2014年7月13日日曜日

『生きるためのサッカー』(ネルソン松原著,サウダージ・ブックス,2014年6月刊)を読む。

 『生きるためのサッカー』──ブラジル,札幌,神戸,転がるボールを追いかけて,というタイトルからも明らかなように,著者・ネルソン松原さんの自伝です。サウダージ・ブックスの浅野卓夫さんから送っていただきました。ありがたい限りです。

 表紙の帯には,「この自伝には心(コラサォン)がある。ブラジルの,ボールの,流転の心が。」──今福龍太(批評家・人類学者)というキャッチ・コピーがあって,これは読まなくては・・・とその気にさせてくれます。この本もまた,ほかの仕事をほったらかしにして読みはじめたら止まりませんでした。一気に最後まで「読まされて」しまいました。

 一人語りの文体が読みやすさを引き出しているようです。奥付をみますと,取材・構成:松本創(ノンフィクションライター),取材・解説:小笠原博毅(スポーツ文化研究者)となっているところをみると,ネルソン松原さんの語りを松本創さんが編集して文章化し,ネルソン松原さんの語りだけでは足りなかった部分を,小笠原博毅さんが解説として加えたように見受けられます。いずれにしても,とても読みやすい自伝になっています。


 とりわけ,ブラジル・サッカーの体現者の語ることばは,わたしにとってはとても新鮮でした。いわゆるサッカー評論家といわれる人たちの語る「ブラジルのサッカー」とは一味も二味も違う,奥行きの深さといいますか,懐の深さというようなものを感じ取ることができました。それはたぶん,ブラジル人日系二世というネルソン松原さんが,日本からブラジルへという父祖のたどった道のりを逆行して,ブラジルから日本へというサッカー「ボール」が仲立ちした旅程にあるのだと思います。なぜなら,国籍はブラジルでありながらも,血筋としては日本人。でも,話すことばはポルトガル語,文化はブラジル,アイデンティティもブラジル人,そして,なによりブラジルのサッカー文化のなかにどっぷりと浸りながら成人。「牛が草を食むように,サッカーは人生そのものだ」と確信してからの,日本への渡航です。

 最初の日本への渡航は,札幌大学の招きによるサッカー留学。それも,ブラジル・サッカーを札幌大学のサッカー部に浸透させるためのサッカー選手として。その間にプレーはもとより,フットサルの指導書の翻訳・紹介もこなし,2年間の契約をまっとうして帰国。それから13年後,ふたたび札幌に。こんどはサッカーの指導者として。日系二世として,ブラジルと日本との文化の違い,生活習慣の違い,ものの見方考え方の違い,人間関係の構築の仕方の違い(人と人との距離感の違い),つかみどころのない意志表示,などなどの壁にぶち当たりながらのブラジル・サッカーの指導。その経験のすべてをとおして,透けてみえてくるブラジル・サッカーの真の姿。

 なるほど,サッカーは社会の映し鏡。ブラジルのサッカーはブラジルという社会が生みだした独特の文化なのだ,と。したがって,日本のサッカーは日本の社会をそのまま反映しているのだ,と。その実態が,ネルソン松原さんの苦労談をとおして,ブラジルはブラジルの,そして日本は日本のサッカーの特質が徐々に浮かび上がってきます。そのプロセスが,わたしにはとてもいい勉強になりました。

 巷間に広がっている,プロパガンダ的なブラジル・サッカーのイメージがいかに薄っぺらなものであり,信実とはほど遠いものだということがよくわかってきます。その意味では,今福龍太さんの名著『ブラジルのホモルーデンス』──サッカー批評原論をよりよく理解するための導入書として,このネルソン松原さんの『生きるためのサッカー』はとても役立つのではないかと思いました。

 ネルソン松原さんが,最初から最後まで一貫して主張していることは,サッカーとは人生そのものなのだ,というものです。つまり,サッカーを単なるスポーツだとは考えていない,ということです。サッカーこそ人間が生きるということの映し鏡である,と。だから,ブラジルのサッカーには科学的合理性を踏まえつつも,それだけでは済まされない「人が生きる」ということはどういうことなのか,という深い問いかけがある,というわけです。したがって,ブラジルのサッカーには勝利至上主義だけでは済まされない,一種独特の美意識がつねにはたらいている,というわけです。

 ブラジルのサッカーに独特の,美しいパスまわしや,超越技法ともいうべきボールコントロールの足技,そして,チャンスとみるや一気呵成にゴールに向かって突進していく「野性」の叫び,これらはサッカーの神さまをピッチに降臨させるための前技にも等しい,全身全霊を籠めた,まさに祈りの儀礼だと言っても過言ではないでしょう。

 断っておきますが,ネルソン松原さんは,こんな理屈はひとことも発していません。しかし,みずから身をもってやってみせる,それを指導を受ける選手たちがどのように受け止めるか,それは選手自身の問題だ,と考えています。その「やってみせる」こと,ことばでは伝えられないものを伝えること,これが指導者の役目である,と。したがって,サッカーは,生活の全て,人間として身につけた能力のトータルの結果だ,とも。

 一見したところ平易な,だれにでも語ることのできそうな,ごくふつうの話が展開しているような錯覚を起こしますが,その端々に含蓄のあることばが散りばめられています。それは,読み手の感受性次第,というわけですが・・・・。

 W杯のセミファイナルで,ブラジルが,ドイツに7-0で大敗したことの意味については,一度,しっかりと考えた上で,このブログに書いてみたいと思っています。そこには,驚くべき思考の地平が待ち構えていることだけは予告しておきたい,と思います。

 とりあえず,ネルソン松原さんのご著書の,わたし流の読解と感想まで。
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