の幻想(イリュージョン)であり,架空の存在である。しかも,そこに「聖なるもの」や「至高性」が存在する,とバタイユは考える(このことについては,相当に長い導入が必要。バタイユ自身はかれ特有の「エクスターズ」体験をとおして実感してもいる)。この内奥性に「聖なるもの」や「至高性」を求めることによって,人間は一定の安寧をえるのである。なぜなら,ときおりわき上がる本能とも異なる得体のしれない強度をともなった衝動を前にして,理性はなんらかの説明を求められることになるからだ。それに名前を与えた結果が「内奥」という意味不明のことばだ。しかも,このことばは理性の完成されたもの,最終ゴールでもある「絶対知」(ヘーゲル)をも飲み込んでしまい,暗黒の奈落の底までつき落してしまう,という。バタイユの思考の原点にある「非-知」(non savoir)の概念はここに通底している,とわたしは理解する。
西谷さんの説明を借りれば,内奥性は,理性や意識を一つずつ取り外していって,人間を成立させている条件を全部取っ払ったときに,突如として「せり上がってくる」(立ち現れる)もののことだ,ということになる。それこそ剥き出しの動物性と呼べばいいだろうか。そこには,もはや,人間は存在しない。しかし,そこには無限に広がる強度をともなった時空間がある,とバタイユはいう。かれは,神秘体験として「恍惚」(エクスターズ)をしばしば経験する。しかも,宗教的なプログラムにしたがった神秘体験ではなく,突然,なんの前触れもなくやってくる,きわめて個人的な「神なき恍惚」であるという。その意味で,そのみずからの神秘体験を『内的体験』と名づけ,同名の書物を著している(ニーチェの『ツァラツストラはこう言った』を,バタイユは強く意識しつつも,それをかるがると凌駕していくバタイユ独特の世界を描き出している)。その世界は,底無しの恐怖と至福とがないまぜになった「恍惚」(エクスターズ)の世界だとバタイユはいう。

長くなっているので,ここで一旦,終わりにしておく。
このバタイユのエクスターズの経験と,スポーツのごく限られたトップ・アスリートたちが時折経験するという「神がかり」的なパフォーマンスとは,どこかで通底している,とわたしは考えている。それを,あえてことばに置き換えるとすれば,それは「内奥性に接近する,触れる経験」ではないか,とわたしは考えている。この世界は,仏教でいうところの「本覚」(本覚思想)とも近いものであるとわたしは考える。さらには,西田幾多郎の「純粋経験」や「行為的直観」なども,きわめて近接した世界ではないか,と。そして,竹内敏晴が探求した「じか」に触れるというワークショップもここにつながる,と。こうして,例を挙げていけば際限がない。という具合に,いわゆる「実在」(ハイデガー)というものを求める姿勢は,期せずしてみんな同じベクトルに向かっているように,わたしにはみえる。そして,スポーツの「本質」もまた,ここに到達するに違いない,と。その理路を明らかにしてみたい。それが,わたしの考える「スポーツとはなにか」のゴールだ。後日,このつづきを書いてみたいと思う。とりあえず,今日のところはここまで。

2011年6月19日日曜日

『宗教の理論』読解のトーク,無事に終了。

昨日(18日),青山学院大学の教室をお借りして,「ISC・21」6月東京例会を開催しました。すでに,わたしのHPにも紹介しておきましたように,西谷修さんにお出でいただいて,バタイユの『宗教の理論』を読むための基本的な概念について,お話をうかがいました。北は北海道をはじめ,神戸,大阪,名古屋からも大勢の方たちが集まり,総勢24名。

午後2時から6時まで,あっという間にすぎてしまうほどの,中味の濃いお話でした。最初のこころづもりとしては,できるだけキャッチ・ボールをしながらのトークになるようにと思っていましたが,いざ,はじまってみたら,西谷さんの独演会になってしまいました。間に割って入るほどの力量のなさをしみじみと痛感しました。つまり,バタイユの『宗教の理論』を読み解くための基本的な哲学上のタームや概念について,西谷さんは,懇切丁寧に,わかりやすく説き聞かせてくれました。ですから,わたしもすっかり聞きほれていた,という次第です。

最初に,まずは,わたしの方からこのラウンド・テーブルを計画した意図と位置づけについて説明。それは「スポーツとはなにか」というわたしの長年にわたる根源的な問いがあって,それへの最終的な応答を,この『宗教の理論』に求めることができるのではないか,と考えたこと。すでに,30年ほど考えつづけてきたことの,いよいよ「まとめ」に入るためのテクストとして,この『宗教の理論』に出会ったこと。すでに公刊された本でいえば,『スポーツの後近代』(三省堂出版),『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社)などを経て,ようやくここにいたって『スポーツとはなにか』というライフ・ワークのまとめに入ろうとしていること。しかも,「3・11」を通過したいま,それ以前までの考え方に大幅な変更を迫られていること。このことは「スポーツ文化」全般についても同様であること。したがって,「3・11」以後の時代や社会を生きる人間にとっての「スポーツとはなにか」,つまり,21世紀を生きる人間のためのスポーツ文化の創造のための理論武装をすること,など。

これを枕にして,『宗教の理論』というテクストが,バタイユの著作群のなかではどのように位置づけられるものなのか,というところから西谷さんにお話をいただくことになった。短く,要点をというつもりだったのですが,西谷さんが最初から絶好調で,一気に1時間30分ほど,熱のこもったお話をしてくださいました。バタイユという思想家は不思議な存在の人であること,神秘体験がかれの思想を考える上で重要であること(たとえば『内的体験』『非-知』など),キリスト教とはいかなる宗教なのかということ,などなど。一つひとつの話が,哲学的な思考を構築していく上での不可欠な概念の説明であり,人間というものの本質規定にかかわる内容(たとえば,ことばを話す動物,動物にはもどれない存在,など)に深く分け入っていく思考であり,ここに簡単にご紹介できるような代物ではありません。

詳細については,テープ起こしをして手を加えたものを,いずれ公表できるようにしますので,それまでお待ちください。いまのところ,『IPHIGENEIA』第3号(通号第11号)・2011,に掲載の予定。刊行は12月末。なお,そこにはこのブログで書きつづけてきた,わたしの『宗教の理論』読解も掲載の予定。その他の方たちにも『宗教の理論』読解の原稿を書いてもらおうと思っていますので,その意味では,次回の『IPHIGENEIA』は『宗教の理論』読解・特集号になりそうです。

いすれにしましても,この6月東京例会を通過したことによって,わたし自身はなにか「物の怪」がとれたような気分です。つまり,西谷さんのお話をうかがうことによって,なんとなくぼんやりしていたことがらがすっきりしてしまいました。これで「前にでる」ことができる,と確信しました。あとは,「スポーツとはなにか」というテーマを,どのような構成で書き上げるか,ということだけです。とりあえずは,新書をイメージして,ごく簡単に,わかりやすくスケッチをするつもり。そして,そのあと,本格的なハード・カバー本を書こうと思っています。たぶん,それをやりとげると,また,つぎの知の地平がみえてくるのではないか,と楽しみにしているところ。

有言実行。まずは,高らかに宣言をして,みずからを縛りつけておくことにしよう。でないと,意志が弱いので,内緒にしていると途中でくじけてしまいそう。退路を絶って,前にでるのみ。でも,ようやくここにたどりついたかとおもうと感慨一入でもあります。そういうところにたどりつけたのも,一重に,「ISC・21」のみなさんのお蔭であり,西谷修さんのお蔭です。もう,しばらく頑張ってみたいと思っていますので,こんごともよろしくお願いいたします。

2011年6月17日金曜日

バタイユ『宗教の理論』読解・その11.「10.人身供犠」について

人身供犠と聞いて,わたしの脳裏にまっさきに思い浮かぶのは古代ギリシアの悲劇の主人公「イフィゲネイア」(Iphigeneia)である。トロイア戦争のために船出をしようとした父王アガメムノンはアルテミスの怒りを解き船出に必要な風をえるために娘イフィゲネイアを生贄に捧げたという話(このつづきはもっともっとあって,恐ろしい悲劇がつぎつぎに起こるのだが・・・)。

映画化された『イフィゲネイア』は,「娘イフィゲネイアを生贄に捧げるべし」という神判がくだると,イフィゲネイアは半狂乱になり,悩み,苦しみ,さまざまな葛藤を経てのち,ついに決断し,自分の意志でひとりで祭壇に登っていくという感動的なシーンで終わる。イフィゲネイアの置かれた位置は,いわゆる二律背反,アポケーである。みずから死を選べばギリシア軍の船出が可能となる。しかし,死を拒否すればギリシア軍は崩壊してしまう。父王アガメムノンも妃クリュタイムネストラも,その一族全員が「判断不能」の状態に陥る。そこから,このギリシア悲劇ははじまる。

しかし,このアポケーでの二者択一にしか「正義」は成立しない。それ以外の「選択」は,かならずなんらかの利害・打算が加わる。すなわち「有用性」という「はかり」(基準)によって。つまり,「正義」は神の領域のものであって,「有用性」という理性的判断が最優先する人間性の世界にあっては「正義」は存在しない。もし,あるとすれば「ガラガラポン」の抽選だけだ(コイン投げの裏表,サイコロ,などもここにふくむ)。

ところで,スポーツに「正義」はあるのか,と問うてみる。
スポーツの本質規定の一つは,「やってみなければ結果はわからない」というものがある。その意味では,スポーツは賭けである。
この賭けと人身供犠とをつないでみると,スポーツの起源の一つである「決闘」が思い浮かぶ。日本の相撲の起源も,古代ギリシアのレスリングも,およそ,格闘技の起源は「決闘」である。決闘は生きるか死ぬか,確率二分の一だ。つまり,相手が供犠となるか,自分が供犠となるか,ということだ。古代ローマの剣闘士の戦いは,負けは人身供犠であり,勝ちは無罪放免(神の意志の表出という意味での「正義」=「神判」)。しかし,ここに徐々に「有用性」の考え方が浸入してくる。その結果が,こんにちの近代スポーツ競技としてのレスリング,ボクシング,相撲,柔道,剣道,フェンシング,等々である。ここには,もはや,人身供犠の考え方もないし,神判の考え方もない。あるのは,アスリートとしての自助努力のみだ。

しかし,よくよく考えてみると,広義の「贈与」の性格を垣間見ることができそうだ。たとえば,こうだ。勝利至上主義の軛から解き放たれたアスリートたちがよく口にするセリフ「勝ち負けはいい,全力をつくして人びとが感動してくれればそれでいい」のなかに「贈与」の精神が流れているように思う。あるいはまた,「勝ち負けではない,銭のとれる相撲をとれ」ともいう。つまり,「全力を出し切る」ことに人びとは感動する。この感動の源泉は「贈与」だ。かつて「贈与」のなかに「人身供犠」も含まれていたことを考えれば,「全力を出し切る」こともまた姿・形を変えた「人身供犠」といえなくもない。

スポーツにはいくつもの「顔」がある。その「顔」のよって立つ基盤も複雑怪奇である。だから,ことはそんなに単純ではない。いろいろな要素が渾然一体となって,こんにちのスポーツ文化は成立している。そこにメスを入れるとすれば,事物化に向う力なのか,それとも供犠に向う力(事物化からの解放の力)なのか,を慎重に腑分けしていくことなのだろう。

しかし,このような視点からの作業はまだだれも手をつけてはいないのだ。だから,現段階ではまったくの未知数としかいいようがない。しかし,新たな可能性,すなわち,21世紀のスポーツ文化を模索していくとすれば,そして,とりわけ,3・11以後の人間の在り方への問いかけと直にリンクするスポーツ文化を模索していくとすれば,バタイユ的視点の導入こそが求められているのではないか,とわたしは考えている。その意味では,こんにちもなお「人身供犠」の考え方は生きているのではないか,と。



2011年6月16日木曜日

節電実績を,なぜ,新聞・テレビは取り上げないのか。

国民の節電意識は相当に高いのではないか,とこのところ考えていた。わたしの事務所のあるマンション(周囲もすべてマンション)を見回してみると,あちこちの窓が開けてあって,風がとおるようになっている。それをみるかぎり,エアコンはまだ使っていない,ということがわかる。周囲のマンションも同様だ。夕刻になっても,電気をつける部屋は一つ。これも3・11以前とは違う。つねづね,国民は節電に頑張っている,と感じていた。

しかし,その実績がどのくらいなのか,わからなかった。新聞もテレビもそのことを報道しないからだ。しかし,今日,インターネット上にその情報が流れていることを発見(すでに,前からあったのかもしれないが,わたしは知らなかった)。

それをみて驚いた。みごとな節電の成果がそこに現れていたからだ。
結論からいうと,昨年の今日と比較して,ほぼ3割ほど消費電力が少なくなっている(折れ線グラフなので精確な数字はわからない)。これには驚いた。じつに立派なものだ。原発が担っている電力は全体の29%だ。もう,すでに,原発を全部止めても,ぎりぎり達成しているではないか。あとは,原発に代わる代替電力を少しずつ増やしていけばいい。少し時間はかかるかもしれないが,不足分は我慢すればいい。第二次世界大戦の敗戦後の生活を考えれば,いとも簡単なことだ(あのときの「飢餓感」はいまも忘れない)。非常時なのだから,我慢すればいい。空腹よりは我慢ができる。しかも,数年後には解決できる。

わたしの予想では,10~15%くらいは節電しているのではないか,と思っていた。だから,関西電力から15%の節電の呼びかけがあったとき,それくらいのことは「できる」と確信していた。それを,なんでわざわざ新聞が驚いたように取り上げるのか,そして,その記事は読者を脅かす内容になっている。読んでいる途中で,新聞社(わたしの場合は朝日新聞)もまた,電力会社とタイアップして,原発推進をしないとやっていかれませんよ,と警告をしていることに気づく。なんとまあ,いやらしいやり方か,と。それなら,もっと積極的に原発推進キャンペーンを張って,その根拠を明確に示すべきではないか。

インターネットには「東日本大震災関連情報」というのがある。そこに,「停電・節電」という見出しがある。そこを開くと「東京電力/電力の使用状況グラフ」という見出しがある。そこをクリックすると,「20時台実績74%」(22時30分現在)とある。さらに,見たいところをクリックしていくと,「電気予報」という見出しが目に入ってきた。早速,開いてみると,面白い折れ線グラフがでてくる。しかも,きちんとしたデータも掲載されている。

それによると,「本日の予想最大電力:3,430万kw。本日のピーク時供給電力:4,370kw」とあり,さらに,本日の使用電力量が棒グラフで1時間単位で表示してあり,そこに,折れ線グラフで,前日の実績,前年相当日実績が書き加えられている。これをみて,またまた驚いた。ほぼ,予想どおりの「最大電力」が今日の実績としてグラフにある。ということは,まだ,約1,000万kwほどの余裕がある。きわめて健全ではないか。みんなが節電に努めている結果なのだ。このことをもっともっと広く国民に知らせるべきではないか。なのに,大手の新聞もテレビも無視する。それどころか,「知らしむべからず」という政府,官僚,財界,そして御用学者と足並みを揃えている。つまりは「原発推進」を支持しているということ。このことを明確に表明しないまま,読者の意識コントロールをやっている。もっとも悪質だ。

わたしたち国民は,できる範囲で小さな節電の努力をしている。ことしの夏はエアコンは無理だねぇ,と言った友人がいる。偉いなぁ,とわたしなどは感心してしまう。そうか,みんな我慢しようと覚悟を決めている。そのせいか,扇風機が売れているという。そう,扇風機で十分なのだ。ついこの間まで,扇風機すらない生活が日本人の当たり前の生活だった。みんな「団扇」か「扇子」で涼を自分で産み出したものだ。疲れたら暑いまま。我慢ができなくなったら扇ぐ。その繰り返し。ことしの夏はそれでやり過ごそうと覚悟をすればそれでいいのだ。その点,高齢者はみんな若いころに体験ずみのことだ。

まあ,それはともかくとして,「節電実績」を,日々公表してほしい。新聞・テレビできちんと報道してほしい。そうすれば,みんながどれほど頑張っているかがよくわかる。それを知って,さらに頑張る人もでてこよう。ことし一年はそうやって励まし合うしかないのだ。そして,一年後に向けて,代替電力を確保すべく努力すればいい。すでに,自宅にソーラー・システムを導入しようと考えて,実行に移している人がわたしの身近にも出はじめている。心強いばかりだ。

もう一度,言っておく。なにゆえに大手の新聞・テレビは国民の日々の「節電実績」を隠そうとするのか。その魂胆がどこにあるかを,わたしたちは見逃してはならない。
垂れ流しのテレビ視聴はやめよう。受け身の新聞購読はやめよう。そして,情報はわたしたちが必要とするものだけを選んで確保しよう。そのためには,インターネットはまことに有力な武器となる。しかも,ほとんどリアル・タイムで最新の情報が流れている。また,古い情報も「検索」すれば,いくらでも確認することができる。新聞・テレビ離れが若者ほど早いというのも一理あるからだ。

またまた,このブログが終わらない。
そう,「節電実績」を日々,公表しよう。「天気予報」のとなりに「電気予報」として。

バタイユ『宗教の理論』読解・その10.「9.戦争の奔騰を人間─商品の連鎖へと還元すること」について

前節で考察したように,戦争が戦士の内在性を回帰させるかにみえて,じつはそうではない,戦士が利益を享受する仕組みなのだ,とバタイユは説く。つまり,戦士の力は「一部分は嘘をつく力」だというわけだ。そして,この「虚偽の性格」は重大な結果をもたらすことになる,と。では,なにが,どのように?か。

戦争は計り知れないほどの大きな荒廃をもたらすことになる。同時に,戦士の激烈な暴力性が内奥性を喚起するかのような錯覚に陥る。が,それはきわめて表面的なことであって,内実はそうではない。戦士は,利益につながる労働として戦争に従事するという意識を,じつに曖昧ではあるけれども,一応は排除している。しかしながら,結果として,戦争は負けた戦士たちを奴隷として捕縛してしまう。こうして捕縛された奴隷は,勝者たちの完全なる「事物」に仕立てあげられてしまうことになる。

こうして,「軍事秩序は,そのような奴隷を一個の商品」にしてしまう。戦士たちの勇気ある行動(とりわけ,戦いの勝利)は,現実秩序を支配的なものにする上で大きな貢献をする。この戦士たちの獲得する「聖なる威信」は,じつは深いところで「有用性」と結びついているのだが,それを押し隠すための装置として機能することになる。つまり,表面をとりつくろうための仕掛けにすぎない,とバタイユは主張する。そして,つぎのようなパンチの効いたことばを投げつける。

「戦士の高貴さとはちょうど淫売婦の微笑と同じような性質のものであって,その真実は利益追求にあるのである。」

ここまで読み進めてきたところで,わたしは立ち往生をしてしまう。なぜなら,スポーツの起源の一つは,この戦闘行為に求めることができるからである。しかも,スポーツ(あるいは,スポーツ的なるもの)が代理戦争的な役割をはたしてきたことも歴史的な事実である。もちろん,ヨーロッパ近代という時代をとおして,スポーツのもつ「激烈なる暴力」は極力排除・隠蔽されていく。しかし,それでもなおスポーツから「戦闘」のイメージは抜きがたく残る。しかも,戦闘にかかわる用語がスポーツ用語としていまも多用されている(いまは死語になってしまったかもしれないが,アタック,キル,など)。それよりもなによりも,わたしの思考のなかで渦巻いていることは,スポーツのヒーローたちに付与される「神的な次元」である。つまり,「神話」作用である。

いまでは,ほとんどの人がなんの意識もなく,ひたすら偉大なるスポーツマンたちの「勝利」を称賛し,絶賛する。その結果,スポーツは勝利至上主義の名のもとで完全に「事物化」し,「商品化」していくことになる。いまや,スポーツに関するありとあらゆるものが「金融化」への道を歩んでいるといっても過言ではない(そのことによる荒廃ぶりは,大相撲をみよ。もちろん,他のスポーツも大同小異である)。こうして,スポーツもスポーツマンも「有用性」という名のもとで,そのもの本来の内実を喪失しつつ,ますます「事物化」が進展していく。

そのゴールは「金融化」だ。そのうち,金メダリストの「精子」や「卵子」が商品として売買される時代がくるのではないか。あるいは,遺伝子が・・・。いやいや,金メダリスト同士が結婚したら,まだ,うまれる前の子供の「遺伝子」が前倒しで「金融化」されていたり・・・といったことも絵空事ではなくなってきている現実がある。

この節の投げかけている問題提起は,わたしにとっては重大そのものである。すなわち,スポーツの世界にいま起きていることが,つまり,わたしたちの視野のうちに入ってくる「表面的なことがら」とは裏腹に,その深いところの根っこでなにが起きているのか,いかなる「化け物」が待ち受けているのか,そこまで思考の触手をのばしていくことが不可避であり,不可欠となるからだ。わたしたちは,いま,いかなる「淫売婦の微笑」の前で目くらましに遇い,真実をごまかされているのだろうか。・・・・原発問題もふくめて。・・・・その根はすべてに通底している。

バタイユ『宗教の理論』読解・その9.「8.戦争──暴力が外部へと奔騰するという幻想」について

なにゆえにこの節があるのだろうか,としばし考えてみる。
そして,みえてくることがらは,戦争とはなにかという根源的な問いをみずからに発してこなかった,という自分自身への反省である。だから,この節でバタイユが言おうとしていることがらがあまり明確にみえてこない。

とまずは,いいわけをしつつ,いくつかの留保を残しながら,現段階での読解を提示しておくことにしよう。あくまでも議論の手がかりのために。

バタイユは,戦争と祝祭とは似たところがあるが,厳密にはまったく別のものだ,と主張しているように読める。その分岐点となるのは,どうやら「有用性」にあるようだ。

たとえば,こうだ。戦争も祝祭も「破壊的な激烈さ=暴力性」の発露という点では共通しているのだが,その主眼が「有用性」に向けられるのが戦争であり,「消尽」に向けられるのが祝祭だ,と。この裏側にある理論は,もはや断るまでもなく戦争は「人間性」の世界の産物であり,祝祭は「動物性」の世界への回帰願望からうまれてきたとするバタイユ仮説である。しかし,すでに,これまでの節で考察してきたように「祝祭」もまた,ある意味での「有用性」の概念のなかに取り込まれていく。だから,「祝祭」のなかで再現可能な「動物性」の世界は,あくまでも「有用性」の許容範囲内でのことである。

このことは,サッカーのワールド・カップなどの競技場とその周辺のことを想定してみるとよくわかるだろう。フーリガンの存在はその判断の分岐点となる。大会運営者の,あるいは,治安維持者の許容範囲内でのフーリガンの活動は見逃してもらえるが,その範囲を逸脱した場合には,ただちに制御の対象とされる。その基準はあってないようなものだ。それを決めるのは人間性(つまりは,理性)の支配論理である「有用性」である。だから,フーリガンの共有する「内奥性」の発露をどこまで認めるかという治安上のレベルの話になる。

サッカーの歴史を少し繙くだけで,じつは,「動物性」(「内奥性)の発露の場が少しずつ抑制され,排除されながら,ついには人間性の求める「有用性」の枠組みのなかに絡め捕られていくことになる。すなわち,サッカーの「事物化」である。これが近代スポーツ競技の成立過程の内実なのだ。この意味でも,バタイユの『宗教の理論』は,スポーツ史やスポーツ文化論,もちろん,スポーツ哲学を考える上で不可欠の文献である,ということになる。だから,このバタイユの視野をみずからの思考の領域に取り込むことによって,スポーツ事象のみえ方は一変する。そして,これまで抑圧,隠蔽されてきたものの闇の世界が浮き彫りになってくる。すなわち,スポーツ(および,スポーツ的なるもの)の根源にある運動欲求のよってきたる動物性(内奥性)の世界が,にわかにクローズアップされることになるからだ。そして,そこまでわたしたちの視野が広がったところで,はじめて,「生きものとしての人間」にとってスポーツとはなにか,という問いが成立する。わたしの意図するところはここにある。

この節で,もう二つだけ注目しておきたいことがある。
一つは,戦士が到達するかにみえる内在性はみせかけのものにすぎない,という指摘である。つまり,戦争行動は,戦士の「生」の価値を否定して,賭け(勝つか負けるかという戦争)に身を投げ出すことによって個人が解体され,供犠と同様に内在性に向うかにみえるけれども,時間の経過とともにその「生」に価値が付与されるようになる。なぜなら,「生き残った方の個人が,その賭への投入の結果を利益として享受する人」になってしまうからである。すなわち,「有用性」への転換以外のなにものでもなくなってしまうからだ,という。

もう一つは,栄光にかがやく戦士の力は,「一部分は嘘をつく力である」というバタイユの指摘である。戦争行動を支える戦士は,「個体─事物の彼方へと向うはず」なのに,栄光につつまれた個人性の方向に取り込まれていく。つまり,戦士は「個人性の否定という手段によって,個体のカテゴリーのうちに,神的な次元を導入する」。しかし,栄光につつまれた戦士は,一旦はみずからの「生」を否定して,つまり「持続を否定」したにもかかわらず,その結果としてえられた「栄光」を持続的なものにしようとする,「矛盾した意志」をもつことになるからだ,という。

かくして,バタイユはつぎのように言い捨てる。
「戦争は一つの大胆な突出であるけれども,そのからくりは最も見えすいたものである。」

この一文に追い打ちをかけるようにして,栄光の戦士が過大評価したり,「なにものでもないものにたぶらかされて自分を大したものだと空威張りするためには,力に劣らず単純さが──そして愚かしさが──必要であろう」と書き記している。

さて,ここでバタイユのいう「栄光の戦士」を,「栄光にかがやくトップ・アスリート」に置き換えてみると,そこにみえてくるものの異形性が浮かび上がってくるのだが,それははたして深読みのしすぎだろうか。


2011年6月15日水曜日

バタイユ『宗教の理論』読解・その8.「7.祝祭の限界づけ,祝祭が有用なものであるとする解釈および集団の定置」について

この前のブログでも少しだけ触れたように,祝祭は混沌をめざしているにもかかわらず,いつのまにか一定の整序のもとに絡め捕られることになる。この矛盾しつつ一定の調和に到達するところが,いかにも人間性の面目躍如たるところである,とバタイユは説いているように思う。その謎を解く鍵は有用性と共同性にあるようだ①。あるいは,明晰な意識と内奥性の意識とのせめぎ合いにあるようだ②。あるいはまた,動物性から抜け出してしまった結果として到達した人間性は,いくら頑張っても動物性の内奥にもどることはできない,というところにあるようだ③。

一応,①から③まで,三つの視点を提示したが,じつは,これらは個々に独立してある現象(つまり,祝祭)を引き起こすのではなくて,これらの三つの要素が渾然一体となって祝祭の整序ということが起こる。が,便宜上,それぞれの視点から,祝祭が整序に向うプロセスを考えてみることにしよう。

思考のプロセスとしては,③から逆に考えていった方がわかりやすいように思うので,それに従うことにしよう。人間性を身につけてしまった人間は,もはや,動物性へはもどることはできない。限りなく動物性に接近することはできても,内在性をとりもどし,内奥の世界に身をゆだねることはできない。なぜなら,人間性として獲得した「明晰な意識」がそれを拒むからだ。あるいは,内奥の世界を把握することができないからだ。これが②の問題である。内奥性の意識(このような言い方が適切であるかどうかは問題なしとはしないが,バタイユもテクストのなかでこの表現を用いているので,それに倣うことにする)とは,逆説的な言い方をすれば,意識の遠くおよばない晦冥の世界の意識ということだ。だとすれば,内奥の意識とは,曖昧模糊としてとらえどころのない,これといった実体のない意識のことだ。だから,人間性がわがものとした明晰な意識は,この内奥の意識の前で足踏みをするしかない。

この内奥性や内在性への希求を,人間性はどこまで行っても実現することはできない。この矛盾のうちに身をゆだねていくしか方法がない,そして,その疑似体験をする,その受け皿が祝祭ということだ。だから,祝祭とは,幾重にも錯綜した矛盾だらけの世界だということになる。したがって,その矛盾をなんとか合理化する必要に迫られるのが「明晰なる意識」を獲得した人間性の世界を生きる人間である。となると,そこに,なんらかの「操作」の手が伸びていく。バタイユはつぎのように述べている。

「だからついには祝祭それ自身が操作であるとみなされ,その効能は疑いの余地のないものとなる。生産する可能性,田畑を実らせ,家畜を繁殖させる可能性が祭礼に与えられるのである。そしてそうした祭礼の操作的形態のうち最も隷従的ではないものは,神的世界の怖るべき激烈さ=暴力性に対し一歩譲って,その火が燃える部分を分け前として与えてやり,それを防火地帯として他の部分を保全しようとする目的を持っている。」

こうして,祭礼は「有用性」と「共同性」への道を開いていく。もう少しだけ,バタイユの言説に耳を傾けてみよう。
「いずれにせよ積極的には豊穣を希求することにおいて,消極的には贖罪を願うことにおいて,まず事物として──つまり決定的な個体化と,持続を目ざした共同の作業という意味で,事物として──共同性が祝祭のうちに出現する。」
かくして,バタイユは決定的なつぎのような言説を投げつける。

「祝祭は内在性への真の回帰ではなくて,諸々の両立不能な必要性の間の和解,友情に溢れた,しかし不安に充ちた和解なのである。」

「宗教とは,その本質は失われた内奥性を再探求することにあるのだ。」



2011年6月14日火曜日

見田宗介さん,赤坂憲雄さん,そして,朝日新聞さん,ほんとうに大丈夫ですか?

しばらくは時事ネタも新聞ネタも,このブログで書くことを禁欲してバタイユに専念しようと思っていたが,今日の朝日新聞夕刊をみて,黙ってはいられなくなってしまった。恥ずかしながら私見を書かせていただく。

トップ・バッターは見田宗介さん。久しぶりに大きな顔写真入りの記事。「時の回廊」に登場。お顔のことは好みの問題もあるので触れないことにしておく。しかし,ずいぶんとお変わりになりましたね。こういうお顔になられるとは,ちょっと意外でした。わたしが最後にお会いしたのは,故竹内敏晴さんの追悼記念集会のときですから,もう3年が経過しているということでしょうか。そのときも,すでに,奇人にみえました。遅れて駆けつけて,いきなりスピーチをなさって,しかも「トンチンカン」な内容にびっくり仰天。これが,かつて,わたしが愛読した真木悠介の成れの果てか,と。その前に,朝日新聞は竹内敏晴さんの訃報に,見田宗介さんの追悼文を掲載した。それがまた,とんでもない文章だった。竹内さんがなにをどのようになさったのかということの実績についてほとんど触れることなく,10年も前の思い出話でお茶を濁してしまったのである。このときも唖然としてしまった。あまつさえ,竹内さんの没後1周年を記念して藤原書店が季刊誌『環』で竹内さんの小特集を組んだ。そのときもまた,見田宗介さんは,朝日新聞に書いた記事をそのまま転載してお茶を濁した。わたしはもう開いた口がふさがらなかった。この人はもう完全に終わった,と。
その見田宗介さんを,「時の回廊」に取り上げた。しかも,見田宗介「現代社会の理論」,幸福な社会 道筋示した,という見出しのもとで。聞き手・塩倉裕,とあるのでかれがインタビューをして書いたようだ。その意味ではこの記事を書いた記者もまた同罪だ。かつて輝かしい業績を残した学者といえども,いつまでも輝いているとは限らない。そして,1996年に書かれた『現代社会の理論』(岩波新書)は当時にあっては注目もされた。かく申すわたしも熱読したひとりだ。しかし,この新書もいま読むと,すでに色あせてしまって過去の遺物と化している。それを取り上げて,褒めあげ,もう一度,著者の考えを聞こうというのだ。しかも,この記事にみるべき内容はなにもない。第一,これを書いた記者の塩倉さん,おかしいとおもわなかったのでしょうか。そして,それがそのまま記事になる。これは,記者に問うべきか,朝日新聞社の文化欄担当のチーフに問うべきか。いずれにしても,この部局で一応の議論を経て,見田宗介さんをとりあげる「決定」をしているはずだ。だから,わたしは問う。朝日新聞社さん,ほんとうに大丈夫ですか?と。
見田宗介さんとは同世代なので,若いときから,わたしはすごい人がいるものだと尊敬していた。そして,見田さんの本は出版されるとすぐに飛びつくようにして読んできた。そして,大きな影響をうけた。また,それが大きな励みにもなった。だからこそ,残念でならないのだ。こういう無残な姿を目にすることに耐えられないのだ。中沢新一事件以来,見田さん,あなたはもはや時代の寵児ではなくなったのですから。そして,ほんとうの意味で「馬脚」を現してしまったのですから。それをまた承知で,朝日新聞社は「追っかけ」をする,このクレイジーな「ファン」心理がわからない。狂った者同士はなんの違和感もないのかもしれないが・・・・。

セカンド・バッターは,赤坂憲雄さん。なんでまたそろいもそろって,見田さんと同じ日の同じページで登場することになったのでしょう。これもなにかのご縁ということでしょうか。赤坂さんもまた,若いときから彗星のごとく現れて,一世を風靡した学者さんだ。わたしも「東北学」などという理論仮説がとても新鮮だったし,内容が面白かったので「追っかけ」をしたひとりだ。が,あるときから,おやっ?とおもうことがあった。以後,赤坂さんの書かれるものにも批判的に読むようになった。そして,今回のこの記事である。見田さんと違って,赤坂さんはご自分でこの記事を書いておられる。だから,もっと責任重大である。なにが?赤坂さんもまた「わたしは原発推進でも,反対でもない」と書かれた。東浩紀さんと同じだ。このごに及んで(つまり,3・11から3カ月が経過したいまに及んで),いまなお,「原発推進でも,反対でもない」と仰るその神経の太さにわたしは参る。それでいて平気なのだ。いったい,赤坂さん,あなたは,いまも日夜,交代しながら,どうにも制御できなくなってしまった原発と向き合い,放射能を浴びながら,なんとかしなければと命懸けで取り組んでいる「作業員」と呼ばれる人たちの決意と努力を,平然と覚めた目でみることができるんですね。

ほんとうに,ほんとうに,朝日新聞社さん,大丈夫ですか。
もう,これ以上は書かないつもりですが,それにしても,最近の記事のまとめ方は信じられないほどの狂い方をしているように,わたしには見えるのですが・・・。「産官学の癒着が・・・」と朝日新聞が批判的に書く資格があるのだろうか・・・と。朝日新聞さん,あなたもまた同罪ではないですか。自分のことは棚にあげて・・・・。無責任。

断わっておきますが,わたしは50年にわたる朝日新聞の愛読者です。その歴史的変遷(報道内容や報道の姿勢)もともに歩いてきました。が,ここ10年くらいの朝日は驚くべき無節操ぶりです。とくに,3・11以後はみるに耐えられない記事が多くなってきました。もう,とっくのむかしに購読を止めればいいのに,人間は惰性で,慣れ親しんだ新聞から離れられないものなんですね。今月で終わりにしよう,今月こそ・・・と思いつつ,いまだに購読しています。いよいよ,購読打ち切りの時期が迫ってきたなぁ,と思いはじめています。それが朝日新聞のためだ,とおもうようになったからです。

こういう長年の購読者の期待に応えられるような記事を書いてほしいのです。かつての朝日の栄光はどこに行ってしまったのでしょうか。是々非々の歯切れのいい記事が,なぜ,書けなくなってしまったのでしょうか。そういう期待と失望とがないまぜになって,いま,このブログを書いています。猛省を信じつつ・・・・・。

バタイユ『宗教の理論』読解・その7.「6.祝祭」について

この読解シリーズのクライマックスである。
すなわち,「祝祭」をバタイユはどのように考えていたのか,の読解である。当然のことながら,バタイユの「祝祭」解釈は,これまた独特のものである。少なくとも,わたしにとっては眼からウロコの経験であった。そして,スポーツの本質は「(抑圧されてしまった)内在性への回帰願望の表出である」とする,わたしの仮説に確たる信を与えてくれた節でもある。

しかも,この節でのバタイユの文章は喜々とした躍動感にあふれている。だから,読んでいて快感である。気持ちが落ち込んだら,ここを読むといい。少なくとも,わたしにとっての特効薬である。

この節は,大きく三つのパラグラフで成り立っている。
第一のパラグラフは,祝祭なるものの特質の全体像を,バタイユはじつに美しいことばで歌いあげていく。しかも,このパラグラフの冒頭の一文で,この節でバタイユが言おうとしている意図が明示されている。引いておこう。
「聖なるものはこのように生命の惜し気もない沸騰であるが,事物たちの秩序は持続するためにそれを拘束し,脈絡づけようとする。」
「聖なるもの」は,つまり,内在性は,まるで太陽が惜し気もなく燦々と燃えつづけるように「生命の惜し気もない沸騰である」。しかし,「事物たちの秩序」は,つまり,人間が生きる世俗の現実秩序は,(祝祭を)「持続するためにそれを拘束し,脈絡づけようとする」。すなわち,祝祭での沸騰をあるところでコントロールすることによって,この祝祭の持続が可能となる,とバタイユは説くのである。祝祭のすべてを内在性の沸騰にゆだねてしまうと,それはもはや無秩序状態になってしまって,その祝祭を「持続」することは不可能になってしまうので,そこに若干の抑制がかかることによって祝祭が成立するのだ,とバタイユは説く。ここで暗示されていることは,ここに「人間性」の問題を考えるエキスがある,ということだ。つまり,内在性と事物のバランスのとり方の問題として。しかも,この「聖なるもの」(=内在性)と「事物」(人間性)の葛藤に,わたしは「スポーツ的なるもの」の原初形態の出現をみる。

第二のパラグラフでは,さらに,この問題に深く踏み込んでいく。
たとえば,供犠をきっかけにして一気に「聖なるもの」の炎が燃え上がる。しかし,ここでバタイユは驚くべきことを指摘する。この「聖なるもの」の燃焼には限界がない,と言いつつ「そういう発火状態に適合しているのは人間の生であって,動物性ではない」と指摘する。その上で「内在性に対立する抵抗こそが,その内在性に再び噴出するよう命ずるのである」という。言ってしまえば,発火状態を準備しているのは「事物」を生きる人間の「生」だというのである。その事物(理性)が内在性を抑圧するからこそ,その内在性がより噴出しやすくなるのだ,と。この動物性と人間性の相補関係をどのようなバランスで保っていけばいいのか,これは生きものとしての宿命を生きる人間の永遠の課題なのかもしれない。だから,バタイユはつぎのように述べてこのパラグラフを閉じる。
「・・・・一個の事物であることなしには人間として存在することが不可能であり,また動物的な睡りに回帰することなしには事物の限界を逃れることが不可能であるという事態が常に提起し続ける問題は,祝祭という形によって制限つきの解決を得るのである。」
つまり,両者のバランスをとっているのは「祝祭」という文化装置なのだ,と。

さいごの第三のパラグラフは圧巻である。
祝祭は,供犠をきっかけにして燃焼状態へと開かれていくのだが,その燃焼は「逆方向に働くある種の知恵」によってコントロールされる。
「祝祭の内に炸裂するのは破壊への熱望であるけれども,保守的に作用する知恵がそれを整序し,制限するのである。」
この文章はそのまま,近代スポーツの成立過程を説明するためのテーゼとして用いても,なんの矛盾もない。そして,ついには,わたしのいうふ仮説のクライマックスを迎える。
「一方では,消尽のあらゆる可能性がとり集められる。舞踊(ダンス),詩,音楽そしてさまざまな技芸が繰り拡げられるおかげで,祝祭は目を奪う劇的な昂揚と奔騰の場となり,また時間となる。」
ここでいうところの「さまざまな技芸」のなかに,「スポーツ」の原初形態がふくまれることは,あえて断わるまでもないだろう。しかも,それは純粋なる「消尽」であることも,ここでしっかりと確認しておくべきだろう。
われわれのよく知っている古代オリンピアの祭典競技もまた立派な「消尽」だったのである。それは,まさに,このような祝祭空間のなかで展開されたものであり,そのような「時間」を保証したものである。もちろん,ここでバタイユが述べている祝祭に比べれば,はるかに時代が下ってからの祝祭であるのだが・・・。

ここで再度,確認しておくべきことは,以下のことであろう。
動物性の世界から人間性の世界に<横滑り>してしまったことによって人間は内在性を抑圧した事物と化してしまう。しかし,事物は現実秩序の持続が義務づけられているために,それをかき乱す「死」に怯え,「不安」に陥る。この不安解消のために供犠が執り行われることになる。事物をもう一度,内在性の世界に送り返すために。しかし,この供犠を契機にして,事物のなかに抑圧されていた内奥性が一気に解き放たれ,奔騰する。こうして祝祭の時空間が生まれる。なにものにも制約をうけない酒池肉林の混沌の世界が表出する。しかし,その一方で,この混沌の世界と和合しえない事物の意識が,密かにこれをコントロールすることになる。そうして,あるバランスがとれたところで祝祭の時空間が承認され,持続することになる。

言ってみれば,動物性と人間性のせめぎ合い,これが生きものである人間の避けてとおることのできない宿命でもあるのだ。祝祭はその両者の折り合いをつけるための文化装置として誕生した。スポーツという文化装置もまた,まったく同じ土壌のなかから立ち現れる・・・・とわたしは考える。そして,この地平から,いま一度,「スポーツとはなにか」という根源的な問いを発すること,そして,それに応答する「スポーツ学」「スポーツ史」「スポーツ文化論」を立ち上げること,これが,いま,わたしの考えていることの核心にある。

このことの「是非」についての議論が,こんどの18日(土)の6月東京例会で,できれば幸いである。


バタイユ『宗教の理論』読解・その6.「5.個体,不安,供犠」について

バタイユは,「内奥性を表現するのに,言説(ディスクール)に依拠したやり方で行うことは不可能である」と断り,その理由をいくつもあげて説明した上で,なおかつ,つぎのように言う。
「それにもかかわらず私は分節化という行為に頼ることになろう。」
つまり,内奥性をことばで説明することは不可能であるが,それでもことばで説明するしか方法はない,というのである。ということは,内奥性を議論することには限界がある,ということだ。それを承知で,それを前提として,これからさきの議論をしようとバタイユは提案する。

このことの隠喩をまず読み解いておこう。バタイユがいうところの事物によって支えられている現実秩序とは,換言すれば,ヨーロッパ近代の法秩序ということだ。この法秩序はことばで表現できる範囲での秩序体系のことであり,ことばに絡め張られた秩序体系のことである。しかしながら,この秩序体系のなかにあっては,内奥性がふくみもつ激烈な暴力や破壊はすべて「禁止」されている。つまり,生きものとしての存在である人間のうち,動物性は極端に抑圧され,排除されていて,これらを人間性(ヘーゲル的にいえば理性)によってコントロールすることが義務づけられる。これが,事物化してしまった人間の生き方というわけだ。

当然といえばあまりに当然なことなので,議論する前にこのことをとりたてて断ったりは,ふつうわたしたちはしない。しかし,バタイユはあえてこの問題を取り上げ,重視する。なぜなら,ことばで説明できないことを説明するという矛盾のうちに「内奥性」の問題が潜んでいるからだ。つまり,内奥性について,ことばでどこまで語ったとしても「本質的なもの」は抜け落ちてしまうからだ。

このことはスポーツについて語るときも同じだ。スポーツの「本質的なもの」はほとんどなにも語ることはできない。たとえば,わたしの仮説にもとづいていえば,「スポーツは内在性(動物性)への回帰願望の表出である」と言ったところで,なにが,どこまで理解してもらえるのかはまったくの未知数である。そして,これをさらに踏み込んで説明しようとすれば,そのこと自体は可能であっても,質的にどこまで可能であるかと問えば,それは限界があるということだ。つまり,わたしの考えるような「内在性への回帰願望」としてのスポーツの本質を語ることは,最終的には不可能なのだ。

こうした前提に立った上で,バタイユは「個体,不安,供犠」の関係について語る。
バタイユがここでいうところの「個体」とは,内在性から切り離され,ばらばらにされてしまった事物としての人間のことである。そして,この個体を現実秩序のもとで「持続」させなくてはならないという宿命に気づいたとき,人間は「不安」にかられることになる。つまり,事物として生きることの不安,すなわち,事物としての持続を不可能にする死に対する不安である。しかも,事物である以上,内奥性を完全に封じ込めた上で現実秩序のもとで生きていかなくてはならない。(内奥性・内在性のもとにあっては死はなにも恐れるべきものではない,ということは前の節で検討したとおりである)

こうして,バタイユは,つぎのような文章を置いてこの節を閉じる。あまりの名文なので,そのまま引用させていただく。
「人間は,事物たちの秩序と両立せず,和合しない内奥次元を怖れるのである。そうでなかったとしたら,供犠は存在しなかったであろう。そしてまた人間性もありえなかったであろう。内奥次元が,個体の破壊のうちに,そしてその聖なる不安のうちに啓示されることもないであろう。内奥性は事物と隔たりのない同一平面にあるのではなく,むしろ事物がその本性において(つまりそれを構成する諸々の企図において)脅かされる状態を通じてこそ,戦慄する個体のうちで,神聖な,聖なるものであり,不安という光背を帯びているのである。」

「宗教的なるもの」の出現する現場を,このような言説で解き明かした文章を,わたしは知らない。そして,同時に,これぞ「スポーツ的なるもの」の成立する根拠ではないか,とわたしは直観する。まさに,内奥性・内在性から引き離されてしまった個体,すなわち,動物性から<横滑り>してしまった人間性,つまり,事物と化してしまった人間が,その不安のうちにあって,内奥性・内在性への回帰願望が立ち上がるのはごく自然ななりゆきといってよいからだ。

では,それはどのようにして可能なのか。次節の「6.祝祭」にその鍵が秘められている。

2011年6月13日月曜日

バタイユ『宗教の理論』読解・その5.「4.供犠という消費」について

ここでバタイユは再度,「供犠」とはなにか,と問いかけその確認を行っている。
供犠というとどうしても「死」とセットで考えがちであるが,けしてそうではないのだ,と強調する。そして,供犠の本質は「放棄すること」であり,「贈与すること」であるという。

すなわち,供犠とは贈与である,と。
ここで想起されるのはマルセル・モースの『贈与論』。以前にも触れたように,バタイユの視野のなかには当然のごとくマルセル・モースの「贈与論」が入っている。しかも,きわめて大きな影響を受けている。そのことは,このテクストのP.158.にも明らかである。そこにはつぎのように記されている。

マルセル・モース『供犠の性質および機能に関する試論』
マルセル・モース『贈与論』
前者は,古代の供犠に関する歴史的な基本資料をみごとに集成した労作である。後者はそもそもエコノミーというものを,生産活動の超過を破壊する諸々の形態と結びついたものとして理解する全ての立場の基本となるものである。

となると,こんどはマルセル・モースの『贈与論』の内容を確認しなければならなくなる。が,この問題についてもすでにこのブログで何回かに分けて論じているので,ぜひ,ご確認いただきたい。わたし自身は,バタイユの「消尽」という概念も,マルセル・モースの『贈与論』からもかなり大きな影響をうけていると考えている。とりわけ,ポトラッチのシステムは,供犠そのものと言っても過言ではなかろう。

さて,話をもとにもどそう。
供犠にとって重要なことは,と断ってバタイユはつぎのように言う。
「重要なのは持続性のある秩序から離れて,つまりそこでは諸々の資源の消尽が全て持続する必要性に服従しているような秩序から離脱して,無条件な消尽の激烈さ=暴力性へと移行することである。」
そして,さらに,つぎのようにつづける。
「言いかえれば現実的な事物たちの世界の外へ,その現実性が長期間にわたる操作=作業に由来するのであって,けっして瞬間にあるのではないような世界の外へ出ること──創り出し,保存する世界(持続性のある現実の利益となるように創り出す世界)から外へ出ることが重要なのである。供犠とは将来を目ざして行われる生産のアンチ・テーゼであって,瞬間そのものにしか関心を持たぬ消尽である。」

こういうバタイユの文章をくり返し読みながら想像力をたくましくしていると,わたしの頭のなかは「これはスポーツのことを言っているのではないか」,あるいは「この運動はまさにスポーツと同じではないか」という考えでいっぱいになってしまう。つまり,供犠のメカニズムや機能は,そっくりそのままスポーツに当てはまってしまうのではないか,と。ただし,この点についてはもう少し厳密な論考が必要なので,ここではとりあえず頭出しということにしておこう。

さいごに,決定的なバタイユの文章を引いておこう。
「犠牲として捧げるということは殺すことではなく,放棄する(アバンドネ)ことであり,贈与する(ドネ)ことである。」

バタイユ『宗教の理論』読解・その4.「3.死と供犠の通常行われる連合」について.

この節では,バタイユの真骨頂をみることができる。それは,「死」についての思考の地平を限りなく広げてくれるからだ。そして,きわめて通俗的な言い方をすれば,バタイユ個人はおそらくみずからの死を恐れてはいなかっただろう,ということだ。だからこそ,バタイユは「無神学」(大全)を構想することができたのだ,と。さらに,もう一歩踏み込んでおけば,内在性を生きるということは神を生きることであって,他者としての「神」は不在だということになろう。「神なきエクスターズ」を語ったかれの『内的体験』は,そのなによりの証左である。

この節でバタイユが述べていることを,わかりやすく整理しておくと,動物性の世界での「死」と人間性の世界での「死」とは,まったく別物だということだ。動物性(内在性)の世界にあっては,「死」はたんなる「消尽」であって,ほとんどなんの意味ももたない。しかし,人間性(事物・有用性)の世界にあっては,「死」は事物(有用性)の「持続」の不可能(断絶)を意味するので,一大事となる。

したがって,供犠と死とがセットになるのは,人間性の世界からの見方・考え方であって,内在性を生きる動物性の世界にあってはなんの意味もない,というわけだ。表題の「死と供犠の通常行われる連合」とは,このあたりのことを論じたいがためのものである。だから,この節の冒頭でバタイユはつぎのように語りはじめる。

「供犠には実に子供っぽい無意識状態があるので,生贄を死へと至らしめることがその動物に加えられていた侮辱を,つまり惨めにも一個の事物の状態まで還元されていた動物の被っていた侮辱をはらしてやる一つの様式として現れるほどである。しかし実のところを言うと,殺害することが文字通りに必要だというわけではないのである。それでも死という現実秩序の最大の否定が,神話的秩序の出現を促すうえで最も好都合なのだ。また他方では,供犠における殺害は生と死の苦悩に充ちた二律背反をある一つの転倒によって解消するのである。実際内在性においては,死はなにものでもない。が,しかし死がなにものでもないということから,ある一つの存在はけっして真には死から分離していないのである。死が意味を持たないということ,死と生の間に差異がないということ,死に対する怖れもなくそれに対抗する防御もないということ,こうした事実からして死はなんらの抵抗をひき起こすことなく全てに侵入しているのである。持続が価値を持つことはない。」

この導入部分がクリアできれば,あとは,バタイユ特有のごてごてとした不可解な議論がつづくものの,なんとかその意味するところを追っていくことはできるだろう。その主題は,現実秩序を維持していく上で(つまり,事物の世界を持続させていく上で),内奥性の世界が露呈することはきわめて危険なので,なんとしてもそれを封じ込めなくてはならない,それが人間性の世界の論理だ,という点を強調することにある。すなわち,「呪われた部分」を隠蔽・排除する世界,それが人間性の世界だというわけだ。

しかし,そこに根源的な矛盾を抱え込んでしまったがために,人間性の世界にはこの「呪われた部分」が,まるで「亡霊」のように(デリダ),忘れたころに突如として出現することになる。この葛藤はいまもつづいている。ここに「宗教」が成立する根拠がある。

もうひとこと触れておけば,この「呪われた部分」を解消するための文化装置の一つとして「祝祭」がある。その祝祭のなかから「スポーツ的なるもの」も出現することになる。それも「有用性」に絡め捕られるかたちで。この点については,のちの節で,踏み込んで考えてみることにしよう。供犠とスポーツがセットになる,ということも。あるいは,スポーツは供犠である,と。




2011年6月12日日曜日

バタイユ『宗教の理論』読解・その3.「2.神的世界の非現実性」について

「神的世界」のイメージをバタイユがどのように描いているのか,ここはいささか慎重にならざるをえない。たとえば,前節の最後のところでバタイユは,供犠執行者の呟きとして,つぎのように語らせている。

「内奥においては,この私は神々の至高な世界に,神話が示すような至高性の世界に属している。すなわち激烈な力が荒れ狂う,利害や打算を離れた雅量の世界に属している。ちょうど私の妻が諸々の私の欲望に属しているのと同じように。生贄の獣よ,私はおまえをそのいる世界から引き戻す。つまりおまえが事物の状態に還元された形でしか存在できず,だからおまえの内奥の本性にとっては外的な意味しか持てないような世界からおまえを引き戻すのだ。そして私はおまえを神的世界との親密な交わりへと,あるいは全て存在するものの深い内在性との親密な交わりへと立ち返らせる。」

供犠執行者の「内奥」は「神々の至高な世界」に,あるいは,「至高性の世界」に属しているという。ということは,生贄の獣もまた,その内奥においては供犠執行者と同じ「神々の至高の世界」や「至高性の世界」に属していることになる。だから,生贄の動物を事物の状態から内奥の世界に引き戻すと,供犠執行者はいう。そして,「神的世界との親密な交わり」へと,あるいは「深い内在性との親密な交わり」へと立ち返らせる,という。ということは,「内奥性の世界」も,「神々の至高の世界」も,「至高性の世界」も,「深い内在性の世界」も,そして「神的世界」も,すべて一連の「世界」とバタイユはとらえているようだ。つまり,そこには確たる境界線はなく,みんな自他の区別のない,曖昧模糊とした世界としてイメージされていることがわかる。

だとすれば,神的世界が「非現実」的なものであることは,あらためて断るまでもないことだ。しかし,なにゆえに,ここで「神的世界の非現実性」という節を立てて,このことを論じなくてはならないのか。その意図は,つぎのようなところにある,と類推するのだが・・・。つまり,供犠は事物としての「現実」を否定することによって成立するものなのだが,生贄となる動物の「客観的な現実」というものがきわめて曖昧なものでしかない(確認のしようがない)。だから,「供犠にまつわる領界には,なにやら子供っぽい無動機性という様相がつきまとう」とバタイユはいう。そして,事物が破壊されて「内在的な内奥性へと回帰することは,当然の帰結として意識が朦朧と曇ることを含んでいる」という。

この「子供っぽい無動機性」と「意識が朦朧と曇ること」とが,「内在的な内奥性へと回帰」する場合には不可欠だ,ということが確認できれば,わたしとしては満足である。

なぜなら,「スポーツ的なるもの」の発現する現場がこのようなところにあった,と確認することができたことになるからである。


バタイユ『宗教の理論』読解・その2.「1.供犠が応じている必然性,供犠の原理」について

供犠とはいったいどういうことなのか。なにゆえに,神さまにいけにえを捧げなくてはならないのか。なにゆえに,仏さまに初物(農産物)を供える習慣があるのだろうか(わたしは禅寺で育ったので,こどものころから疑問に思っていた)。

周囲の大人たちに聞いてみると,神さまや仏さまに感謝するためだ,という。こういう自然の恵をいただいて,わたしたちはいまも元気に生活しています,という報告とこれからもよろしくというご挨拶だ,と。つまり,感謝と予祝の意味がある,とのちに書物で知ることになる。しかし,それでもまだなんとなく不明瞭だった。

古代ギリシアの祭典競技の一つ,オリンピア祭でも,生きた牛をいけにえとして捧げていた。ゼウス神殿の前で牛の首を刎ね,その血を祭壇のあちこちに塗りつけ,胴体を解体して,みんなで焼いて食べてしまう。これは祭典の公式行事としても行われたし,選手たちが必勝祈願を兼ねて牛をいけにえにして捧げたりもしている。その数たるやたいへんなものだった,とものの本に書いてある。神さまは,洋の東西を問わず,よほど「いけにえ」がお好きなのだ,とずっと考えてきた。

しかし,バタイユはそうは言わない。しかも,驚くべき仮説を提示する。わたしは天地がひっくり返るほど驚いた。しかも,瞬時にして納得してしまったのである。眼からウロコであった。こんにちのわたしたちの思考のベクトルとはまったくの正反対なのである。こういう世界の見方,認識の仕方があったのか,と感極まってしまった。
この節の冒頭でバタイユはつぎのように書き出している。
「収穫の初物を供犠として献上したり,一頭の家畜を供犠に捧げたりするのは,事物たちの世界から植物や動物を引き戻すためであり,そして同時に農耕者や牧畜者を引き戻すためである。」

この文章を理解するためには,この「Ⅲ.」にいたる「Ⅰ.」と「Ⅱ.」の章でのバタイユの議論が前提となっている。この引用文を読み解くためのキーは「事物たちの世界から植物や動物を引き戻すため」というところにある。もっと絞れば,「事物たちの世界」ということになろう。では,この「事物たちの世界」とはどういうことなのか。

人類が動物性の世界から抜け出してきて人間性の世界を構築し,植物を栽培し,動物を飼育するようになる。このとき,人間は植物の本来のあり方を否定して「栽培」をはじめる。つまり,人間の意のままになる「所有物」として取り扱うようになる。このことを,バタイユは,植物が「事物」になる,と表現する。同じように,動物もまた「飼育」されるようになると,それは人間の「所有物」となり「事物」となる。つまり,植物や動物が,それぞれ本来の「生」をまっとうするのではなくて,人間の都合のいいように利用される「事物」として囲いこまれてしまう,というわけだ。もっと言ってしまえば,栽培植物も飼育動物も,みんな人間に従属する「事物」となる,ということだ。

のみならず,人間もまた,植物や動物とともに内在性を生きていたのに,そられを「事物」にしてしまったために,みずからもまた内在性を生きることができなくなり,「事物」と化してしまうことになる。こうして,人間性の世界が構築される。こうして,栽培植物や飼育動物は人間の手によって本来の「生きもの」の世界(動物性の世界)から引き離されてしまう。同時に,人間もまた本来の「生きもの」の世界から引き離されてしまう。

その結果,なにが起こったか。ここが,この『宗教の理論』がめざす核の部分になる。事物になってしまった人間は,折あるごとに「内在性」への回帰願望が頭をもたげることになる。つまり,生物としての「生きもの」である人間は,当然のことながら,事物としてのみ生きることに満足できなくなる。そのことは,栽培植物も飼育動物も同じであろうと人間は推測する。だとしたら,定期的に栽培植物や飼育動物を「内在性」(動物性)の世界に引き戻してやる必要がある。同時に,農耕者も牧畜者も同じように「内在性」(動物性)の世界に引き戻すことが必要となる。そのための儀礼が「供犠」だというのである。

「動物性」と「人間性」の端境期,あるいは,境界領域こそ,宗教が立ち現れるハイマートなのだ。その仲立ちをする儀礼が「供犠」だというわけだ。このように「供犠」がはじまる「必然性」,あるいは,「供犠」の「原理」が理解できたときに,わたしのなかの根源的な疑問が一気に瓦解した。古代オリンピアの祭典競技もまた,「動物性」への回帰願望の表出として編み出された文化装置だったのだ。

だとすれば,わたしの大きな仮説の一つである「聖なるもの」(宗教的なるもの)と「スポーツ的なるもの」とは「同根」であった,という根拠の一つをここに求めることができる。

2011年6月11日土曜日

ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)読解。その1.

18日(土)を一週間前にして,そのための助走を兼ねて,いよいよ『宗教の理論』の具体的な読解にとりかかることにしよう。

このテクストについては,すでに,2回ほど読解を試みていて,このブログでも公開している。詳しくは検索して確認していただきたいが,1回目は,第一部基本的資料の「Ⅰ.動物性」の部分を,2回目は,「Ⅱ.人間性と俗なる世界の形成」をとりあげ,それぞれ数回にわたって連載したと記憶している(最近は,すぐに過去のことを忘れてしまうので,きわめて怪しいのであるが)。

したがって,今回はその3回目ということで「Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則」がその対象となる。スポーツ史やスポーツ文化論的立場から読むと,この「Ⅲ.」が一番,刺激的な面白いし,さまざまな研究上のアイディアがつぎつぎに浮かんでくるところでもある。9日のブログにも書いたように,「聖なるもの」と「スポーツ的なるもの」とは「同根」ではないか,とわたしが仮説を立てる根拠もこの部分にある。そして,「Ⅰ.」と「Ⅱ.」で論じられた動物性と人間性とに引き裂かれた存在としての原初の人間の苦悩の表出として「供犠」や「祝祭」が,鮮やかに描きだされている。ここでは,少なくともこれまでわたしたちが教えられ,あるいは,本で読んで学んできた「供犠」や「祝祭」とはまるで異なる論理展開が待ち受けている。あるいは,まったく正反対の論理展開,と言ってよいだろう。眼からウロコが落ちるような経験をわたしは何回もした。

それこそがバタイユのバタイユたる所以であって,こういう斬新な視点の提示こそが,かれをして『宗教の理論』を書かしめたというべきであろう。手短に,図式的に説明しておくと,以下のようになろうか。ヘーゲルが「絶対知」を人間の到達するゴールとして設定したのにたいして,バタイユは「非-知」を設定する。つまり,ヘーゲルは動物性から離脱して,自己意識を獲得し,さらに理性をわがものとし,共同体の精神を構築し,宗教を超克して絶対知に到達する,という直線的な人間の進歩発展を思い描いたのにたいして,バタイユは,その正反対を主張したと考えてよいだろう。バタイユは,動物性から人間性へと<横滑り>したことに,ある種の人間の原罪をみる。なぜなら,人間がいくら頑張って動物性から抜け出そうとしても,それは人間が生物であるかぎり不可能であって,どんなに遠くまで動物性から離れたつもりでいても,最終的には「生死」「生殖」という「生きもの」としての動物性の枠組みのなかに取り込まれてしまうことになるからだ。そして,人間が安穏に「生」を享受できるとしたら,それは「非-知」のレベルではないか,と問題を投げかける。

このあたりのことは,やや短絡的に聴こえるかもしれないが,道元が『正法眼蔵』のなかで説く「無」の教えや,自然との一体化をめざす正覚の世界につながっていく。西田幾多郎の説く「純粋経験」の世界もまた,バタイユのいう「非-知」の世界ときわめて近似している,とわたしは受け止めている。しかも,その境地は日本の武術の世界にも通底する世界でもある。

あまり話が逸れないうちに話をもとにもどすことにしよう。
このようなバタイユの基本的な考え方は,このテクストの「緒言」の終わりのあたりで,つぎのように述べていることからも確認することができる。引用しておこう。

哲学というイデーそのものに,ある一つの原初的な問いが,すなわちいかにして人間的な情況から外へ出るのかという問いが結ばれている。いかにして,必要性による行動に服従している思考,有用な区切りを立てるよう定められている反省的思考から,自己意識へと,すなわち本質なき──が,意識的な──存在の意識へと横滑りしていくのか,という問いが結ばれているのである。(P.16)

ここには,まぎれもないヘーゲルの論理を逆手にとったバタイユの戦略がみごとに提示されている。『精神現象学』の前半を読んだ人にはすぐにピンとくる,バタイユの挑発でもある。しかも,この「緒言」の最後はつぎのような文章で結ばれている。

不可避なものとしてある未完了は,一つの運動である応えを,──たとえそれがある意味で応えの不在であるにせよ,運動である応えを──いかなる割合においても鈍らせたり,緩慢にしたりすることはない。それどころか未完了は,その応えに不可能なことの叫びという真実を授けるのである。この『宗教の理論』が衝こうとする背理(パラドックス),すなわち個人を「事物」にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである。(P.16~17.)

バタイユかなにゆえに「緒言」のさいごにこの一文を置いたかは多言を要すまい。
このことをつねに念頭に置きながら,このテクストを読み進めていくと,面白いほどバタイユの仕掛けたロジックが透けてみえてくる。
とりあえず,今日は「Ⅲ.供犠,祝祭および聖なる世界の諸原則」への導入まで。



お詫び。なぜ,いま,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』なのか,を推敲しました。

6月9日に書いたブログ「なぜ,いま,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』なのか」の文章を読み直してみて(滅多にこういうことはしないのですが),あまりのひどさに呆然。自分でもあきれはててしまいました。よくもまあ,こんな文章を書いて,それも書きっぱなしで,読み返しもしないでそのまま「公開」してしまうとは・・・・。いやはや,申し訳ありません。

そこで,こんどは気持を集中させて,きちんと推敲してみました。こんどはいくらか読めるものになったのではないか,とみずからを慰めています。というわけで,ぜひ,もう一度,読んでみてください。内容そのものは,これまでのわたしの勉強の集大成のようなものになっています。こんどの18日(土)に向けての,わたしなりの「思い入れ」は理解していただけるのではないかと思います。

それにしても,気持ばかりがはやってしまって,飛躍や論理矛盾がいっぱいあって,まさに素人の文章になってしまいました。読んでいただくにはあまりに恥ずかしいものでした。重ねてお詫びいたします。

とりあえず,お詫びと訂正・修正のお知らせまで。

2011年6月9日木曜日

なぜ,いま,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』なのか。

今月の18日(土)の午後に,青山学院大学の教室をお借りして,西谷修さんと一緒に『宗教の理論』(ジョルジュ・バタイユ著,湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)の読解を計画している(詳しくは,わたしのHPを参照のこと)。当然のことながら,なぜ,いま,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』なのか,という問い合わせがわたしのところにやってくる。

そういうことも折り込み済みで,わたしはこの企画を立てた。いまこそ,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をしっかりと読み込むべきときだ,と。あるいは,ようやくバタイユの『宗教の理論』が受け入れられる情況が,あるいは,時代がやってきた,と。しかも,「3・11」という未曽有の災害を契機にして一気に『宗教の理論』でバタイユが主張していることを理解できる「情況」ができあがった,とわたしは考えている。つまり,ものの見方・考え方を逆転させることなしに,わたしたちは「3・11」以後を生きることはできない,ということに気づいたからだ。

わたしは,かなり早い時期から,このテクストがもっと世の中でまじめに読まれるべきだ,と考えてきた。世間には,バタイユという名を口にしただけで,鼻でせせら笑う「哲学者」は少なくない。わたしは,そういう「哲学者」の何人かに,軽くあしらわれた苦い経験がある。こちらは大まじめにバタイユの話を切り出しているのに,「まあ,あの人も変わった人ですからねぇ」と取り合ってくれない。ならば,ニーチェはどうなんだ,と切り込む。すると,「この人も,ちょっと主流からははずれてますからねぇ」と。これが哲学の主流といわれる「形而上学」にどっぷりと身を浸している哲学者たちの言い分だ。そこから一歩も外に出ようとはしない。なぜなら,「理性」という名の「砦」に囲まれた安住の地であるからだ。そこには人間の「命」という視点が欠落している。つまり,生きものとしての人間の存在をトータルに考える視点が欠けている。

「バタイユは変わった人だ・・・」と?そんなことは百も承知している。その上で,バタイユに挑んでいるというのに・・・・。

バタイユ自身はもっともっと意図的・計画的に自分の思想・哲学を展開した。主流といわれるヘーゲル哲学,とりわけ,『精神現象学』を徹底的に読み込んだ上で,それをいかにして超克していくべきか,と考えた。いな,ヘーゲルを読み込むことによって,みずからの思想・哲学の位置づけが可能となったとさえバタイユは述べている。その結果として,ヘーゲル哲学の「絶対知」の対極に位置づく「非-知」(non savoir)をキー・コンセプトに設定して,まったく新たな哲学体系の構築を試みる。つまり,ヘーゲルのいう「知」(理性,絶対知)を真っ向から否定するところから出発したのだから。このことが,のちの哲学者たちの多くの誤解を招いたようだ。しかし,バタイユの書き残した著作を丁寧に読みこんでいくと,そこには恐ろしいほどのスケールの大きな思想・哲学上の問題提起が仕掛けられていることに気づく。いわゆる「無神学大全」の構想である。

ここで断わるまでもなく,ヘーゲル哲学がヨーロッパ近代の論理を構築していく上できわめて大きな役割をはたしたことは周知のとおりである。つまり,ヨーロッパ近代の合理主義的な考え方の基本はヘーゲルに求めることができる。とりわけ,科学的合理主義はヘーゲルのいう「絶対知」への過剰な信頼なしには語れないだろう。つまり,現代世界を支配しつつある「科学」神話」の根源にあるものの見方・考え方の根底にあるものは,ヘーゲル哲学にその端を発しているといっても過言ではない。この「科学」神話」の一端が,いま,もろくも崩壊しはじめている。

「3・11」以前までは,こうした「科学」神話,すなわち「原発安全」神話が大手を振ってまかりとおっていた(マダラメ君を筆頭に)。しかし,「3・11」を通過したこんにちでは,すでに,そんな「原発安全」神話は間違っていたことを,世界中の多くの人びとが「学んで知った」(マダラメ君もとうとう「間違っていた」と国会で答弁している)。わたしたちは,「3・11」を通過することによって,「科学」一辺倒のものの見方・考え方の悪夢からようやく「目覚めた」というべきであろう。では,この「科学」神話に修正を加えるとしたら,どこからはじめればいいのか。

いま,話をわかりやすくするために「原発安全」神話を例にとり出したが,それは,市場原理を中心とする「経済」主義とも深く深くリンクしていることを忘れてはならない。「科学」も「経済」もわたしたちの「理性」によって支えられている。しかし,その「理性」がどこかでボタンを一つかけ違えたばかりに,最後の最後でボタン穴が一つ余ってしまった。その一つ余ってしまったボタン穴のための「ボタン」はどこにも見当たらないのである(松田道雄)。どこかで狂ってしまった「理性」を,もう一度,原点から立て直さなくてはならない(「生きもの」としての人間理解を),と西谷修はいう(『理性の探求』岩波書店)。そして,同じ論理を『”経済”を審問する』(西谷修編,せりか書房)の第一章でも展開している。

「3・11」以前に,すでに,『未来ははじまっている』(宇沢弘文,内橋克人著,岩波書店)のだ。そのことに多くの人たちは気づいていなかった(気づいていても,気づいていないフリをする知識人も多くいる=「原発安全」を唱えつづけている御用学者たちはその一例)。エッジに立つ批評のできない,ぬるま湯に浸っている「評論家」の多くはそういう人たちだ。しかし,「3・11」を通過したいま,わたしたちは,それ以前まで主流とされてきた考え方(たとえば,「原発推進」という考え方,経済の「金融化」,経済の進歩発展主義,大量生産・大量消費,など)が,もはや通用しないことに,ハタと気づいた。では,それに代わるべき考え方はなにか。そのキー・コンセプトはなにか。

それに代わるべき考え方も方法も見つからない・困難である,といって口を濁す評論家・学識経験者のなんと多いことか(ほんとうなら,ここに実名を挙げておきたいくらいだが,誤解のもとになるので,やめておく。少なくとも,いま,マス・メディアにちやほやされて,大きな顔をしてものを言っている人たちのほとんどは,なんの定見も示すことができないまま,問題を「むつかしいもの」に仕立てあげて,一時を糊塗して平気でいる。そのつもりでご確認いただきたい)。それは,ある意味では,当然の帰結というべきだろう。ヨーロッパ近代の論理(形而上学)で,ヨーロッパ近代の論理(形而上学)がぶちあたった壁を乗り越えることは不可能だから。それとは違うまったく違う論理,すなわち「形而上学」を超克する思想・哲学が必要なのはだれの眼にも明らかだ。

その期待に応える思想・哲学が存在するのに,多くの識者たちは「みて,みない」フリをしている。そう,ジョルジュ・バタイユの思想・哲学だ。ヨーロッパの近代論理主義者は,みんな,バタイユが嫌いなのである。だから,読もうともしない。

しかし,ほんの一握りの識者たちは,しっかりとジョルジュ・バタイユを視野に入れて,「未来ははじまっている」と予言する。たとえば,経済学の領域で。こんにちの経済の「金融化」の隘路から抜け出すには,もう一度,経済とはなにか,という根源的な問いから出発すべきだ,と(宇沢弘文,内橋克人,金子勝,西谷修,ほか)。しかも,その大きなヒントはマルセル・モースの『贈与論』にある,と。このマルセル・モースの『贈与論』をヒントにして,もっと気宇壮大な「経済学理論」を構築しようとしたのがほかならぬジョルジュ・バタイユだ。かれは,モースのいう「贈与」の原点にあるものは「消尽」であると考え,経済のはじまりは,物々交換ではなく,贈与であり,消尽である,と主張する。この贈与や消尽を否定する考え方が「有用性」である。この「有用性」という考え方こそ「理性」が主役を演ずるための舞台装置だったのだ。そして,贈与や消尽を「呪われた部分」として抑圧・隠蔽・排除してしまう。「理性」に「狂気」が忍び込んだとすれば,ここではないか,とバタイユを読みながら,わたしは考える。

そして,バタイユはその理論的裏づけの糸口を,なんとヘーゲルの『精神現象学』から導き出すのだ。それが,『宗教の理論』の冒頭にかかげられたアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』からの引用文である。こうして,バタイユは,ヘーゲルを徹底的に批判しつつ継承するという立場をとる。

そのヒントになったものが,ヘーゲルが『精神現象学』で展開している「自己意識」をめぐる議論である。ヘーゲルは『精神現象学』の中で,まずは,動物的な「意識」の問題を論じることからはじめ,やがて,人間の「自己意識」がどのようにして構築されるのか,を取り上げる。この問題を,バタイユはさらに掘り下げ,「動物性」の世界から「人間性」の世界への<横滑り>という概念を用いて論じている。そして,人類が動物から人間になるときに,いったい,なにが起きたのか,と問う。そのきっかけとなったのが,さきほども指摘した『宗教の理論』の冒頭に引用されているアレクサンドル・コジェーヴの,謎かけのような文章である。もう少しだけ触れておけば,コジェーヴの読解のテクストは,ヘーゲルの有名な「主人と奴隷」の議論である。主人を奴隷が乗り越えていく弁証法的なロジックのコジェーヴ的読解を手がかりにして,バタイユは,さらにもう一歩踏み込んで,いかにもバタイユらしい固有の議論を展開する。

かくしてバタイユは,「呪われた部分」と「有用性」の思考に到達し,ヘーゲルとはまったく次元を異にする「自由」の理想に向って飛翔していく。すなわち,「呪われた部分」にこそ人類の理想郷が存在したのだ,と。それが『宗教の理論』に籠められたバタイユのひとつの重要なメッセージではなかったか,とわたしは受け止める。

この「呪われた部分」に封じ籠められてしまった原初の人間にとっての「聖なるもの」に,宗教の源泉をバタイユは見届けている。この「聖なるもの」の出現と「スポーツ的なるもの」の発現とは,ほとんど「同根」ではなかったか,というのがわたしの大きな仮説である。しかも,それを裏付ける根拠が『宗教の理論』のなかには満載されているのだ。つまり,「スポーツ的なるもの」こそ,まさに「消尽」そのものであり,「贈与」そのものであったではないか,と。それは,こんにちわたしたちの眼になじんでいる近代競技スポーツの根源のところに,潜在化しているものだ。それが,ときに「顕在化」する。そのとき,わたしたちは「神の降臨」をみる。すなわち,スーパー・プレイ出現の瞬間のことだ。

ヨーロッパ近代の「科学」はこの「宗教」を否定することからはじまり,いつのまにか「科学」の多くが「宗教」と化してしまった。そして,その宗教化した盲目的な「科学」が破綻をきたした。だとしたら,もう一度,宗教とはなにか,という問いからはじめるべきではないか。経済も科学も,そして「スポーツ文化」も,「3・11」を通過したいま,もう一度,原点に立ち返って議論する必要がある,というのがわたしの考えである。そのキー・ワードは「命」。人間は「生きもの」であり,「命」をまっとうする存在である。その意味で,動物性の枠組みから抜け出すことは不可能なのだ。このことは,コジェーヴの引用文のなかにも明記されている。そのことを徹底的に論じたもの,それがバタイユの『宗教の理論』なのだ。

「3・11」以後を生きるわたしたちの新しい道しるべとなるべき思想・哲学を,わたしはバタイユの『宗教の理論』に求めている。と同時に,それは,21世紀のスポーツ文化論を展開していくための根拠であり,21世紀のスポーツ史研究の大前提でもある。

いま,わたしが18日(土)の企画について考えていることは以上のようなことである。
その詳論については,これから,できるだけ,このブログで取り上げていきたいと考えている。
乞う,ご期待!

2011年6月8日水曜日

『原発労働記』(堀江邦夫著,講談社文庫)に手が伸びる。

締め切りのある仕事に追われるとストレスがたまる。そういうときに限って,いろいろの本が読みたくなる。欲求不満の裏返しである。あとで・・・と自分に言い聞かせて,本だけは買ってある。その山が日毎に高くなっていく。ますます読みたくて仕方がなくなってしまう。

それでとうとう欲望を抑えることができなくなって,すーっと手が伸びた本がある。『原発労働記』。もともとの書名は『原発ジプシー』(現代書館,1979年,講談社文庫,1984年)。もう,ずいぶん前に(まだ,奈良教育大学に勤務していたころに),だれかに薦められて読んだ本だ。その本がどこを探してもみつからない。「3・11」以後,もう一度,読み直して「原発の作業員」と呼ばれている人たちの現場を確認しておこうと思っていたら,『原発労働記』という書名となって復刻された。すぐに,本屋に走り,手に入れてはあった。

その本に手が伸びてしまった。人間の記憶というものはいいかげんなもので,そのほとんどを忘れてしまっている。ただ,ぼんやりと原発というところは「人間の働く現場ではない」,とてつもなく過酷な,人非人扱いの作業に従事させられる・・・という際立った印象だけが残っているにすぎない。しかも,初めてこの本を読んだころは「原発安全神話」がまことしやかに喧伝されていたこともあって,原発の作業現場にはこんな過酷な現実があるのだなぁ,とどこか別の世界のことのように受け止めていたことも事実だ。つまり,切実感がまったくなかった。

しかし,今回は,まったく情況が違う。冒頭から,大きなハンマーで後頭部を打たれつづけているような衝撃が全身を走る。これほどまでも過酷な作業をしていたのだ・・・と。しかも,その作業は「定期検査」の間のことだ。つまり,とくべつの異常事態が起きてからの原発の作業ではないのだ。にもかかわらず,その作業の実態を読み進めていくうちに,わたしなどは「吐き気」をもよおしてきて,必死でこらえている。もちろん,食欲などはどこかにすっとんでしまった。たぶん,今夜は夕食抜きになるだろう。

原発という設備はなんと汚れの激しいところなんだろう,というのが今回の強烈な印象である。その「汚れ」にはいろいろある。ひとつは,原発の設備を構成しているさまざまな管の内部に膨大な汚れが溜まっていることだ。なにゆえに,このような汚れが溜まるのかは「作業員」には知らされていない。もちろん,教えてもくれない。真っ黒い粉塵がいっぱい管の中にこびりついている。それを作業員は手作業で拭き取り,払い落とし,電気掃除機で吸い取るという。立って歩けるほどの太いものから,匍匐前進でしかくぐり抜けられないような細い管まで,さまざまだ。この作業からでてくると,衣服から顔から手からありとあらゆるところが真っ黒になっている。ときには,息苦しくなってきて,ついには意識朦朧とした状態で限界ぎりぎりまで作業をしなければならない,という。しかも,この汚れには,放射能が含まれている。外部被曝も内部被曝も関係ない。それに対する管理体制もこれまたまことに杜撰。被曝の量についての基準はあるが,それを超えると,その基準をあっという間に3倍に上げて,さらに仕事をさせる,という。こんなことが,この本の著者が作業員として仕事に従事していた1979年に,すでに,まかり通っていたというのだ。

これらはまだまだ序の口の話だ。
この著者が,最初にもらった給料と民宿に支払った金額が掲載されている。
▽基本給=7万7000円(日当5500円×14日)
▽時間外=2577円(3時間)
▽合計=7万9577円
ここから昼食代3500円(1食250円)と民宿代6万3000円(1泊2食付3500円)が引かれ,結局,手元に残ったのはわずか1万3077円だった。

驚くのはまだ早い。この賃金は,かれが雇われている下請け会社(山田工業)にピンハネされたものだ。しかも,そのピンハネの額がけたたましい。これはどう考えても「犯罪」だ。ちなみに,つぎのような会話を参考までに引いておこう。
「堀江さん(著者の名前),わしらの賃金が安いって言うけど,元請会社から山田工業に,一人当たりいくら支払われてるか知ってる?」
「わしが聞いた話だと,1万数千円・・・」と沢田さん。
「そんなところじゃないかな。たとえば,1万5000円としようよ。それが堀江さんには5500円しか渡らない・・・。単純計算しただけでも,山田工業は,9500円もピン(ピンハネ)してることになる」
「それも一日・一人についてのピンだからなぁ」
「労働者を50人かかえてれば,たった一日で,えーと,47万5000円。ひと月を20日間とすると,一カ月のピンハネ料だけで,なんと,950万・・・・」

こんなことがまかりとおっている世界なのだ。呆然自失。しかも,山田工業は元請会社の下請だ。だとすると,元請会社はいくらピンハネしているのだろうか,と気が遠くなってしまう。そういう現実を知っていても,なおかつ,働かなくてはならない人たちがいる。この現実は,基本的にはいまも変わってはいない。フクシマで働いている作業員の人たちの手にわたる給料の,もともとの金額はいくらなのか,わたしたちは想像だにできない。不当労働であることは明白なのに,そこにはだれも手をつけようとはしない。

わたしは,まだ,この本の第1章 美浜原子力発電所を読み終えたばかりだ。そして,第2章が福島第一原子力発電所だ。(第3章は敦賀原子力発電所)。福島では,もっと恐ろしい体験を,著者堀江邦夫さんはしていることを,おぼろげながら記憶している。いまから,もう,恐ろしくて読む気になれない。しばらく間をおいてからにしようと,いま,ものすごく弱気になっている。

「3・11」以前と以後とでは,まったく別人になったわたしがいる。この本を読みはじめてみて,はっきりと自覚することができた。
この本を,かつて,読んだ人は多いと思う。しかし,もう一度,読まれることをお薦めする。こういう人非人的労働を強いることなしには原発は維持管理できないという事実を,わたしたちは,肝に銘じておくべきだ。ましてや,いま,フクシマで働いている作業員の人たちは,コントロール不能となってしまった原発の事故処理に従事しているのだ。この本の定期点検とは次元が違う。そういうことを加味したとき,いま,作業員としてフクシマで働いている人たちに,なんとことばをかけたらいいのか
わたしにはわからない。

そういう人たちに支えられていまのわたしたちの生活がある,このことだけは忘れてはならない。

2011年6月7日火曜日

『フィールドへようこそ!2009』南房総の民俗(筑波大学民俗学研究室)がとどく。

A4サイズで400ページもある民俗調査の報告書がとどいた。ずっしりと重い。送ってくださったのは門口実代さん。筑波大学民俗学研究室の先生を筆頭に院生,学生さん総出で行った民俗調査の報告書だ。なかなかふつうでは手に入らない貴重なものだ。
正式な名称は『フィールドへようこそ!2009.南房総の民俗(千葉県館山市畑・南房総市白浜町白浜)』筑波大学民俗学研究室編,2010年3月31日発行。

送ってくださった門口さんは,いまは三重県立博物館の専門職として働いていらっしゃるのだが,この報告書を書いたころは院生として学生の指導にもあたっていらしたようだ。しかも,この報告書の編集も担当され,あちこちに文責・門口実代というサインがある。相当に気合の入った報告書であることが伝わってくる。

この門口さんとは,先月の「ISC・21」5月鳥羽例会(世話人・竹谷和之)の折に初めてお会いし,すっかり仲良しになったばかりである。とても落ち着いた雰囲気のある,それでいてテンポよく会話がはずむお嬢さん。こういう人から聞き取りをされるとどんどんしゃべりたくなってしまうから,民俗調査はまさに天職。

で,5月鳥羽例会のテーマは「海女の研究・PART2」(山本茂紀・和子夫妻)ということだったので,この「海女」の調査もこの報告書のなかにあるということで,門口さんは気をきかせて送ってくださった(と,これはわたしの推測)。しかし,わたしは,まずは,知った人の文章から読む,といういつものセオリーどおりに門口さんの調査結果報告のところから読みはじめた。門口さんのテーマは「白浜における結婚と結婚後のくらし──生業との関係から──」というもの。白浜といえば,海女さんのいるところとして全国的にも有名なところ。当然のことながら,海女さんと結婚の問題が主要なテーマとなってくる。それを,一人ひとり丁寧に聞き取りをして,わかりやすい文章に置き換え,手にとるように再現してくれる。民俗学は聞き取りが上手であることと同時に文章力が問われる。柳田国男や折口信夫の書いたものが注目されたのも,深い見識と同時に,作家の書いたような美しい文章にあった。ついつい引きこまれてしまう,そういう文章の力が必要だ。門口さんは,その点でも,素晴らしい才能に恵まれた人だ。

海女に関する調査報告を一つひとつ内容に立ち入って紹介できるといいのだが,このブログではそこまではできないので,とりあえず,海女に関連する調査報告のタイトルと調査者だけ紹介しておくことにしよう。
「白浜海女まつり──海女漁撈地域における商業的祭り」(田中伸吾)
「漁村の禁忌──海女と漁師の生活を通して──」(高橋紗恵子)
「観光の中に生きる『海女』──旧安房郡白浜町における町おこしと海女芸者──」(伊藤永)
「青木地区の海人の人間関係」(山崎力)
「アマとアマ芸者の事例からみる女性たちの関係──南房総市白浜青木地区の事例より──」(後藤知美)
「海女の生業」(石川慶悟)

以上は,タイトルに海女との関係が歴然としているものだけを拾いだしてみた。この地域は海女さんが大勢,生活しているわけなので,生活のあちこちに海女との関係を見届けることはできる。じっさいに,一つひとつの調査報告を読んでいくと,そうか,こういうところにも海女・海人の風俗・習慣がしっかりと根づいているのか,ということもわかる。だから,言ってしまえば,この調査報告書は,要するに「海女・海人」の住む地域の「民俗」を総合的にとらえているということなのだ。だから,変に分類したり,個別化するのではなくて,まるごと「海女の民俗」というように読んだ方がよさそうだ。また,そのつもりで門口さんはわたしにこの報告書を送ってくださったにちがいない。

そのつもりで,これからじっくりと読んでみたいと思う。海女に関心をもつ人にとっては必携の文献となろう。

2011年6月6日月曜日

論文「メディア(論)の憑依」を読む(『美学芸術学論集』第7号)。

昨年の5月の日本記号論学会でお世話になった前川修先生から『美学芸術学論集』第7号(神戸大学文学部芸術学研究室編集・発行)が送られてきた。この手の論文集は読んだことがなかったので,わたしにはとても新鮮だった。特集:テレビゲームの感性的論理──ニューメディアと文化,というとても魅力的なタイトルにまずは惹かれた。

この論集の巻頭を飾る論文が,前川修先生の「メディア(論)の憑依」を読む──ボスト・メディウム的状況における写真,である。まずは,この論文から読みはじめる。やはり,知っている人のものから読むというが,わたしの流儀。
しかし,いきなり,躓いてしまった。タイトルの「憑依」という用語で。論集のタイトルは「憑依」ではなくて,憑の字が,下の心のない字になっている。あれっと思って辞書を引いてみる。憑依はこの表記しか載っていない。だとすると,これは前川先生の造語(専門用語としての)かな,と思ってあちこちその根拠を探してみる。どこにもそれらしき「断り書き」はない。むしろ,「参考文献」をみると,同じ前川先生の論文に「映画に憑く写真,テレビに憑く写真──心霊写真の現在形」というものがあって,ここでは「憑」の字が用いられている。だとすれば,憑依と同じ意味になるはずなのに・・・。と,素人はこんなところで躓いてしまう。困ったものだ。

なぜ,こんなことにこだわるのかといえば,それもわたしの勝手な解釈があってのこと。つまり,憑依といえばエクスターズかな,だとすればバタイユとの接点があるな,メディアやメディア論が憑依するというのはどういう現象のことをいうのだろうか,そうか,ひょっとしたらメディア(論)が近代の呪縛から解き放たれて,まったくの「開かれた」状態になることなのかな,サブタイトルの「ボスト・メディウム的状況における写真」というのはいったいなにを意味しているのだろうか,などなど。

ここまでが,前川先生の論文を読みはじめる前の,表紙と目次を眺めている段階のわたしの想像の世界。が,論文を読みはじめたら,なんのことはない全部「憑依」となっている。なんだ,単純な誤植だったのか,といささか拍子抜け。こういうことはよくあることなのだが,意外に気づかないことが多い。あとで「しまった」と思うのみ。わたしも何回もにがい経験をしてきている。かなり念入りにチェックを入れたつもりなのに,一番目立つところに目溢しが多い。

で,わたしの頭のなかは「憑依」「憑依」とこのことばばかりが一人歩きをしていて,論文の中味が頭に入ってこない。それもそのはず,バタイユのエクスターズとはなんの関係もないところでの論理の展開だったから。前川先生が「霊媒写真」の研究者であるということは聞いてはいたものの,じっさいにその論文を読んだことがない。だから,これまでの蓄積の上にこの論文が成り立っているはずなので,いきなり,この論文を読もうする方が無茶な話だ。でも,どんなことが書いてあるのかぐらいはわかるはずだ,と勇み立つ。しかし,素人には難解で,立ち往生することばかり。

面白いと思ったのは,メディウム(英語でいえばメディアム)ということばの語釈である。情報伝達手段としての新聞・ラジオ・テレビ・インターネット,写真,映画,ビデオ,などはごくふつうに頭に浮かぶ。しかし,このメディウムには,巫女,霊媒も含意されている,という。これは,わたしにとっては新しい発見であった。もっとも,人と人との間をとりもつ「媒体」という意味で考えれば,なんの矛盾もない。そうか,だとすれば,お相撲さんも人と神の間をとりもつ「異形の人」「異能の人」なのだから,お相撲さんもメディウムであり,霊媒なんだ。

とここまで頭がつながったとき,前川先生のさきほど引いた論文のタイトル「映画に憑く写真,テレビに憑く写真」という意味がおぼろげながらみえてくる。そこで,あらためて気合を入れて前川先生の論文を読み直す。内容を要約するだけの力はないので,とりあえず,小見出しだけを紹介しておく。とても魅力的なので。
1.憑依されるメディウム
2.憑依するメディウム
3.メディア論の憑依
4.霊媒=メディウムとしての写真
おわりに

まだ,全部を読んだわけではないので,部分的な紹介というか,わたしの眼に止まった面白そうなところを紹介しておくと以下のとおり。
河田学「(コンピュータ・)ゲームの存在論」はしっかりと読んでみたいと思った。こちらも小見出しを紹介しておくと,
序論
1.テーマ論の試み──模倣としての(コンピュータ・)ゲーム
2.「遊び」としての(コンピュータ・)ゲーム──カイヨワによる「遊び」の定義
3.フィクションとしてのゲーム──ウォルトンの「ごっこ遊び」(メイク・ビリーヴ)の理論
4.ゲームのスペクトル
5.コンピュータ・ゲームの身体性
結語にかえて
とある。その中の図6ゲームのスペクトルでは,現実から暴力性を排除したスポーツをさらに脱身体化すると古典的ゲームになる,そして,そのさきにコンピュータ・ゲームが位置づくのでは,という仮説の提示がわたしの眼を引いた。そして,そのあとに5.コンピュータ・ゲームの身体性の論考がある。わたしの頭のなかは,いきなりタイムスリップして,1793年に書かれた『青少年のための体操』(ドイツの汎愛学校の先生だったグーツムーツの著書)が駆けめぐる。ここには,目測(距離の測定)や大声での朗読も「体操」(Gymnastik)の内容として取り上げられている。
ちなみに河田学先生は京都芸術大学芸術学部専任講師とある。一度,お話を伺ってみたいなぁ,と思った次第。

ときにはこういう冒険もして,頭を揺さぶっておかないと,ますます脳のはたらきが硬直化してしまうので,要注意と自分に言い聞かせている。「美学芸術学」という研究領域が意外なところで,わたしたちの関心事とつながっていることを知っただけでも大収穫だった。もっともっと視野を広げないといけない,と反省ばかり。前川先生はとっくのむかしにわたしの研究領域まで触手を伸ばしていらして,強い関心をもっていらっしゃることを初めてお会いしたときに知った。それにしても,いい人との出会いは嬉しい。幸せである。

2011年6月5日日曜日

『”経済”を審問する』(西谷修編)を読むとバドミントンのルール改正(?)の背景が透けてみえてくる。

西谷修さんから本がとどいた。すでに,西谷さんのブログで新著がでたことは知っていた。急いで本屋さんに行って・・・ともたもたしているうちに「謹呈」のサイン入り本がとどいてしまった。申し訳ないと思いつつ,感謝の念をこめて本を開く。

この本は,冒頭の「はじめに──本書の成立ち」に詳しく説明がしてあるように,2009年と2010年の2回のシンポジウムとラウンド・テーブルの記録と関連論文に,あらたに西谷さんの総論が書き下ろしで加えられて,世にでたものである。もう少しだけその経緯について触れておけば,以下のようである。まず,2009年と2010年の2回のシンポジウムとラウンド・テーブルの記録と関連論文は,すでに,記録集『グローバル・クライシスと”経済”の審問』(西谷修/中山智香子編)として刊行されていて,関係者に配布されている。この記録集に,それぞれのスピーカーたちが推敲の手を加えたものが,この本の骨格である。そこへ新たに「”経済”とは何か,それはどんな考え方の枠組みなのか,それが現代世界の組織化と認識にどのような役割を果たしてきたのか,その『”経済”を審問する』ということに含まれる課題は何なのか」といったことを包括的に述べた西谷さんの書き下ろしを「趣旨展開をかねて冒頭におく」というかたちをとっている。

だから,わたしにとっては,この冒頭の西谷さんの書き下ろし「Ⅰ.経済学は何をしてきたのか──経済・産業技術システムの興隆と破綻」(約50ページ)のところに飛びつくことになった。そして,いつものことながら,凄いなぁ,とひとりごとをいいながら読み進む。問題の核心を,余分な修飾語抜きで,ずばりとすくい取って提示する思考の明晰さに,酔い痴れてしまう。わたしのような者ですら,強烈に刺激され,早速,自分の専門領域であるスポーツ史やスポーツ文化論へのヒントがつぎつぎに浮かび上がってくる。
たとえば,以下のような文章を,みなさんはどのように読まれるでしょうか。

「テロとの戦争」というのは,9・11の直後から言ってきたようにグローバル世界秩序とその安全保障の問題です。軍事力の洗練やグローバル化の相互依存のために,今ではもはや対等の国家同士の戦争というのは問題になりません。むしろ,グローバル資本の利益追求がなされる市場一元化秩序を維持するために,この一元化が生み出す「異物」の排除,あるいは「汚染」の除去のための諸国家横断的な安保体制,もっとはっきりいえば鎮圧体制が必要になる。それが「テロとの戦争」という新たな世界規模の戦争のレジームです。そこでは「安全」が至上命題として掲げられ,もはや「平和」は問題にもされず,そのために「テロリスト」や「ならず者」相手の不断の監視体制が敷かれ,「予防戦争」さえ正当化どころか必要だとされて,「異物」が徹底的に潰されてゆく。つまりあらゆる障害は秩序の病理であるかのように,「検疫体制」と「予防接種」で潰してゆくということです。例えば,豚インフルエンザが発生したと言って徹底的にワクチンで鎮圧しようとするように。

ここから説き起こして,経済のグローバル化の意味するところを明確にし,さらに「グローバル化の三つのステージ」へと論を展開していきます。それはそれは気宇壮大な議論が,これでもか,といわぬばかりに繰り広げられてゆきます。読んでいるうちに,ある意味で,快感を呼び起こします。かゆいところに手がとどくように,きちんと,わかりやすく説明してくれます。いわゆる,わたしのような人間の「蒙」を「啓」いてくれる,とてもありがたいテクストになっています。(あっ,いけない。いつのまにか西谷さんの文章の「です・ます」調になってしまっている)。

この新しい第一章を読みながら,わたしはわたしで「バドミントンのルール改正」(2006年・サービス権制からラリーポイント制へ)の背景でいかなる「力」のせめぎ合いがあったのか,と考えたりしている。あるいは,1920年代に繰り広げられた「体操改革運動」(Neue Gymnastikbewegung)の背景にあったものはなにか,などと考えたりしている。さらには,マルセル・モースの『贈与論』が頭をよぎり(このテクストの138ページには,ラウンド・テーブル「”経済”を審問する──MAUSSとともに」が収められていて,モースへの隠喩を読み取ることができる),そこからさきは,やはり,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』へと一気につながっていく。

バドミントンのルール改正(といっていいのかどうかは疑問)について少しだけ触れておこう。サービス権制からラリーポイント制への転換は,じつは,バドミントンというスポーツ文化の特質にいちじるしい「変更」「変質」「変容」を迫るものなのだ。しかし,そんなことはお構いなしに,ただひたすら普及のために,わかりやすくするために,テレビで楽しんでもらえるために,管理運営上(試合時間の短縮)のために,そして,オリンピック競技種目として認定してもらえるために・・・等々の理由での「ルールの変更」である。この一つひとつを詳細に分析していけば,その背景にいかなる「力」がはたらいていたかは明々白々である。こうして,バドミントンという古きよき時代のイングランドの伝統精神を色濃く残していたスポーツ文化が,最終的な「グローバル化」への舵を切った,とわたしは考える。このことがなにを意味しているのか,わたしたちは,いまこそ,しっかりと考えなくてはならないことなのだ。

そういうことを,このテクストは教えてくれる。あるいは,気づかせてくれる。これからのスポーツ史研究,あるいは,スポーツ文化論を展開していく上で不可欠の文献。
また,いつか,研究会で取り上げて,みんなで議論をしてみたいと思う。



2011年6月4日土曜日

『穂国幻史考』(柴田晴廣著)なる奇書がとどく。

「母からすすめられてこのブログを読むようになりました」と,つい最近コメントを入れてくださった柴田晴廣さんから『穂国幻史考』なる大著が送られてきた。この「母」とは,わたしの小学校のときの同級生で,わたしたちは「さっちゃん」と呼びならしていた。なかなかの美人で,会話のテンポがよくてクラスの人気者だった。その「さっちゃん」の息子さんから,こんな大著がとどくとは夢にも思っていなかったので,びっくり仰天である。800ページにも達する大著である。

わたしはこういう本がとどくと,すぐに吸い込まれるようにして読みはじめてしまう。忙しいときには困ることもあるのだが,たいていはとても面白いのだ。この本も面白い部類の筆頭だ。読みはじめたら止められない。困ったものである。

それには理由がいくつもある。
一つは,「穂国」とはわたしの出身地である東三河地方の古称だから,その中味は,全部,わたしにとっては馴染みのある話ばかりだから。
二つには,この「穂国」に持統天皇が行幸したのはなぜか,という古代史の謎解きからはじまっているから。
三つには,わたしのこどものころのお祭りで踊られていた「笹踊」の由来がくわしく書かれているから。
四つには,小学校の同じ校区である長瀬町の「冨永」一族の歴史が語られているから。さっちゃんは旧姓「冨永」。著者の柴田さんは,さっちゃんのお父さん(つまり,柴田さんのおじいさん)から聞いたという話をてがかりに「冨永」の出自を歴史的にたどりはじめる。
五つには,菅江真澄(東三河出身)の謎解き(この人は謎だらけの人)に踏み込んでいること。
などなど。

恥ずかしい話ながら,古代史にはほとんどうといので,持統天皇が穂国(東三河)に行幸されたということも知らなかった。著者によれば,持統天皇がわざわざ軍を率いて伊勢から舟で穂国にやってこなければならなかったほどの「理由」があったはずだ,という。それが「穂別の祖・朝廷別王」を歴史から抹消するためだったのでは・・・と著者は仮説を立てる。そして,これまで語られることのなかった東三河の古代史が浮かびあがってくる。
このことを知って,あっ,と思ったことが一つあった。それは,額田王がこの地に住んだという伝承があって,なぜだろうととかねがね疑問には思っていたこと,そして,額田郡という地名がいまも残っていること,である。
持統は天武の正妻である。額田王は天武の寵愛をうけ一子(十市皇女・といちのひめみこ)をもうけている。まことに素人っぽい推測をすれば,額田王を大和の地からこの地に移し,封じ込めたのではないか。あるいは,もっと推測すれば,額田王とともに兵を残し,「穂別の祖」の見張りをしていたのだろうか,などと思ったりする。この辺りのことは単なる当てずっぽう。でも,むかしからの疑問なので,なんとなくわくわくしてくる。

もうひとつだけ。長瀬町の冨永は,もともとは野田城主だったという。その野田城は,菅沼一族によって乗っ取られてしまった(この辺りのことは,宮城谷昌光著『風は山河より』(新潮文庫,全6巻に詳しく描かれている)。そのために,冨永一族は長瀬町に流れてきたのだ,という。しかも,興味深いことに,野田城主だった富永は首を刎ねられたということを記憶するために,以後,「富永」ではなく,頭に点のない「冨永」と名乗ることになった,という。このことを,著者は,祖父から直接聞いた,という。

わたしは長瀬町のとなりの大村町に住んでいたのだが,そういう話は初耳であった。こどものころ,さっちゃんのほかにも「冨永」君という友達がいて,長瀬の集落に遊びに行ったことがある。そのときの記憶では,集落全体に一種独特の雰囲気があって,なかなか入りづらいものを感じたことを覚えている。だから,ひとりで行ったことはない。いつもだれかと一緒だった。あるいは,冨永君に集落の入り口まで迎えにきてもらった。集落のつくりも不思議だった。一軒,一軒が背丈の高い細葉垣根で囲まれ,家々をつなぐ細い道も複雑に曲がりくねっていた。そして,どの家も屋敷のなかに大きな木があって,集落全体がこんもりした森に見えた。いま,思いかえせば,わたしの住んでいた大村町の友達よりも,みんな一人ひとりがしっかりしていたように思う。女の子も同じだ。しっかり者という意味では,さっちゃんはその筆頭だった。ふさえさんもしっかりしていた。
うーん,そういうことであったか,といまさらのように思う。

というような具合で,この本を読み終えるまで,しばらく仕事も手につかなくなりそうだ。中味が初めて知ることばかりだ。こんな本はこれまで接したことがなかった。しかも,大部だ。困ったものだ。その意味で,『けんちく体操』とは別の意味で,この本もまたまぎれもない「奇書」である。だからこそ面白い。歴史はロマンだ。


2011年6月3日金曜日

泰山鳴動してネズミ一匹。でも,6月末には首相退陣を。

当てずっぽうで書いたブログのとおりになってしまったので,オヤオヤである。それにしても政界はいつも「藪の中」。それでも,ハトヤマ君の言っていることがほんとうだとしたら,ここは「復興基本法案」(おおむね野党の了解もとりつけている)を6月末までに国会を通過させて,カン君はいさぎよく退陣してほしい。そして,若くて情熱があって,的確な判断力をもち,かつ責任を引き受けるリーダーを一刻も早く選び出して,政治の空白から脱出してほしい。

泰山鳴動してネズミ一匹,とはよく言ったものである。それにしても,今回の「ネズミ」が首相の退陣表明だったとしたら,唯一の成果というべきか。しかし,カン君はなにを聞き違えたか,退陣は年明けをメドに,などととんでもないことを言いはじめている始末。年明けには原発の冷却もメドが立つ,という。とんでもない,原発は半永久的に機能不全のまま,だましだまし「なだめて」いくしか,いまのところ方法はないと聞いている。だとしたら,またまたカン君はそこに眼をつけて延命策をはかろうとしているようにみえる。

こうなったら,6月11日(土)に予定されている「脱原発」の大がかりなデモを切り替えて,とりあえず,「カン,辞めろ」デモにしなくてはなるまい。そうして,一刻も早く,新しいリーダーを決めて,「3・11」後の日本の社会の未来図を描き,その実現に向けて全力を傾けなくては・・・・。でないと,折角の復興熱が冷えきってしまう。

野党はまたぞろ「政権のたらい回し」といって批判するだろう。これは自民党のお家芸であったにもかかわらず。もっと言っておけば,原発だって自民党政治のツケだ。そのことになんの反省もなく,原発問題についてイチャモンをつけて平気でいる。この厚顔無恥に国民はあきれはてていることを知らないのだろうか。それどころか,河野太郎君や小泉進次郎君が,原発推進政策は自民党の誤りだったと認め,「脱原発」に舵を切るべきだ,というまことに穏当な発言が自民党内で「総スカン」をくっているという。なんたる体たらく。あのシンタロウ君だって,「脱原発」にまなざしを向けるようになってきているというのに・・・・。

まあ,それはともかくとして,カン君,ここはいさぎよく身を引きましょう。「災害復興基本法案」を通過させたら,そこが引退の「花道」です。野党もコザワ君も(この人たちはなにを考えていたのか),戈の収め場所に困っているのだから。そして,政権のたらい回しなどと言わないで,ここは東北地方の選挙人名簿をはじめとする選挙体制が整うまでの暫定内閣として例外措置をとり,整い次第,ただちに解散総選挙を行えばいい。国家の非常時にあって,つまらない政争をくり返しているときではなかろう。日々,命懸けで原発の作業にあたっている人や,瓦礫の整理にあたっている人びとの気持を第一優先に,まじめに政治という仕事に取り組んでほしい。

いまこそ,政治家に汗をかいてもらいたい。たった一日でいい。スコップをもって瓦礫かきのボランティアをやってみてほしい。「もう帰ってしまうのか」と避難民に叱られてしまうような,おざなりの視察などはいらない。議員さんが現場で一緒に作業すること。からだに記憶を叩き込んで,その上で,政治を考えてほしい。「3・11」以前のゆでカエルのままでは,もはや,つとまりません。「3・11」以後を生きる人びとのための政治を,からだに叩き込むには,一日ボランティアが一番。

にもかかわらず,議員の誰一人として「からだ」を提供しようという人はいない。ここに「国民目線」を失った議員の姿が如実に現れている。もはや机上の空論を闘わせているときではない。人間の「命」をぺースにして,つまり,「からだ」をとおしてものごとを立ち上げるときだ。このことは国民であるわれわれも同じだ。「3・11」以後の日本の社会の復興を考えるための指針は「命」だ。ここからすべてをスタートさせよう。

そのためには,カン君。お願いです。6月末で退陣を。

2011年6月2日木曜日

いまこそ超党派の一致団結内閣を(期限つきで)。

そのむかし,古代ギリシアのオリンピア祭(古代オリンピック競技祭)を開催するために「休戦協定」が結ばれ,少なくとも半年間は戦争をしないこと,選手たちや見物人の移動(旅)を妨げないこと,などを守り,実行したという故事がある。だからこそ,1,200年もの長きにわたりオリンピア祭が継続して開催されてきたのだ。

やはり,昨夜は眠れなかった。内閣不信任決議案を提出した3党,そして,それに便乗するコザワ一派,ハトヤマ君らの,国民を無視した自分たちの利害打算しか考えない(まさに「ミーイズム」の典型)あまりの「愚かさ」に腹が立って,腹が立って,どうにも収まりがつかないからだ。

今日の午後には採決がなされ,いずれにしろ結論はでる。どちらの結果になろうと,政治は当分の間,空転することはマチガイナイ。おそらく,政界再編劇が,被災地を無視して繰り広げられることになるのだろう。この際,しっかりと,だれがどのような言動をとるか,見極めておきたい。そして,しかるべき選挙の折に,徹底的な批判をこめた投票行動でお返しをする以外にない。

もう,ずいぶん前,つまり,「3・11」以後の間もないころに,「超党派の一致団結内閣を期限つきで立ち上げよ」という提案をした人がいた(すでに名前すら記憶していない)。この非常時に一党の力で乗り切るには手が足りない。あらゆる党派から,最高の人材を適材適所に配置し,首相は3人くらいにして集団指導体制を確保し,国を挙げて(国民も一致団結して)これからの難事に対処すべきだ。なのに,それどころか一党一派の利害打算しか考えようとはしない,そういう集団がこんにちの日本の国会議員の大多数を占めていることが情けない。

今日の採決の結果いかんを問わず,振り出しにもどって,一年なり,二年なりの期限を切って,「災害復興内閣」を超党派で組織してほしい。そして,「3・11」以後を生き延びるための国の基本となる理念と骨格を構築してほしいものだ。けして「3・11」以前にもどってはならない。前へ。ただ,ひたすら前へ。そして,過去のあらゆるしがらみを清算して,まったく新しい日本の姿を模索すること。そうでもしないことには日本の未来はない。

どうにも収束の目処が立たない原発の事故処理についても,まずは,世界の叡智を結集して,最善の処置を講ずるべきときだ。それすら緒についていない。この目処が立たないかぎり復興の目処も立てようがない。この原発事故処理を筆頭に,やらねばならないことは山のようにある。それがどこもかしこも機能不全を起こしている。勇断と手足が,圧倒的に不足している。つまり,人材だ。この人材を公募してもいいではないか。企業から派遣してもらってもいい。とにかく,これまでの政府と官僚だけでは,とても対応できる規模ではない。

だから,ここは,なんとしても超党派の一致団結が必要なのだ。その姿勢を示すことが,いま,政治家に求められている国民の最大の期待であり,喫緊の課題だ。

必要なカネはみんなで出し合うしかないだろう。この国で生きていこうというかぎりは。

ああ,頭がイタイ。

日本の国家の中枢部がメルトダウンを起こしている。

2011年6月1日水曜日

内閣不信任決議案,3党共同で提出という「狂気」ぶり。

カン君が駄目なことはもうみんな知っている。かといって,カン君に代わってだれが内閣総理大臣になれるというのか。こちらも駄目だとみんな知っている。該当者なし。こんなに政治家が総崩れを起こしている時代がかつてあっただろうか。

第一,この国家の非常事態にあっては,政治家が党派を超えて一致団結することが先決ではないか。なのに,その認識はひとかけらもない。相も変わらず党利党略のみ。このノー天気ぶりにあきれてしまう。そこに割って入って声を挙げる若手政治家もいない。もう,日本の終末をみる思いだ。しかし,それでも日本人はじっと我慢している。

親はあっても子は育つ(西谷語録),とか。つまり,親がいて,その親が無能でなにもできなくても,子は立派に育つ,という。いまの日本の実情を言い当てていて妙である。いま,一番,良識をもって頑張っているのは国民だ。原発という人災にも身を犠牲にして立ち向かう勇気ある人びとを筆頭に,地震・津波という天災にもひるむことなく立ち向かっている国民自身だ。政府高官も官僚も野党の政治家も,被災の現場にたいしてなにをしたというのだろうか。現実の困難に必死で取り組んでいるのは,みんな名もなき国民だ。「3・11」からまもなく3カ月になんなんとするのに,政府はいったいなにをしたというのだろうか。やるやるといいながら,結局,なにもしていないに等しい。そこに国民がいらだっていることは間違いない。

だからといって,野党3党に内閣不信任決議案を出せという国民は,まず,いないだろう。もし,いたとしても,ほんの一握りの人たちにちがいない。そんなことを言っている場合ではない,ということを国民はよく知っているし,みんな我慢しているのだ。史上最悪の政府であったとしても,現場の声を拾い集めながら,なんとか道を切り開いていくしか方法はないと覚悟しているのだ。

明日には国会で採決が行われるのだから,すぐに,結果はでる。
いまの段階で「もし」などということは考えても無駄かもしれない。しかし,ちょっとだけ考えておいてもいいかと思う。
もし,内閣不信任決議案がとおってしまったら,内閣総辞職,解散,選挙ということになるのだろう。そんなことをしている場合ではないことはサルでも知っている。第一,選挙などできるわけがない。いまもなお,特例法で東北地方の首長選挙を先送りしている(9月まで)ところさえある。つまり,選挙人名簿すら整っていないのだ。あちこち拡散してしまって,その所在すら不明な人が多くいるのが現状だ。こんなことすら,野党3党の人びとは忘れてしまって,党利党略に走っているのかと思うと情けなくなってしまう。おそらくほんとうのところはなにもわかっていない,そういう政治家が圧倒的多数を占めている。だから,この国家の非常事態に内閣不信任決議案を提出することができるのだ。もし,解散・選挙ということになって,選挙したくても選挙もできない国民の意志をどうしてくれるというのか。つまり,選挙はできない,これが現状なのに。それすらわかっていない。タニガキ君,一度でいい,ボランティアになって悪臭ふんぷんたる現場でスコップを握り,みんなと一緒に泥よけでもしてきたらどうですか。
もし,内閣不信任決議案が否決されたら,コザワ君,どうするんですか。そして,その一派の子分たちはどうするんですか。やはり,党を割ってでていくしかないでしょうね。それでも,党を割る意志はないという子分さんもいる。親分はその気でも,子分のなかにはそうでない者もいる。コザワ派は今晩一晩は眠れない夜を送るのだろう。いやいや,民主党の幹部(患部)以下,全員が今夜は眠ってはいられないだろう。切り崩し作戦の展開のために。もちろん,被災地で苦しんでいる人たちを無視して。政治不在の一夜がはじまる。

わたしは,泰山鳴動してネズミ一匹,で終わるのではないかとおもっている。自民党の中にだって,そんな馬鹿なことをやってはいけない,という良識をもった議員もいるだろう。公明党だってしかり。つまり,笛吹けど踊らぬ議員がでてくる,と。あちこち,政党がガタガタになっていくのではないか,と。そして,そのあとにでてくるのは,お馴染みの「政界再編」だ。コザワ君はそれを狙っているのではないか。いまや,それはコザワ君のヤマイでもある。ハトヤマ君も情けない。ミトコウモンさんもついに惚けたか。こうなると,いまや,まともなのは意外にもカメイ君ということになってしまう。非常時にはカメイ君はいいかもしれない。しかし,支持母体はどこにもない。

まあ,「3・11」以後,日本の恥部がつぎつぎに露呈してきて,国家の根幹ともいうべき政界・官僚・財界・学界・メディアの5本柱が,音を立てて崩れ落ちていく姿を目の当たりにしてしまった。それでも,国民は黙って我慢をしながら,明日に向って歯を食いしばって一歩ずつ重い足を踏み出している。やはり,親はあっても子は育つ,ということなのか。情けないかぎり。