「緒言」の最後の文章の末尾に,訳者注(2)が付してある。その最後の文章とは,前のブログにも書いたが,とても重要な内容を含んでいるので,もう一度,引用しておこう。
「この『宗教の理論』が衝こうとする背理(パラドックス),すなわち個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである。」
この文章の末尾に訳者は,つぎのような注(2)を付しているのである。
「第三資料(タイプ原稿)には,この箇所に次のような手書きの書き込みがある。「『聖ジュネ』におけるサルトルの悔悟を,注として引用すること」。知られているとおり,バタイユはサルトルの『聖ジュネ』(ガリマール,1952年)に関して,重要な論評を行ったが(『クリティック』誌,65号,66号,1952年10月-11月),それは『文学と悪』に収録されている。」
そこで早速,バタイユ著『文学と悪』(山本功訳,ちくま学芸文庫)を引っ張りだしてきて,再読してみる。以前に読んだときにも強烈な印象があったが,こんどは,きちんとした問題意識をもって読むので,これまた非常に面白い。すなわち,バタイユが手書きで書き込みをしたという「『聖ジュネ』のサルトルの悔悟」とは,なにを意味しているのか,ということだ。
その前に,サルトルとバタイユの関係を確認しておこう。サルトルとバタイユは同時代の人間だが,まったく対照的な生き方をした。サルトルは早くから哲学者として脚光を浴び,日の当たる道を歩むが,バタイユは,最初から地下活動をとおして発売禁止になるような著作をペンネームで発行する。しかも,その思想・哲学は時代をはるかに先取りした内容であったために,いわゆるアカデミズムの世界からは無視・排除されてしまった。その残像はいまの日本のアカデミズムにもある。思い切って二人を対比させれば,以下のようになろうか。サルトルはフッサールやハイデガーに学びつつ,実存主義を唱えたけれども,結局は,近代アカデミズムの路線を踏み外すことはなかった。が,それに対して,バタイユは,最初からアカデミズムを否定し,ヘーゲルを超克し,ハイデガーを批判的に乗り越え,ニーチェを生きると宣言した。だから,サルトルは戦後の日本にもいち早く紹介され,『存在と無』などは,わたしの学生時代にも本屋で平積みになっていた。しかし,バタイユは,一部の識者の間では,熱烈に支持されていたが,その著作が日本で紹介されるようになるには,相当の時間を要した。時代がバタイユを受け入れることができるようになるには,あまりに時間がかかりすぎたということだ。しかし,「3・11」以後の,日本のみならず,世界を考える上で,わたしの導きの糸はバタイユにますます傾斜しつつある。いまこそ,『宗教の理論』を精読する絶好のタイミングではないか,とわたしは確信している。
思いがけず長くなってしまったが,ここは重要なところなので,お許しいただきたい。
さて,問題のサルトルが書いた評論『聖ジュネ』である。ジュネとは,わたしたちの記憶に残っている作品でいえば『泥棒日記』がかれの代表作と言ってよいだろうが,作家のジャン・ジュネのこと。いろいろの事情があって,貧民救済施設で育ち,幼少時より悪の道に走り,少年院を転々としながら成長するのだが,成人してもその習性は納まらず,刑務所入りをくり返しながら無頼と放蕩の生活を送った。30歳をすぎたころから,自分の経験を主題とする,読者を驚かせるような小説を書きはじめる。いずれも,悪を礼賛するような内容の小説ばかりなのだが,人間の内奥に潜む普遍の問題についての描写が高く評価された。
サルトルもまた,ジャン・ジュネを高く評価したひとりである。そして,ついには『聖ジュネ』という大作書いて発表。大きな話題を呼んだ。しかし,バタイユは,この『聖ジュネ』を読んで,この作品はサルトルの最高傑作であると持ち上げつつ,サルトルは根底的なところで勘違いをしている,と鋭い批判を展開。その内容を紹介するスペースはここにはないので,それは集中講義の中で行うことにしよう。しかし,さわりの部分だけは,ここで触れておこう。
バタイユがサルトルを評価したのは,サルトルがアカデミズムの閉鎖的な社会から一歩踏み出して,ジュネのような悪を礼賛するような小説を,異常とも思える情熱を傾けて論評する姿勢である。そして,ジュネの作品評論をとおして,サルトル自身もまた,初めて赤裸々な思想・哲学を曝け出している,この姿勢は素晴らしいと褒めたたえる。しかし,ジュネの悪の世界のよき理解者であり,その世界を承認しているかに見せかけておいて,最終的には,ジュネの提起している本質的な問題を読み切ることができないまま,きわめて曖昧な結論にいたる,それは結局はジュネの世界を排除するに等しいのだ,とバタイユはサルトルを断罪する。
つまり,「サルトルの悔悟」とは,ジュネの作品に触れ,それによって啓発されたみずからのそれまでの姿勢に対する悔悟のことを指しているように思われる。しかし,一見したところ,いかにも悔悟の姿勢をとっているようにみえるけれども,実際には,そうではない,とバタイユはいう。その理由は,「緒言」の末尾の文章に暗示されている,とわたしは解釈する。すなわち,「個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」,というところに。根本的な背理までは,サルトルも理解した上で,ジュネを礼賛したけれども,そして「一つの無力さ」も理解したはずなのだが,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となる」というところまでは理解が届かなかったのではなかろうか。その点を,バタイユは『文学と悪』の中に収録された批評である「ジュネ」をとおして,詳細に展開している。
これを書きながら,いま,わたしの脳裏に浮かんできたひとつの情景がある。DVDになった映画『わたしを離さないで』のラストの方でのワン・シーンである。臓器提供者としての宿命から逃れられるかもしれないという最後の望みを託して交渉に行くが,それは単なる幻想にすぎなかったということを知り,夜道を走る車を,荒れ果てた原野で止めてもらい,そこから降りてひとりになり,絶望のあまりに「絶叫」する。なすすべはもはやなにもない。個人を「事物」にし(臓器提供者),内奥性の発露(魂の表出としての絵画)も拒否され,まさに「無力さ」が明るみにでてきて,ついに「無力さの叫び」をあげるしかなくなってしまったトミーの姿が,いま,わたしの脳裏にさらなる精気を帯びてまざまざと浮かんでくる。
しかも,バタイユは,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」と,なにやら暗示めいた文章で,この「緒言」を閉じている。つまり,「最も深奥にある沈黙」とはいったいなんなのか,それを問い詰めることがこのテクスト『宗教の理論』の最終ゴールなのであろう。そのための「素描」(エスキス)である,と。
さてはて,集中講義が楽しくなりそうだ。
いよいよエンジンがかかってきたようだ。
「この『宗教の理論』が衝こうとする背理(パラドックス),すなわち個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである。」
この文章の末尾に訳者は,つぎのような注(2)を付しているのである。
「第三資料(タイプ原稿)には,この箇所に次のような手書きの書き込みがある。「『聖ジュネ』におけるサルトルの悔悟を,注として引用すること」。知られているとおり,バタイユはサルトルの『聖ジュネ』(ガリマール,1952年)に関して,重要な論評を行ったが(『クリティック』誌,65号,66号,1952年10月-11月),それは『文学と悪』に収録されている。」
そこで早速,バタイユ著『文学と悪』(山本功訳,ちくま学芸文庫)を引っ張りだしてきて,再読してみる。以前に読んだときにも強烈な印象があったが,こんどは,きちんとした問題意識をもって読むので,これまた非常に面白い。すなわち,バタイユが手書きで書き込みをしたという「『聖ジュネ』のサルトルの悔悟」とは,なにを意味しているのか,ということだ。
その前に,サルトルとバタイユの関係を確認しておこう。サルトルとバタイユは同時代の人間だが,まったく対照的な生き方をした。サルトルは早くから哲学者として脚光を浴び,日の当たる道を歩むが,バタイユは,最初から地下活動をとおして発売禁止になるような著作をペンネームで発行する。しかも,その思想・哲学は時代をはるかに先取りした内容であったために,いわゆるアカデミズムの世界からは無視・排除されてしまった。その残像はいまの日本のアカデミズムにもある。思い切って二人を対比させれば,以下のようになろうか。サルトルはフッサールやハイデガーに学びつつ,実存主義を唱えたけれども,結局は,近代アカデミズムの路線を踏み外すことはなかった。が,それに対して,バタイユは,最初からアカデミズムを否定し,ヘーゲルを超克し,ハイデガーを批判的に乗り越え,ニーチェを生きると宣言した。だから,サルトルは戦後の日本にもいち早く紹介され,『存在と無』などは,わたしの学生時代にも本屋で平積みになっていた。しかし,バタイユは,一部の識者の間では,熱烈に支持されていたが,その著作が日本で紹介されるようになるには,相当の時間を要した。時代がバタイユを受け入れることができるようになるには,あまりに時間がかかりすぎたということだ。しかし,「3・11」以後の,日本のみならず,世界を考える上で,わたしの導きの糸はバタイユにますます傾斜しつつある。いまこそ,『宗教の理論』を精読する絶好のタイミングではないか,とわたしは確信している。
思いがけず長くなってしまったが,ここは重要なところなので,お許しいただきたい。
さて,問題のサルトルが書いた評論『聖ジュネ』である。ジュネとは,わたしたちの記憶に残っている作品でいえば『泥棒日記』がかれの代表作と言ってよいだろうが,作家のジャン・ジュネのこと。いろいろの事情があって,貧民救済施設で育ち,幼少時より悪の道に走り,少年院を転々としながら成長するのだが,成人してもその習性は納まらず,刑務所入りをくり返しながら無頼と放蕩の生活を送った。30歳をすぎたころから,自分の経験を主題とする,読者を驚かせるような小説を書きはじめる。いずれも,悪を礼賛するような内容の小説ばかりなのだが,人間の内奥に潜む普遍の問題についての描写が高く評価された。
サルトルもまた,ジャン・ジュネを高く評価したひとりである。そして,ついには『聖ジュネ』という大作書いて発表。大きな話題を呼んだ。しかし,バタイユは,この『聖ジュネ』を読んで,この作品はサルトルの最高傑作であると持ち上げつつ,サルトルは根底的なところで勘違いをしている,と鋭い批判を展開。その内容を紹介するスペースはここにはないので,それは集中講義の中で行うことにしよう。しかし,さわりの部分だけは,ここで触れておこう。
バタイユがサルトルを評価したのは,サルトルがアカデミズムの閉鎖的な社会から一歩踏み出して,ジュネのような悪を礼賛するような小説を,異常とも思える情熱を傾けて論評する姿勢である。そして,ジュネの作品評論をとおして,サルトル自身もまた,初めて赤裸々な思想・哲学を曝け出している,この姿勢は素晴らしいと褒めたたえる。しかし,ジュネの悪の世界のよき理解者であり,その世界を承認しているかに見せかけておいて,最終的には,ジュネの提起している本質的な問題を読み切ることができないまま,きわめて曖昧な結論にいたる,それは結局はジュネの世界を排除するに等しいのだ,とバタイユはサルトルを断罪する。
つまり,「サルトルの悔悟」とは,ジュネの作品に触れ,それによって啓発されたみずからのそれまでの姿勢に対する悔悟のことを指しているように思われる。しかし,一見したところ,いかにも悔悟の姿勢をとっているようにみえるけれども,実際には,そうではない,とバタイユはいう。その理由は,「緒言」の末尾の文章に暗示されている,とわたしは解釈する。すなわち,「個人を『事物』にし,さらにまた内奥性の拒否としてしまうこの根本的な背理は,おそらくある一つの無力さを明るみに出すであろうが,この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」,というところに。根本的な背理までは,サルトルも理解した上で,ジュネを礼賛したけれども,そして「一つの無力さ」も理解したはずなのだが,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となる」というところまでは理解が届かなかったのではなかろうか。その点を,バタイユは『文学と悪』の中に収録された批評である「ジュネ」をとおして,詳細に展開している。
これを書きながら,いま,わたしの脳裏に浮かんできたひとつの情景がある。DVDになった映画『わたしを離さないで』のラストの方でのワン・シーンである。臓器提供者としての宿命から逃れられるかもしれないという最後の望みを託して交渉に行くが,それは単なる幻想にすぎなかったということを知り,夜道を走る車を,荒れ果てた原野で止めてもらい,そこから降りてひとりになり,絶望のあまりに「絶叫」する。なすすべはもはやなにもない。個人を「事物」にし(臓器提供者),内奥性の発露(魂の表出としての絵画)も拒否され,まさに「無力さ」が明るみにでてきて,ついに「無力さの叫び」をあげるしかなくなってしまったトミーの姿が,いま,わたしの脳裏にさらなる精気を帯びてまざまざと浮かんでくる。
しかも,バタイユは,「この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となるのである」と,なにやら暗示めいた文章で,この「緒言」を閉じている。つまり,「最も深奥にある沈黙」とはいったいなんなのか,それを問い詰めることがこのテクスト『宗教の理論』の最終ゴールなのであろう。そのための「素描」(エスキス)である,と。
さてはて,集中講義が楽しくなりそうだ。
いよいよエンジンがかかってきたようだ。
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