2015年9月16日水曜日

嘉風,絶好調。自分の相撲をとりきり,横綱連破。おみごと。

 注目すべきは,嘉風はどんな相手にも,両手を土俵にしっかりとついて待つ。そして,相手の呼吸に合わせて立つ。大きな相手でも小さい相手でも変わらない。上位の力士でも下位の力士でも同じだ。もちろん,横綱相手でも,きちんと土俵に両手をついて,立ち合いの呼吸を合わせる。こんなきれいな立ち合いをする力士はいない。

 ここに嘉風というお相撲さんのすべてが秘められている,とわたしはみてきた。正々堂々と,自分の相撲をとりきること,これしか考えていない。立ち合い,低い姿勢でぶちかまし,まずは相手に圧力をかける。そして,腰をしっかりと下ろし,頭を下げたまま激しく突き立て,押し立て,前へ前へと出ていく。相手はたまらずはたきたくなる。そこが狙いどころ。待ってましたとばかりに相手のふところに飛び込んで,押し立てる。

 今日(三日目)の横綱・鶴竜との一戦は,嘉風が理想とする自分の相撲をみごとにとりきった。完勝である。100点満点。親方の元・琴風も絶賛したことだろう。

 鶴竜も負けじとばかりに突き立て,立ち合い直後は優勢だった。しかし,それでも諦めない嘉風の激しい突き押し相撲に盛り返され,後退をはじめる。その瞬間,鶴竜の悪い癖の「はたき」がでた。それほどに嘉風のスキのない厳しい突き押し相撲が炸裂したということだ。鶴竜のはたきは,体の間合いが十分ではなかったので,逆に嘉風を呼び込むことになってしまった。ここを先途とばかりに鶴竜のふところに飛び込み,一気に寄り立てた。ここで勝負あり,だった。完勝である。

 嘉風は,勝っても負けても表情が変わらない。じつにサバサバしている。呼び出されて土俵に上がってから,相撲をとり終えて引き揚げるまで,同じ表情なのだ。まるで修行僧のような顔だ。ただ,すたすら,自分の相撲をとりきることに専念している。結果など,どうでもいい,といった風情だ。もちろん,こころの内では燃えるような闘志を秘め,勝てば歓喜に満たされ,負ければ悔しさと葛藤しつつも,けろりとした顔をしている。勝っても負けても,今日はこういう結果だったか,とすべてを引き受け,明日の相撲を目指す。

 この姿勢は,坐禅と取り組む修行僧のそれと変わらない。いまあるがままの自分を坐禅にぶっつけ,あるがままの境地と向き合う。そこにすべてを注ぎ込む。常住坐臥,これ坐禅なり,という教えを,嘉風は相撲で行っているように,わたしの眼には写る。

 調子のよい悪いは場所ごとに違う。それは,どれだけいい稽古ができたかによって違う。あとは,からだの状態による。どこにも「痛い」ところのない完璧なからだで場所に臨むことができたか,あるいは,どこか稽古で痛めたまま完治していないからだで土俵に上がるのか,これらによって当然,結果は違ってくる。そういうこともすべて引き受けて,淡々と土俵に上がり,いまできるすべてを出し切る,すなわち,自分の相撲をとりきる,ここにすべてを賭けている。嘉風の相撲をみていると,そういう相撲をめざしているに違いない,とわたしは確信する。

 だから,勝っても負けても,嘉風の相撲は清々しい。心地よい。相撲をよく知る相撲通に,ファンが多いというのも,よくわかる。

 花道を入ってくるときから,花道を引き揚げていくまで,一挙手一投足,すべての所作が絵になるお相撲さんである。

 その嘉風が,今場所は絶好調である。このあと,どのような相撲を展開するのか,じつに楽しみだ。優勝の行方の鍵を握る,そういうキーマンになりそうだ。今場所の活躍を期待したい。
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