2014年7月31日木曜日

2020年東京五輪で駒沢オリンピック公園の競技施設をまったく使わないのはなぜか。

 1964年東京五輪に合わせてつくられた駒沢オリンピック公園の立派な競技施設が,こんどの2020年東京五輪ではまったく使われない,という。どうして?とだれもが思うこと。いまでも全日本選手権などの大きな大会がここで開催されることも多いというのに。

駒沢オリンピック公園にある陸上競技場。
スタンドの一番上の日除けが地上にでているだけ。
競技場(トラック)は地下を掘って設置。

 7月26日(土)に行われた新建築家技術者集団・東京支部が開催した「2020年東京五輪施設見学ツアー」でも,ここに立ち寄り,この施設の副所長さんからの説明を聞いた。それによれば,稼働率95%で,おそらく全国でももっとも多くの人びとに利用されているだろう,とのことだ。わたしたちが尋ねたときも,陸上競技場を除いて(新しい施設・用具の搬入が行われていた),あとは全部,使われていた。体育館ではジュニアのフェンシングの全国大会が行われていた。ジョギングや自転車の愛好者も大勢押しかけていて,どのコースもほとんどフル回転。広場では,親子連れでボール・ゲームをして楽しんでいる人たちもみかける。環境もみどりが多く申し分がない。

駒沢オリンピック公園の全体図。
緑に囲まれた閑静なロケーションにある。
 

 なのに,2020東京五輪では使われない,という。JSC(日本スポーツ振興センター:ここが2020年東京五輪の施設に関する責任者。新国立競技場建造に関してもここが事業主体者)のいうには,駒沢オリンピック公園の施設は,観客の収容人数も少なく,しかも古いので使用に適さない,とのこと。ならば収容人数を増やすべく増築をしたり,古いところは新しく補繕をしたりすればいい。いまの技術ならかんたんにできることだ。しかし,それはしない。しようともしない。まったくの無関心だ。なぜ?

 それには理由がある。

 東京ベイエリアと名づけられた,いわゆる東京湾埋め立て地に,最新の施設・設備をもち,かつ収容人員も充分な大きな競技施設を建造するから,駒沢オリンピック公園の施設を使用する必要はない,というのだ。はたしてそうだろうか。

 不思議に思いながら,予定されている東京ベイエリアの競技施設候補地を巡回して行った。そして,主催者からのその場所,その場所のことこまかな解説があり,どうしてもここに2020年東京五輪の施設を集中させたいとする東京都の思惑が浮かび上がってきた。

 一つは,すでにあるスポーツ施設の稼働率があまりに低く,赤字経営となっているので,その問題を解消したいとする東京都の思惑。たとえば,東京スポーツ文化館。レストランもホテルも併設した立派な施設。なのに利用者が少なくて苦慮しているという。仕方がないので,ホテルは日本ガン・センターを利用する人たちのために特別料金で解放しているとか。つまり,本来の目的・スポーツ愛好者のための施設利用が達成できていないのだ。だから,これを取り壊して,周囲の緑地公園もつぶして,新しく巨大な競技施設(バスケットボール会場)を建造してオリンピックに備えるのだ,という。

東京スポーツ文化館。正面入口。
左奥にも関連の施設が立ち並んでいる。
 
東京スポーツ文化館の道一つ隔てた向かい側に広がる森林公園。
この広大な公園も全部つぶされてしまう,という。

 オリンピックという大義名分を旗頭にして,なにがなんでもここに大きな競技施設をつくるのだ,という。しかも,地上に突き出た,相当に高い建造物になるとか。なぜなら,地下を掘ることはほとんど不可能だから。その点,駒沢オリンピック公園はじつによくできている。すべての競技施設が地下を掘り下げ,そこにアリーナを設定し,出入り口は観客席の中段(二階席あたり)につくられている。そのため,屋根は予想以上に低い。外からみると広々とした空間が広がっており,中に入ってみると予想以上に広いスペースが確保されている(最初の写真を参照のこと)。

 それは千駄ヶ谷にある東京体育館(槙文彦さんの設計による)も同じだ。入口を入ると中二階の観客席のところにつながっていて,アリーナは一階下に見下ろすようになっている。だから,外からみても屋根は低い。圧迫感をまったく感じない。周囲のビルよりも低いので,むしろ広々とした空間が確保されている。その真向かいにある津田塾大学の施設もまた槙文彦さんの設計によるものだそうで,この両者の調和もとれていて,周囲の環境(中央線を挟んだ向こう側には新宿御苑のみどりがひろがる)ともみごとになじんでいる。

 その東京体育館のすぐ裏側に,高さ75mにも達する巨大な新国立競技場を建造しようというのである。神宮外苑の景観がぶち壊しになってしまう,ということはそこに立ってみれば素人にもわかる。にもかかわらず,JSCは強行突破をはかろうとしている。しかし,現国立競技場を解体する工事の入札が二度も流れてしまい,解体の目処も立っていない,という。ここにはまた別の理由がある。この件についてはまた別稿で書くことにしよう。

 勢い余っていささか脱線してしまった。
 そろそろ結論を。

 東京ベイエリアの開発は,いわゆる東京副都心計画の一環として捉えられており,東京五輪が絶好のターゲットになった,ということだ。いまも空き地があちこちにあって,買い手がつかなくて東京都は困り果てているという。その理由もかんたん。掘ると有毒ガスが漏れ出てくる可能性が高いこと,しかも,地震がおきれば液状化する可能性がきわめて高いこと。主として,この二つの理由から大手ゼネコンも見向きもしない,とか。だから,東京都は困り果てていた,というのだ。そこに,うまい具合に東京五輪が転がり込んできた。というか,東京五輪招致を成功させるために,ありとあらゆる手段を講じて(なかには嘘もふくめて),巨額の金もばらまかれて,無理矢理,IOC委員を抱き込んだというのが実態らしい。すべては東京副都心計画の抱え込んでいた難題を一挙に解消するために。

 こうして一件落着のようにみえるが,じつは,そうは問屋が卸さない。原発と同じでつくればいい,そして,大きな電力を確保することができる,とただそのことだけを旗頭にして猪突猛進をした結果が,こんにちの原発問題(手も足も出せない,宙づり状態,いつ爆発してもおかしくない状態)となってわたしたちの眼前につきつけられている。副都心計画がスポーツ施設を軸にして多くの人間を惹きつけることができる,という考えはあまりに甘い。

 2020年東京五輪ですら,この東京ベイエリアに観客を惹きつけるだけの魅力があるかと問われれば,わたしははっきりと「ノー」という。なぜなら,7月末から8月上旬にかけての猛暑日がつづく大会期間に,わざわざでかける気はない。ましてや,東京五輪後に,大きなスポーツ・イベントを持ち込んだとしても,施設を満杯にするだけの人が集まるかどうかは,まったく心もとない。しかも,そんな大きなスポーツ・イベントを年に何回も開催することも不可能だ。すでに,大きなイベントを行う施設はあちこちにある。しかも,フル稼働しているとは聞いていない。だから,東京五輪後の施設の維持管理はきわめて困難だ,というのがわたしの見解である。

 その点は新国立競技場でもまったく同じだ。こんなに立地条件のいいところでさえ,維持管理はほとんど不可能だといわれている。その赤字分は全部,国民の税金で賄うことになる。そんなことが目にみえているのに,それでも強行しようとする「盲目」集団がいる。困ったものである。

 スポーツ施設はつくればいいという問題ではない。すでに,各地方自治体もふくめて,ほとんど使われていない競技施設(屋外の施設の場合にはぺんぺん草が生えていることもある)が山ほどある。そして,どこもかしこも赤字経営に頭をかかえている。

 スポーツはいまやテレビで鑑賞するものであり,茶の間の娯楽でこそあれ,わざわざ猛暑や寒さに耐えながら競技場まで足を運ぶ人はほんの一握りの人にすぎない。この実態を考えれば,8万人もの観客を収容する巨大競技施設(新しく建造される予定の東京ベイエリアの競技施設も含めて)は,なんのため,だれのためのものなのか,とくと考える必要がある。

 それがある特定の人びとの利益だけが優先されて,議論もなしに決定がなされ,現実を無視して突き進む,この体質を根本から改めないかぎり,この悪の連鎖は止まらないだろう。そのことの実情が,これから東京五輪の施設づくりが現実化するにつれ,つぎつぎに明らかになってくるだろう。そのときになって,多くの人びとが驚くことになる。

 しかし,それでは遅すぎるのだ。だから,たとえば,「日本野鳥の会」とか,「東京オリ・パラを考える都民の会」などの民間団体が多くの警告を発し,行動を起こしている。しかし,主要メディアはこれらの主張や行動に対して冷淡だ。だから,ほとんど,報道はしない。しかし,ネットの世界では,少したんねんに検索をかけると,驚くほどの団体が立ち上がっていて,それぞれにほそぼそながら活動を展開している。

 わたしたちは,もう一つの視点をわがものにして批評精神を磨かないと,権力の思いのままに愚弄されていることにも気づかずに,最後の責任を負わされることになる。

 駒沢オリンピック公園はまったく使われないんだって?へえーッ,そうなんだ,では済まされない。そのツケは必ず弱者のわたしたちに廻ってくる。その前になんとかしないかぎり・・・・。

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