いつのころからだろうか,かれこれ2週間ほど前からだろうか,わたしの利用する田園都市線の駅に征服の警官が警棒をもって箱の上に立つようになったのは・・・。
わたしが常時,利用する駅は溝ノ口と鷺沼である。この両駅には,複数の警察官がうろうろしているので,なにかあったのかな,このごろ眼につくなぁ,と思っていた。しかし,隣の宮前平駅には,改札口を入った正面に征服の警察官がひとりで立っている。しかも,小さな箱の上に長い警棒をもって直立不動の姿勢で。最初に気づいたときは驚いた。ちょうど,乗客が降りてきたところで混雑していて,そういう警察官が立っていることに気づかなかった。で,混雑している人をかき分けるようにして,その警察官の立っていることに気づかないままその前をとおり過ぎようとしたその瞬間,なにかが動いた。わたしは,びっくりして飛び退いた。征服の女性の警察官が直立不動の姿勢で立っていたことにわたしは気づかなかったのだ。よくみると,顔の前に虫かなにかが飛んできたらしく,そのあとも振り払っている。その最初の一振りに,わたしは出会ってしまったというわけだ。まだ,うら若き女性警察官である。たぶん,24,5歳というところ。もっと若いかもしれない。可愛い顔をした女性だった。が,わたしが「飛び退いた」のをみて,なにごとか,という顔でじっとこちらをみている。わたしも,じっとみつめてしまった。かなりの至近距離である。仕方がないので,「人形さんかと思った」とひとりごとのようにつぶやいて(もちろん,聞こえるように),階段を昇った。
以後,その駅で乗り降りをすることにした。いつも,交代で征服警察官が,やはり,直立不動の姿勢で立っている。なにゆえに立っているのかわからないわたしにとっては異様な光景である。こんなことをしなくてはならないほど,最近の駅にはトラブルが多いのだろうか,と考えたりしながら観察している。そういえば,郵便局の前にも警備の人が立っていたり,この間は渋谷駅の近くの銀行の前には警備の人が二人並んで立っていた。やはり,世の中,ぶっそうな時代になったんだなぁ,と自分を納得させるようにしていた。それにしても,過剰警備ではないのか・・・とこころの中ではいぶかっている。
そうしたら,昨日の新聞に「APEC横浜厳戒」「警備4.3万人,住民に身分証,宿泊制限」という見出しのついた大きな記事が載っている。「APEC会場周辺の交通規制区域」の地図も,その区域全体を写した航空写真も,そして,「初登場の無人警戒艇」の写真も掲載されている。ああ,これだったのか,と一度に納得。APECが今月の7~14日まで横浜の「みなとみらい」地区で開催されるということは知っていた。しかし,考えてみると一カ月も前から警戒態勢に入っている。これはなにごとか,と考える。やはり,変だ。こんなに過剰とも思える警備をしなければ「APEC」を開催することはできないのだ。APECと聞いただけではなんの会議かもよくわからない。しかし,「アジア太平洋経済協力会議」とフルネームで「眼」で確かめてみると,その実態が具体的にリアルにみえてくる。それはそうだろう。この会議を開かれては困る人たちが世界中にたくさん居る。この人たちのなかには相当の過激派も居る。自爆してでも阻止してやろうという人たちも居る。そういう人たちがたくさん居るのに,なぜ,この会議を開催しなくてはならないのか。
こんなに過剰な警備態勢をとってまでこの会議を開催しなくてはならない理由はなにか。それを新聞はきちんと報道してほしい。わたしたちも,それなりに,その理由を確認する必要がある。いま,なぜ,日本の横浜で開催しなくてはならないのか。
だれかが得をして,だれかが損をする。
だから,強行実施派と強行反対派とに分かれる。
なぜ,そうなってしまうのか,この際,じっくりと考えてみることにしよう。しっかりと考えるか,なにも考えないか,そして,どのような生き方を選択していくのか,そういう人の数のバランスによって「現代史」が形作られていくことになる。昨日の色川大吉さんの「自分史」ではないが,どんな姿勢をとろうとも,その総和が歴史をつくることに変わりはない。
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