2015年9月4日金曜日

「白紙撤回」がつづく。新国立競技場,五輪エンブレムときたら,こんどは戦争法案の番だ。一蓮托生。同罪。

 新国立競技場建造計画が白紙撤回された。とおもっていたら,こんどは五輪エンブレムも取り消して,振り出しにもどる,という。ならば,こんどは戦争法案の番だ。こちらも早々に白紙撤回してもらおう。これらはすべて同根。遺伝子は同じ。同罪。同じアベ政権の無責任体制のなかから批判の対象として表出した事態なのだから。すなわち,一蓮托生。すべて白紙撤回すべし。

 ついでに,東京五輪2020も返上すべし。

 この無責任体制がつづくかぎり,五輪を開催する能力はもはやない。だれも責任をとらない組織が,大きなイベントをコントロールする力などないのは明々白々だ。それをなにより物語っているのが,新国立競技場に建て替え失敗。その責任を問うこともなく,担当大臣を一人加えただけで,あとは組織替えもしないで,同じメンバーが担当している。


しかも,新国立競技場を建造する共通のコンセプトもなにもないまま・・・・。烏合の衆が,別々のロジック(業界ごとのロジック)や力関係(利害・打算)のもとで,しかも密室で,ごそごそと,下心や根回しやえさ(金,地位,権力,など)の渦巻くなかでの「合議」が重ねられているだけ。そして,最後は,声の大きな人の一声で,さも,なにもかもうまく決まったかのようなポーズをとる。しかし,内実はなにも変わってはいない。

 新国立競技場問題も,これから公明正大にゼネコン選びをやると言っているが,その応募条件は基本的には最初のときと変わってはいない。高さ制限も,環境に対する配慮(風致地区)も,周囲の住民に対する配慮も,みんな最初のものと同じだ。このまま,ずるずると話を進めていくと,またぞろザハ案が復活してくる可能性もある。あげくのはては,上限を決めたはずの金額をもはるかに超えていく可能性もある。

 わたしの眼には,単なる責任逃れ(無責任体制の正当化)と国民の批判をかわすための時間稼ぎ(冷却期間)にしかみえない。白紙撤回などというのも,アベの得意とする「ウソ」。

 なぜ白紙撤回しなければならなくなったのか,その理由はなにか,そうなってしまった責任はだれにあるのか,これを突き詰めることが先決ではないのか。こんなことは短期間でやろうとおもえばできる。しかし,もとよりやる気はないのが権力だ。それで済ませられると,国民を舐めている。権力の驕りそのものだ。

 つづいて飛び出してきた問題が,五輪エンブレムの「白紙撤回」だ。これも,もはや,ここに書くのもいやになるというしろものだ。こちらこそ,徹底的に「責任」を問うべきだ。組織委員会には公正なコンペをやる資格も力もない。やれば,またぞろ同じことの繰り返し。第一,応募条件に,なんらかの賞を受賞したことのあるレベルの高いデザイナーに限定し,しかも,デザインの世界の大御所と言われるメンバーで委員会を固め,密室で議論していることが大問題なのだから。

 
さっさと手放して,第三者委員会にでも委託すればいい。
わたしの考えはこうだ。

 デザインの公募は,すべての国民に開かれるべきだ。デザインの専門家などに頼ることなく,幼稚園から小中学校の生徒,高校生をはじめ,あらゆる国民が応募できるように開くべきだ。そうして,国民全体に東京五輪2020への関心と親しみをもってもらうことだ。そうして,われこそは,という人たちにいいアイディアを出してもらうことだ。

 そうして応募される作品は膨大なものになるだろう。その選別方法もいろいろやり方はある。それこそ第三者委員会で頭をひねってもらって,適切な方法を決めればいい。このわたしですら腹案があるくらいだから。そして,最後は,「ベスト10」を選出し,その作品を公表して,国民投票で決めればいい。これが公明正大ということだ。

 これをやれば,たぶん,相当に盛り上がることだろう。それが五輪を招致した最大の理由だったのではないのか。初心にかえって,もう一度,仕切り直しをすることが,いま,なにより求められている。どうでもいい「有象無象」が寄ってたかって,ハイエナのように食い物にしている姿が,ここまで剥き出しに露呈してしまったいま,もう失うものはない。とうのむかしに,国際社会の笑い物にまでなってしまったのだから・・・。

 この二つの案件とまったく同じことが起きようとしている。それが「戦争法案」だ。国会審議の政府の答弁を聞けば聞くほど,この法案を成立させる根拠が,ほとんどなにもないということがはっきりしてきた。第一,閣議決定で憲法解釈を変えたところからして,憲法違反だ。憲法をもっとも守らなくてはいけない政府が,率先垂範して,それを無視するという暴挙にでた。憲政史上初の「暴挙」だ。こんな政府はみたことも聞いたこともない。

 だから,歴代首相も歴代法制局長官も,みんな「廃案」にすべきだ,と声を挙げた。そして,国民の「6割」以上が「廃案」と言っている。「8・30」集会では,12万人が国会を取り巻いた(わたしなどは,国会前までたどりつけなくて,引き返し,霞が関の周辺で行っていた抗議行動に参加していたほどだ)。もはや,これ以上の議論も不要だろう。すなわち「白紙撤回」。

※今日になって,ついに元最高裁長官が発言をした。すなわち,戦争法案は違憲であるとし,廃案を求めている。

 政府は,どうしてもやりたいなら,即刻,「廃案」にして,仕切り直しをすればいい。そして,つぎの選挙公約で「憲法改正」を掲げればいい。そこを通過してからの「戦争法案」だ。

 「白紙撤回」の茶番劇も,新国立競技場⇨五輪エンブレムと進行した。つぎは,戦争法案だ。ホップ・ステップ,そして「ジャンプ」だ。戦争法案は「白紙撤回」の最後のジャンプだ。そこで幕引き。でも,この茶番劇はなかなか収束しそうにない。ホップもステップも,まだまだこれからだ。そして,最後の「ジャンプ」はもっとやっかいなことになりそうだ。

 この三つを並べてみると,ホップもステップも,大したことではない。こんなものは「屁」のようなものだ。言ってしまえば,どうでもいい。最後の「ジャンプ」に比べれば。問題はこの戦争法案だ。これだけは,どんなことがあっても阻止しなくてはならない。日本国の命運にかけても。そして,これから生きていかなくてはならない国民の「命と安全を守る」ためにも「廃案」に持ち込まなくてはならない。

 一蓮托生。三つ揃い踏みで「白紙撤回」。全部,仕切り直し。これが現政権の実力だ。こんな程度の低さから一刻もはやく脱出しなくてはならない。道は険しいが,諦めてはならない。

 9月14日まで,国民が一丸となって,闘うしかない。頑張りたい。頑張りましょう。
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